この文章作るのに2時間はかけた | 千葉大学体育会女子サッカー部
最後の大トリやらせてもらいます岡田です。どうせ最後だろうとわかっていました。まあいいでしょう許します。

みなみは同期全員にされるがままにトイレに連れて行かれたりコンビニに寄らせたり電車で座らせたりされているところが好きです。なんか色々考えましたが普通にみなみのこと大好きなのでどこが好きって難しいです。水の飲み方が実は1番汚いところももう可愛くていいなって思います。恋は盲目です。盲目してるのでコメント薄いというところは許してください。


引退して早1ヶ月ほどでしょうか。家で過ごす休日やゆっくり起きた木曜の朝を重ねながらジワジワと実感が湧いているところです。明日雨だからインナーは二重にしようと練習技をリュックに詰め込んだとき、母親に指摘され言いようもない喪失感と寂しさで柄にもなくしんみりしました。こういうのを重ねないと大人になれないらしいのですが、まだ今は目を逸らして生きています。


中学の時にはじまり、サッカーに計10年費やした激動の人生を振り返らせてください。

中学の3年間は女子部員のいないサッカー部でした。筋トレもラントレも男子部員全員とやってたし、ハンデもなかったので地獄を感じながら生きていました。1番キツく感じたのは夏休みの1日5キロ走でしょうか。ある日はあまりにも走りたくなくて泣きながら近所の川に走っていって、そこで1時間ほど号泣しました。中2の女が大号泣は近所でちょっとしたニュースになっていました。お恥ずかしい限りです。
中2からはなんと部員8人!試合は攻撃されっぱなしの、ずっと守ってずっとシュートを打たれる修行のような1年でした。走力と胆力と思春期男子の恋愛相談経験値が身についた3年間です。まじで楽しかった。あまりの少人数でチームプレイとは言えませんでしたが、サッカーを楽しいスポーツと思わせてくれたりサッカー好きの気持ちを忘れずにいさせてくれたのは、この時の思い出とか先輩の一言とか、そういうものに起因してます。是永先輩と吉岡先輩、私のサッカーかっこいいって言ってくれてありがとうございます!今でも憧れです!

高校では中高一貫校で顔見知りも多い女子サッカー部に入部しました。高一に進学する際に当時卒業したてのキャプテンより10番を受け継ぎ、3年間同じユニフォームで戦いました。この番号を背負う重さを通して、チームスポーツらしさを根底で理解することができました。
未経験者から上級者もいる多様性に富んだチームでしたが何より女の子の同期を得られた私に怖いものはありませんでした。他のチームに行けばザコ中のザコのような、脚力だけでサッカーをしていた私をキャッピーと崇めて尊敬してついてきてくれた皆を思うと温かい気持ちになります。認めてくれる人のいる人間の強さは尋常ではありません。
高校の青春はあのグランドの砂浜状で走りにくい土と、そこから見える景色と、同期と、少しばかりの恋愛やら友情やら、で全てです。泥臭い女になったのはこの青春のせいだと思っています。

大学でサッカーをやるつもりはありませんでした。喘息辛かったし。初めて行った仮入部の練習試合で30分で8得点を挙げた私は調子に乗ってそのまま入部しました。入部後いかにこの出来事がまぐれであったのか4年間かけて思い知りましたが時すでに遅しです。3年で主将を経験して、4年になっても口うるさい我が儘な先輩を貫き通したまま引退しました。
大学生になったらと想像していた青春は何もなくて、朝は早いし夜は遅いし汗はすごいし休みはないしお金もない、なかったものはしょうがないと分かっていても部活に入ったことを後悔することは数多くありました。きっと他の部員も何かを犠牲にしてここに集まってるんじゃないかなと思っています。以前ブログで書きましたが、ベクトルが違う人間達が自分や周囲と折り合いをつけながら心を相手のために使いながらスポーツしていることは歳を重ねた今だからこそ難しいことだと思います。私自身20歳を過ぎて足が遅いとか顔がキモいとか相手に罵られる日が来るとは、同期とサッカーのスタイルについて嫌な喧嘩をしてしまうとは思っていませんでした。それでも何かになると信じて毎日集まって向上のために譲ってぶつかって生きているのですからこれは誇ることだと思います。

