自転車のヘルメット着用努力義務化に接して思うこと(その2) | 旅はブロンプトンをつれて

旅はブロンプトンをつれて

ブロンプトンを活用した旅の提案

(前回からの続き)
折りたたみ自転車ブロンプトンに乗る際、ヘルメットを被らなければならなくなることによって蒙るマイナス面というのはどのようなものがあるでしょう。
折りたたんで歩行者になれるブロンプトンだからこそ、不利になる点とその反対に利点になる面が背中合わせになっていると思います。
これがロードバイクであったら、ウェアから靴まで揃えておいて、ヘルメットだけ被らないというのは片手落ちという感じがします。
しかし、駅まで軽快車(俗にいうママチャリ)で往復するのに、いちいちヘルメットを被ることになったら、その姿のままスーパーマーケットに入って買い物をするのか、脱いで手に持つた状態で買い物をするのか、盗難除けのワイヤー錠で駐輪場に停めた自転車に固定するのか、或いは盗難にあっても良いくらい安価な安物のヘルメットを使いまわすのか等々、悩みが出てくるでしょう。
今回はその両方の点について考えてみたいと思います。

〇蒸れる
自転車に乗る際はスキー同様必ず帽子を被っている自分にはこれはよくわかります。
1年間を通して大半の時期、とくに春から秋にかけては少し真面目に有酸素運動をしたなら、帽子に汗が染みてきます。
真夏に自転車を担いで峠越えしたときは、たっぷりと汗が染み込んだキャップは重くなった挙句、それ以上吸収できなくなって、つばの先からぽたぽたと雫が滴り落ちるというありさまでした。
こんなですから、目立たない黒い帽子をかぶるようにしたのですが、帰りの電車の中で塩をふいてしまい、却ってカッコ悪いのでした。
自分は「いい運動をした」と満足でも、他のお客さんに不快感を与えてはいけないので、結局鞄の中に仕舞っていました。
もちろん帰ったら洗濯機で洗いました。
ところがヘルメットはこれができません。


いくら穴がたくさん開いていても、身体が汗をかくくらい有酸素運動をすれば、頭からも汗は出ます。
また、そのくらい運動せねば、余計な脂肪は燃えてくれません。
ヘルメットの下にインナーキャップ(水泳帽みたいな布製と、使い捨ての紙製があります)を被ったとしても汗の吸収には限界がありますし、夏場は余計に暑いでしょう。
ならばインナーが外れるタイプのヘルメットで使うたびにお手入れするとか、まめに除菌消臭スプレーをかけて自然の風で乾燥させるくらいしか思い浮かびません。
鞄の中にしまうにしても、ヘルメットは帽子のようにたためないから嵩が張ります。
しかし、幸いにも自転車のヘルメットは殆ど軽量です。
今考えているのは、峠越えのような場合に登りは歩く速度プラスアルファ程度にゆっくり走るので、ヘルメットをハンドルやフロントバッグの中などに仕舞って帽子をかぶり、下りに出してきて使用するとか、平地でも速いスピードを維持して走るときと、ゆるゆると走る時でメリハリをつけ、汗をかくたびにウェットティッシュでぬぐい、帰ったらまめに掃除するしかないでしょう。
しかしそうすることで、頭を保護することに意識がゆきやすくなると思います。


