わたしの人生のなかで、不思議に密度の高い、濃い1年間があって、

それは浪人していた19歳のときのこと


高3のとき、私立の美大受験をして、どこにも受からず、

浪人が決定

当時、わたしの第一志望の美大の学部の倍率は15倍くらい

相当に狭き門だった


いま思えば、両親は何も言わずに浪人させてくれたけど、よく認めてくれたな、と思う

浪人して予備校に通うために東京にいくことになるし(地元には美術予備校なんてない)、学生寮に入ったのだけど、普通に一人暮らしするくらいの費用はかかる


もちろん美術予備校の費用だってそれなりに高い

しかも浪人して受けるのは私大!学費高っ!

浪人するなら国公立の芸大受けろよっていう…魂が抜ける

全然親のことを何にも考えていない、世間知らずの高校生だったわたし。。。


東京芸大の倍率はとんでもなく高く、3浪、4浪しても入れない人がごろごろいると言われてる中で、わたしの実力ではとても一浪したくらいでは入れると思わなかった

いま思えば、最初から諦めていたのだけど、プライドかなぐり捨てて現役の時から芸大受験にもチャレンジすればよかったな


私大は、一浪すればどこかしら入れると思っていた

何の根拠もないけど、まあ芸大より入れる確率高いでしょう、と

舐めてる…昇天

わたしの時代で、合格者の内訳は現役が半分、1浪以上が半分、という感じだった



わたしは昔から、いつか一人暮らしをしたい、大学生になって田舎を出ていきたい、と思っていたから、浪人だろうがなんだろうが、実家から出られるのが嬉しかった

両親のことは好きだし、家族と仲が悪いわけでもないのだけど

独立心が旺盛なこどもだった

ひとりでなんでもできると思っていた

そんなわけないと今ならわかるのだけど




東京にきて初めて住んだ場所は、西武池袋線の保谷駅

そこに予備校と提携していた女子学生寮があった


入居しているのは、予備校生の他に、短大生や大学生

地方から出てきた女の子たち


朝と夜のごはんつき

食堂でみんなでたべる

夜ご飯は食器を出しておけばとりおきできて、夕食の時間に間に合わないときは、自室の電子レンジであたためて食べていたと思う

部屋はワンルームで、ユニットバスと1口コンロのミニキッチンがついており、洗濯機は共用のコインランドリー

家具は備えつきで、用意するのはふとんだけ

門限は22時


当時、叔母夫婦が西武新宿線の東伏見のマンションに住んでいて、高校時代に夏期講習などで下宿させてもらっていたから馴染みがあり、

寮でごはんがでない土日のいずれかは、叔母の家に行ってごはんをたべさせてもらっていた

(ちょうど保谷駅から東伏見駅まで、バスが出ていた)


帰りは叔父さんが東伏見の駅まで送ってくれて、

バス代、といって500円玉をいつもくれた

バス代はたしか100円だったから、本当にありがたかったな

嬉しかったな


実家は日本家屋だから、叔母のマンションがかっこよくみえて、東京っていいな、と思っていた

おまけに当時マンションの横には大きめの本屋さんがあって、叔母の家に下宿していた時、その本屋さんに入り浸っていた

本屋さんの隣に住めるなんて最高、うらやましい、と憧れだったな




予備校生活は、とっても楽しかった

『どばた』という通称の、池袋にある、すいどーばた美術学院

ああ、なつかしい…!


同じ高校で同じクラス、同じ美術部だった女の子の友達がいて、

その子も浪人して、同じ予備校に入った

クラスは違ったけど、初めから友達がいたから、寂しくもなかった


朝から夕方まで絵を描き(鉛筆デッサン、またはアクリルガッシュで着彩する平面構成)、夕方からは学科の授業を受けた

とにかく描いて描いて描きまくった

あんなに絵を描くことは、今後わたしの人生では訪れないだろうというくらい、真剣に、毎日毎日描いた


予備校がおわると、友達と一緒に、時にはひとりで、池袋のジュンク堂に行ったり、リブロに行ったりして、地元にはない大型本屋でたくさんの美術書に感激したり、小説なんかもいっぱいあって品揃えに感激したりしていた

