甲州高尾山にブロンプトンをつれて(その2)―県道大菩薩初鹿野線を下る | 旅はブロンプトンをつれて

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ブロンプトンを活用した旅の提案

福ちゃん荘でしばらく読書した後、上日川峠へ歩いて戻ります。
戻ったのは12時16分。
朝の9時ちょっと前にここを歩いて出立したので、大菩薩峠と大菩薩嶺を食事つき2時間半くらいで巡ってきたということになります。
このくらいの山歩きなら、初心者にはちょうど良いかもしれません。
上日川峠の駐車場ですが、あまり目立たない場所に、ブロンプトンを半分折りたたんだ状態で、ワイヤーロックして駐輪しておきました。
こうしておけば、ブロンプトンをもとに戻せる人でなければワイヤーを切っても乗れません。
上日川峠には、駐車場の対面にロッジ長兵衛さんという宿泊施設があるので、ここにお金を支払って、荷物を預かってもらうという手もあります。
ただ、どうせ利用するならここやもう少し上の福ちゃん荘、さらには展望のある峠近くの介山荘にブロンプトンを担ぎ上げ、宿泊して翌朝に小菅なり丹波山なり、昔の青梅街道を辿って、そこからブロンプトンを展開して、奥多摩駅へ滑り込むなんて面白そうです。


どうしても、プチ山行の間駐輪する場合で、より用心するのであれば、折りたたみ接合部のヒンジの留め金(クランプ・プレート)をもって山に登るという手もあります。
用心に越したことはありません。
登山する人にそんな人はいないでしょうけれど、他人の自転車を駅までの足にするために窃盗する人は多いのです。
こんな山の上の駐車場に折りたたみ自転車がぽつねんと停めてあるのは、なんともシュールです。
盗る側からすれば、鍵をかけていない持ち主が悪いとか、こんなところに駐輪している人が馬鹿だからとか、色々言うのでしょうけれど、盗られる側からすれば、そんな行為をしたうえでその程度の言い訳しかできない自分がどれほど惨めか気付かないなんて、憐れそのものといったところです。
人の弱みにつけ込んで、恫喝や懐柔を行って他人の財産を掠め取ろうとした人物を複数知っていますが、本人たちは大まじめに正義のつもりでやっているのを見るにつけ、この人達も、この先どうなろうと、人間としては既に終わっているなと感じたものです。
生きているうちにあのようにはなりたくないので、たとえ目の前に鍵のかかっていない自転車が放置されていようと、財布が落ちていようと、届け出を目的とする以外で手を触れるのはやめにしています。

自転車に乗り出して、行きに甲斐大和駅からマイクロバスで登ってきた、山梨県道大菩薩初鹿野(218号)線を逆に下ってゆきます。
走り出しはカラマツ林の中を緩いのぼりが続きます。

やがて樹間に富士山をみながら下る気持ちの良い道になります。
最近になって降雪があったのか、日蔭のコーナーでは路肩脇にうっすらと積もった雪が残っているものの、路面が凍結したままというわけではありません。
また、バスで登ってくるときに車窓から確認していましたが、下り一辺倒というわけではなく、ところどころのぼり坂もあります。
山岳路なので、坂道のきつさもかなりのものがありますが、車の殆ど来ない山奥で息を切らせて坂道を登るというのは、身体の中に新鮮な空気を思い切り取り込んでいるようなもので、意外と気分が良いものです。
都会でのみランニングしている人には、この気持ちのよさは経験してみないとわからないと思います。
ただ、こういう道はどんな状況であっても走行に慎重さが必要です。
車は全然来なくても、いつ道幅の狭いブラインドカーブから、音もなくハイブリッドカーが現れるかしれませんし、小径車にとっては路肩に積もっているカラマツの葉でも、場合によってはスリップします。
間違ってもイヤホンで耳を塞いで自転車に乗るなどということをしてはなりません。


峠から1.3㎞先で、左方向へ土室日川線、2.9㎞先で右方向へ砥山線、4.4㎞先で日川線
途中、左手に枝分かれする日川(にっかわ)線と、舗装されて名前がつけられているだけで3つの支線林道を確認しました。
それぞれの看板をみると、乗用車の通行規制はされていないようです。
東京をはじめ、神奈川や埼玉など近郊の山間部にある林道は、開放すると色々な目的の人が入り込んで収拾がつかなくなってしまうので、がっちりとした門扉に南京錠をつけて通行を規制している場合が多いのですが、山梨や長野まで来ると、こうして通行のできる支線の林道があちこちに見られます。
土室日川線は行き止まり、砥山線はぐるっと回って上日川峠駐車場へ戻る道なので、山小屋に宿泊する際のお散歩兼坂道トレーニングにしか使えません。