〇髪型に跡がつく
これはもう身だしなみの問題ですから、意識に個人差が出てくると思われます。
自分は男性だから暑い時期は短髪とか坊主(笑)にしてしまうという手もありますが、長髪の女性はヘルメットの跡がつくのを嫌がりますよね。
結んだところで収まりが悪そうですし。
むかし原付のノーヘルが許されていたときは髪の毛をなびかせて走るというのが流行っていましたが、安全性が皆無なうえに空気が汚くて髪の毛が傷んだといいます。
今対策をネットで探しても、できるだけ自分の頭の形に合ったヘルメットを選ぶとか、脱いだ後にキャップを被って隠す(昔オートバイに乗っていた長髪の女性は、ヘルメットを脱いだ後バサーッと髪の毛をなびかせ、レーシングキャップを被るというのが定番でした)くらいしか対策が見当たりません。
髪の質や量によってすぐ跡がとれる人となかなか取れない人がいるようですし、ブロンプトンの場合鉄道併用旅行では列車に乗りますから、やはり帽子に取り換えるとか、ヘルメットを目深に被ったまま寝てしまうくらいしか方法がなさそうです。
ヘルメットを被ったままスーパーで買い物をして、知り合いにあって訊かれたら「いつ地震がきてもいいように備えている」と冗談で返すくらいの余裕が欲しいものです。


〇服装との相性の問題
他の人はともかく、私はブロンプトンを通勤や買い物など日常使いにも使用しています。
もちろん、サイクルウェアなどは持っておらず、日常遣いは日常の格好、旅行に行くときは走るのに見合った格好をしています。
だから、ヘルメットを被るとしてもそうした格好のまま頭にヘルメットを被せるという形になります。
もしもサラリーマンをやっていたら、若い頃添乗に着ていったような、汚れても構わない安物の背広にネクタイで、ヘルメットを被っていたに違いありません。
この場合、ヘルメットをレーシング用ではなく、街乗り一般向けのタイプにしておけば、それほどおかしくはないでしょう。


前述した通り、列車の中でもたたんだブロンプトンに括りつけるか、被ったままでいるかになりますが、いざ被ったままでいると自転車のヘルメットは軽くて小さいせいか、オートバイのヘルメットほどには不自然になりません。
括りつける場合はたたんだブロンプトンの曳き手の部分にあご紐を締めて固定しています。
最近は輪行する人も週末を中心におりますから、他のお客さんも「ああ、自転車に乗っているのだな」くらいの認識です。
むかしスイスを鉄道で旅したとき、車両には専用の自転車収納ラックがついていて、座席でヘルメットにサイクルウェアという格好のまま本を読んでいるひとを見かけたときは、健康そうでいいなと好感を持ちました。
それがトレッキングの格好になっても、さして不自然ではないでしょう。


〇荷物になる(荷物が増える)
たたんだ時や駐輪したときにヘルメットをどうするかという問題です。
オートバイのヘルメットが義務化された時もそうでしたが、オフロードバイクの場合、駐輪中ヘルメットホルダーにつけていてもあご紐の部分をカッターナイフで切られて持ってゆかれるということが多発しました。
これを防ぐには本体の穴がある部分にワイヤー錠を通して車体に結んでおくという手がありますが、たためるブロンプトンごと持って行かれてしまう可能性があるので、駐輪の場合、やはり車体とヘルメットをコインロッカーに入れておくのが一番安全ではないでしょうか。
ただ、ブロンプトンの場合ロッカー預けは殆どしません。
手荷物として転がして連れて歩けるからです。
しかしブロンプトンを曳きながらヘルメットを持つということは、荷物が増えることになります。


荷物にしないためのもっとも簡便な方法は、身に着けておくことです。
ヒントになるのは山仕事をしている人たちの姿です。
彼らは不必要な時はヘルメットをカラビナで腰に固定しいます。
これなら、自転車に乗っている時も歩行している時も荷物にはなりません。
但し困るのは列車内などで腰掛ける場合です。
上述のように、被ったまま行動するということも考えられますが、私など子どもの時は、室内で帽子を被ったまま(特に座って食事をするとき)は行儀が悪いとされていました。
しかし、現代は移動中ならばヘルメットを着用したまま着座していても、「自転車で来ています」というアピールになるわけですから、それほどマイナスとは思えません。
もちろん、人と挨拶を交わしたり、食事をしたりするときなどは礼儀として帽子同様に脱いで鞄に括りつけるなり網棚に載せるなりすればよいことです。