しかも本棚の横にたまに椅子が置かれていて、びっくり

え?ここで読んでいいんですか?何時間も過ごせちゃいますよ?みたいな

世界堂に寄って画材を買ったり、時にはラーメンをたべたりして(地元ではみたことのない種類のおいしいラーメンたち…!)、東京ライフを満喫してたなぁ


なかなか絵が上手くならなかったり、伸び悩んだ時期もあったけど、

着実に実力はついた


わたしはとくに色彩構成が得意で、予備校に入学して最初の色彩構成で、かなりよい評価をもらってびっくりした

温度感のある色彩選びが得意だった

色を、ピタリと描いたモノにできる感じ

一年を通して、その感覚を磨き上げていった


デッサンはなかなか上手くならなかったけど、たくさん描いて、描いていくなかでいろんな気づきを得て、ある日突然、ちょっと上手くなり、また停滞して、また突然上手くなる、の繰り返しだった

(成長はスロープではなく階段状)



『神は細部に宿る』

美術系の人なら一度は聞いたことがある言葉だと思う


デッサンをするとき、大前提は光の方向やパース、全体感を意識して描くのだけど、

細かな部分、見落としそうな小さなところ、例えば葉脈だとか、花びらの一枚一枚、レンガの表面のわずかかな凸凹、、、、描くのが面倒で嫌になるそういうところをよく見て丁寧に大切に描写することで、生き生きとした絵になる

緻密に描いた細部には、神が宿り、しいては絵全体に、神が宿る


この言葉は、いまでもずっとわたしの中にある


デッサンのとんでもなくうまい先生がいて、

(芸大の院生だった。デザイン科だけど美しい日本画を描く先生。現在は作家として活躍されている)

先生は描いている生徒たちをみていて、たまにアドバイスで少し描いてみたりしてくれるのだけど、

わたしのデッサンに、その先生がさらさらっと描き足した部分には、神が宿っていた

ほんとうに、わたしのデッサンが霞んで、その部分だけが立ち上がって見えた


たくさん描いていく中で、デッサンとは、モノを描くのではく、モノを描くことで、そこにある空間を描くのだということを知った


画用紙の上に、いかに美しい空間をつくるか

描かない白い部分が、抜けのいい、空気がすーっと通り抜けるような空間になっているか

それが美しいデッサンを描く上で一番大切なこと

そして、クオリティをあげるのは、すべての細部であること



絵を描きまくり、勉強もして、

とにかく合格という目標があることで、やるべきことがはっきりしていて、人生がとても明確だった一年


休日は隣駅の大泉学園のショッピングモールに行って、チーズケーキファクトリーのスティック状のチーズケーキを食べて感動したり、保谷駅前のドトールでお茶しながら勉強してみたり、簡単なごはんを作って食べたりして、東京での一人暮らしを満喫していた



今では信じられないし、絶対ないと思うけど、

当時は予備校なのに飲み会とかあって、

未成年もいるのに普通にお酒が飛び交っていた

もちろん先生もいた。ありえない…笑笑

もう24年も前のことだし、先生といっても芸大美大の学生アルバイトだったりするし、かなりゆるかったのでしょうにっこり


飲み会の日は門限に間に合わないから、同じクラスの年上(2浪)の女の子の家に泊まらせてもらったりして

楽しかったなぁ


いわゆる模擬テストに該当する、実技のコンクールがたまに開催されて、

コンクールでデッサンが上位に入った時は本当に嬉しかった


できなかったことができるようになる経験は、よく覚えてる


予備校に手のデッサンのめちゃくちゃうまい2浪の男の子がいて、

その人のことを影でみんな王子と呼んでいたこととか(色白でイケメンだった)

学科の授業を受ける校舎に白い猫が自由に出入りしていて(授業中もふつうに入ってくる)、マイさんと呼ばれていて、たまに赤いかわいいチョッキを着ていたこととか、

寮の隣の部屋の女の子と、実家から送られてきた果物を交換したこととか、

寮の食堂にあった自販機はヤクルトだったこととか、

そういうどうでもいいことをよく覚えてる

細部の記憶たち

神が宿ってるね



1年の予備校生活ののち、無事にわたしは第一志望に合格して、

友達は第一志望ではなかったけど、合格して、

ふたりとも別々の美大に進学した

ずっと仲が良かったけれど、最近では全然連絡をとっていない

でも今でも友達。とわたしは思ってる


あの時過ごした日々で一緒にいた人たちとは、もう遠く離れていて、

みんな今何をしてるのかな


不思議な情熱をもって過ごした1年間のことをたまに思い出す


美大の4年間も相当に濃かったけれど、

成長度合いでいったら浪人の1年間が圧倒的

わたしの基礎をつくった1年だった


ひとりぼっちで、自由で、無敵だった19歳。



あんな一年をすごせたことを、親に感謝しないといけない、と今自分が親になって思う


自由にさせてくれてありがとう