私の人生を決定づけるような出来事のほとんどは部活動にあったのかなと考えています。1番大きかったのは私が選択を迫られていたことなどでしょうか。
大学でもサッカーをするということは字面以上の意味がありました。まずサッカーを始めるという選択、続けるというという選択、いつまでやるかという選択、多くの選択の中で一つを選び続けてサッカーをここまで続けてきました。
今このご時世にやりがいだけで部活をやる大学生は少ないのではないでしょうか。就活に有利だとか、勝った時の喜びは他の比でないとか、部活を始める理由も、やる理由も、続ける理由もあるからこそ私はここまでサッカーを続けてきました。この理由達に納得した上で、続けることも監督の指示に従うことも自分の役割をこなすことも自ら選択しなければなりません。その理由と選択で自分たちを納得させながら、自分たちの決めたルールの上で選択しているうちの女子サッカー部はいろいろな形で常に成長していると感じています。惰性で部活を続けていると自分で思っている人も多いと思いますが、惰性で続けられるほど甘い部活ではありませんでした。挫折もあれば譲歩もあれば恥をかくこともある、そんな部活を続けてきた選択をしたのは紛れもなく自分自身です。まずは選択を自らして、最後までサッカーを続けた私と支えてくれた周囲に感謝をしています。若造のくせに生意気ですかね。
私たちがただ闇雲に頑張ってたわけじゃないこと、何も考えずにサッカーをしていたわけではないこと、みんないろいろな葛藤があって一生懸命になって選んだ結果だということをもっと誇りに思ってほしいと思っています。どの選択をしたとしても自分の選択に誇りを思ってほしいですし私は自分の生き方を大切にしたいです。辞めなかった私の同期達の選択やサッカーのベクトルを決める選択ももちろん素敵な選択だし、途中でいなくなってしまった部員たちの選択も、これからも頑張る後輩達の選択も、本人の納得した選択なら全部正解なわけです。

あとは心動かされたことは大切にしたいなと思っています。
ある先輩に言われた足が速いという一言で私は心を動かされて短距離をより速く走るための筋肉作りに尽力しました。ある後輩の鮮やかなシュートに心を動かされてトップに憧れるようになりました。ある同期としたワンツーやダイレクトプレーに心を動かされてサッカーを奥深く楽しもうと思いました。こういう心の動かされ方で私のサッカー人生はいいベクトルの楽しく大好きなまま終わることができたと思います。
どういう動かされ方をしたとしても自分の機微を大切にすることはいいなと思ったので最後のブログで書くことにしました。私は根底がポジティブなので前向きな心の動き方で生きてきましたが、その根底部分が違えばこのベクトルもなんでもいいんじゃないかなと思います。初めは心が動いたの気持ちに気づくのも難しいと思いますが大事にする癖はつけといて悪いことはないです。ぜひ自分のことを大事にする方法の一つとして覚えておいてほしいなと思います。
いろいろな先輩方に心を動かしていただいて今の私があるのに後輩にうまく繋ぐことができなくて心残りです。後輩達に送るメッセージとしては後ろ向きすぎて良くない気もしますが、きっと本意をわかってくれると思います。素敵な後輩に恵まれていて先輩冥利に尽きる思いです。


納得のいく人生を、という私のモットーからは微妙に合っていない部分もありましたが、笑
サッカーをしてきたこともサッカーを通した出会いや経験も、すべてを抱きしめたまま生きていこうと思います。

中高でのサッカー仲間であった先輩後輩同期を含め、全員には心から感謝しています。私が今サッカーを好きなのもサッカーしてきた私を誇れるのも全員のおかげです。
オタサーの姫のように丁寧に優しく接してくれた中学のサッカー部のみんな、本当にありがとう。
私を肯定してくれる同期がいるという安心感をたくさんくれた高校のジョサカのみんな、本当にありがとう。
憧れでかっこよくてどうしたらいいか背中で見せてくれたかっこいい先輩方、本当にありがとうございました。
怖くて嫌なこと言うような先輩だったのについてきてくれた後輩たち、すいませんほんとにごめんね。
喘息重くてたくさん迷惑かけたのにずっと応援してくれてたかっちとお母さんとわかな、本当にありがとう。
最後になりましたが、良くも悪くも全然違う同期の5人はラナちんも書いていたけど本当に絶妙なラインでギリギリを保っているなって感じます。深く関わって来れたからこそ維持できてるけど全員性格が違うから今後もお互い気を遣って赦しあって大事にし合っていこうね。みんなに会えたことが私の一つの人生のターニングポイントでした。どうせ私からの愛なんて伝わっているのでたくさん言わなくていいよね、大好きです。


以上で18’女子サッカー部のブログを終わります。
これにて。