〇ヘルメットを被ることによるプラス面。
ここまではマイナス面とその対処方を書きましたが、その裏にはプラス面があることを忘れてはならないと思います。
まずはより安全になることでしょう。
これは自転車で走っているとき以外の、たとえば列車で移動している時や、たたんだブロンプトンを引いて歩いて時も同じです。
東日本大震災の時、落下物が落ちてくる中、鞄を頭に載せてビルから走り出してくる人たちの映像がありました。
あの時、自宅や職場に人数分のヘルメットが確保してあり、全員が被れたというケースはかなり少なかったのではないでしょうか。
本震から余震の続く中、指定された広域避難場所まで避難する際、ヘルメットを着用できた人がどれくらいいたでしょう。
また、尼崎で起きたような鉄道事故の場合、頭部だけでも保護できていたら助かった命があったかもしれません。
もちろん、自転車用のヘルメットと防災用のヘルメットでは用途が違いますが、無いよりはあった方が良いでしょう。
それに、自転車用のヘルメットは他の用途のヘルメットに比べて軽くて仰々しくはありません。
これが他に荷物は何もなくて普段着のまま、工事用やオートバイ用のヘルメットを着用して電車に乗ったり、駅を歩いていたりしたら、そして顔にはマスクやサングラスもつけていたら、「先ほどゲバ棒をトイレに隠してきました」「今強盗をして逃げてきました」みたいでえらく不自然になってしまいます。


もうひとつ。
私にとっては今の帽子がそうなのですが、ヘルメットを被ることによって「自転車で走るぞ」という心構えができるとともに、走っている際には安全に気を配るようになります。
たたんだブロンプトンを曳いて歩行している時も、脇に置いて列車に乗って移動している際にも、ヘルメットを被っていれば「折りたたみ自転車を使って公共機関を利用しているのだから、他人に迷惑をかけないように、マナーをよくしていようという矜持が持てるようになることです。
学生時代にスキースクールでアルバイトしていた際に、貸与されたユニフォームを着ている時、旅行会社にいて添乗などの際にネームプレートを着けている時、「変に滑ったら、おのぼりさんのような行動をしたらみっともないから…らしく振舞おう」という気持ちになりました。
それもあって「浪馬さんってスキー場で見るとひと回りもふた回りも大きく見えますね」とか、「海外へ出ると(英語が適当な割には)水を得た魚みたいに生き生きとしているね」といわれていました。
もちろん格好だけでなく、スキーに乗った方が自由は利くし、海外では英語でコミュニケーションを取っているから、日本語でやり取りしている時と人格が若干変わってしまうなど、それ相応の理由があったのですが、やはり制服やネームプレートを着用しているからそのように振舞わざるを得ないという面も多分にありました。

(ヘルメット被って温泉に入ったことは無いけれど、笠被って雪見露天風呂に入ったことはあります)
そうそう、スキーもヘルメットを被るようになって、より一層他のスキーヤーやスノーボーダーとの接触に気を遣うようになりました。
こちらが硬いものを頭に着用しているぶん、ぶつかったらダメージを与えてしまいます。
前にお別れした2トンもある四駆に乗っていた時に、自分より小さな車やオートバイとの車間はより距離を空けようと注意していたのと同じ理屈です。
このように、ヘルメットを被るという習慣は、ブロンプトンなど折りたたみ自転車を使ってる身としては、自転車で走っている時だけではなく、たたんで歩行者として歩いている時や、列車に乗って移動している最中も意識を引き締め、自己を客観的にとらえるのに役に立つように思えます。
そう考えたら、法律が変わるから強制されることによって仕方なしに被るというのではなく、自分からすすんで意義を見出して着用するようになるし、今手元にないから、お金がもったいないからと、ノーヘルのままでいるとか、酷い場合は他人のヘルメットを拝借して自転車に乗るようなこともなくなるのではないでしょうか。
またヘルメットを被って走行したり歩いたりして気が付いたことをレポートしたいと思います。
(おわり)

(山の帰り、電車に乗る前にビールで乾杯しました)