ちょっと気になったのは、「土室」の文字。

大菩薩嶺の向こう、相模川水系の上流に、土室川という川があります。

そのすぐ下流にはダムがあって、松姫湖という人造湖があるのですが、そこに土室日川線のもう一端があって、前から大崩落したまま放置されているのです。

あの林道と接続するつもりだったのなら、全線開通は永遠に叶わないと思われます。

最後の日川線はこの先県道が日川に沿って谷間を下るのに対し、地図で見る限り山の中腹を横切って、塩山市から大和村に入ったあたりで林道焼山沢真木線に接続しているようです。
焼山沢とはこの下の日川沿いにある栖雲寺(さいうんじ=武田氏滅亡の折に勝頼が目指した臨済宗の名刹)付近から焼山沢に沿って大菩薩嶺から南にのびる尾根をのぼり、湯の沢峠を越えて東の真木(まき)川の谷へと下る林道です。
真木川に沿って谷を下れば、真木鉱泉を経て下真木という場所で、甲州街道(国道20号線)にぶつかり、街道を西へ、笹子川をおよそ2.5㎞遡れば中央線の初狩駅、逆に東へ4㎞下れば大月駅に滑り込むことができます。
かなりの山奥を通るので、熊鈴は必要ですが、全線舗装されているのなら、谷間をゆく県道よりも眺望が得られ、かつ真木鉱泉で汗を流して、大月からなら電車の本数も多いので、甲府盆地へ下るよりも帰りは楽です。
このように、標高の高い場所における枝分かれした通り抜けられる林道は、ブロンプトンを山の道に持ち込む際には要チェックです。
今回も同じような方法で展望台へ行こうとしているわけです。
(なお、こうした林道は冬季において通行止めとなりますから、走るなら4月から12月までの間です)


上日川峠から4.8㎞下りますと、さきほど登った大菩薩嶺で足元に見えていた、大菩薩湖という人造湖のダムサイトに到着します。
わたしが若い頃はこんな人造湖はなかったと思いながら詳細を読むと、この人造湖を成している上日川ダムの竣工は1999年で形式はロックフィル、8.5㎞以上東にある葛野川ダムとの間で水を往き来させて最大で120万キロワットの発電能力があるそうです。

それでわかりました。

上述の林道土室日川線はこの水路に沿って敷設されようとしていた林道なのでしょう。
120万キロワットといわれても、実感がわきません。
1キロワットが100ワット電球を10個分点けるだけの電力ですから、此方は1,200万個分かといわれてもよくわかりません。
120万キロワット=1200メガワット=1.2ギガワットで、なんだ、映画“Back to the Future”で主人公が現代に戻るための必要電力じゃないの、と思ってみてもやはり分からない…。

なお、標高1,486m地点に建設された上日川ダムは、日本で3番目に高所にあるダムなのだそうです。

第1位は千曲川の上流にある南相木ダム(標高1,532m)、第2位は群馬新潟県境に近い野反ダム(同1,517m)で、頭の中では奥只見ダム(同750m)や、黒部第四ダム(同1,470m)の方がより山奥で高いところにあると思い込んでいた自分にとっては意外です。

わりと開けた感じだからそうは思えないのですが、あの黒四ダムより高いところにあるのですよ。

大菩薩峠はハイキング気分で登れる山ですが、軽く見てはいけないと思い直しました。

また、揚水発電というのは文字通り電力が余剰の休日や夜間に水をくみ上げ、その水を電力需要が大きな平日の昼間に落としてモーターを回して発電するシステムなのですが、そこまでして電力を得るためにこんな山の中に巨大なダムと人造湖プラス地下発電所を造らねばならないほど、日本は電力需要の大きな国になってしまったのかと思うと、大都市での暮らしも、ここまでして得る電力の恩恵を受けた生活が必要だろうかと、訝しくなります。
なぜなら、この発電において下池にあたる葛野川ダムというのは松姫峠直下にある人造湖、松姫湖をつくっているダムで、日川と葛野川では水系も全然違う(日川は笛吹川、富士川を経由して駿河湾へ注ぎ、葛野川は桂川、相模川を経て相模湾に注ぐ)し、その間には標高2000mを超える大菩薩連嶺が横たわっていて、その下を水路トンネルが貫通しているということになるわけですが、素人には想像できないような土木技術を使っているはずです。

電力会社は各河川の水量を適正に保っていると言い張るでしょうが、南アルプスを貫いて掘るリニアのためのトンネル同様に、環境に何も負荷がかからないとは信じがたいです。

自治体の首長も、鉄道会社には文句を言えても、電力会社を向こうに回して敵対するというのはできないかもしれません。

そのリニアが電力を新幹線の3倍以上も必要とし、鉄道会社のトップが原発推進派というのも、ここ山梨県の山奥で考えると、なんだか皮肉めいています。


上日川ダムから先の県道はほぼ下り坂のみとなります。
なるほど、先ほどまで上り下りがあったのは、大菩薩湖を造った時に道を付け替えたということなのでしょう。
上日川峠から6.7㎞でダム下への道(閉鎖中)をみて、7.1㎞さきでペンション、9.2㎞さきでようやく右側にお目当ての林道、嵯峨塩深沢線の分岐に至ります。
標高1,585mの峠からだいぶ下ってきた印象ですが、それでもこの地点で標高1,291mあり、今日の出発点となった中央線の甲斐大和駅とは650m以上の標高差があります。
それでも、予め調べたデータによれば、林道嵯峨塩深沢線の最高点は標高1,450mくらいですから、ここから150mくらいの標高差を登ってゆかねばなりません。
前述したように、山で登り坂をあがってゆくというのは、大変ですけれどなかなか気持ちがよく達成感もあります。
まだ13時半でこのまま帰るには少し早いし、山小屋では通行可能かどうか言葉を濁されたけれど、一応入口ゲートは開いていて通行止めの表示もないからここはチャレンジしてみようと、上り坂に向ってブロンプトンで漕ぎ出すのでした。
(つづく)