GW最中の5月4日は鐵砲洲稲荷神社。
お世話になったのは聖路加病院のある明石町会さんで、
神酒所も聖路加タワーの真下に構えられています。

こういったアングルも、ありがちになってきたな。。
鐵砲洲稲荷神社の氏子エリアは、
お宮まわりの湊一・二・三、入船一・二・三から、
そのまわりの新富、新川一、明石町、
さらには、銀座一~八の東、及び、六・七の西と、
かなり広範囲です。
(鐵砲洲稲荷神社・氏子エリア概略図)
この中で明石町は隅田川沿いの南端に位置し、
すぐ隣は築地、波除神社のエリアです。
因みに、銀座の西側はなんと赤坂の山王日枝神社のエリア。
こちらは皇居をほとんど囲ってしまう程、広大です。
(山王日枝神社・氏子エリアマップ)

出発。この日は雨降ったり止んだりの1日でした。

大通りを横断中。向こうに見えるのは佃大橋。
「Tシャツやジーパン、スリッパなどでも大丈夫!」
さて、明石町の神輿は町内を隈なく練り歩いた後、
連合渡御のために新富町の集合場所に向かいます。
ここから神輿が連なった状態で、
新大橋通り→入船一・二・三→明石町→湊三・二・一
と進み、順番に宮入となります。
(連合渡御順路図)
宮入の順番待ちのときには、
雨が本降りになってきました。

湊二丁目の神酒所。向こうには月島の高層マンション群。
宮入待ちの碑文谷・瑞鳳會。
どこの神輿場にも現れる方々です。
深川櫓下會さん。現会長さんは女性の方です。
宮入中。(宮入の様子はこちら)
右は鶴坂、左は神月輝(みつき)が仕切っている感じでしょうか。
神社のHPによると、
「鐵砲洲」は、江戸時代に、
京橋川が隅田川に合流する河口から南の方へ伸びる細長い洲だったが、
名前の由来は、種子島に伝来した鐵砲に形が似ていたからとも、
徳川家が入府の際、大筒の試射場であったからとも言われているのだそう。
この時代は、鐵砲洲から芝浦までが「江戸湊」と呼ばれて、
米・塩・酒・薪・炭を初めほとんどの消費物資が鐵砲洲の湊へ入ってきたため、
鐵砲洲生成太神(いなりのおおかみ)の名は、
船乗人の海上守護の神として全国に広まったのだとか。
宮入後、町会への帰り道で元気で楽しそうな櫓下さん。
明石町に戻ると、
水炊き料亭「治作」で結婚式が行われていました。
新郎はイタリア人。
2010年の様子
2008年の様子
お世話になったのは聖路加病院のある明石町会さんで、
神酒所も聖路加タワーの真下に構えられています。

こういったアングルも、ありがちになってきたな。。
鐵砲洲稲荷神社の氏子エリアは、
お宮まわりの湊一・二・三、入船一・二・三から、
そのまわりの新富、新川一、明石町、
さらには、銀座一~八の東、及び、六・七の西と、
かなり広範囲です。
(鐵砲洲稲荷神社・氏子エリア概略図)
この中で明石町は隅田川沿いの南端に位置し、
すぐ隣は築地、波除神社のエリアです。
因みに、銀座の西側はなんと赤坂の山王日枝神社のエリア。
こちらは皇居をほとんど囲ってしまう程、広大です。
(山王日枝神社・氏子エリアマップ)

出発。この日は雨降ったり止んだりの1日でした。

大通りを横断中。向こうに見えるのは佃大橋。
「Tシャツやジーパン、スリッパなどでも大丈夫!」
さて、明石町の神輿は町内を隈なく練り歩いた後、
連合渡御のために新富町の集合場所に向かいます。
ここから神輿が連なった状態で、
新大橋通り→入船一・二・三→明石町→湊三・二・一
と進み、順番に宮入となります。
(連合渡御順路図)
宮入の順番待ちのときには、
雨が本降りになってきました。

湊二丁目の神酒所。向こうには月島の高層マンション群。
宮入待ちの碑文谷・瑞鳳會。
どこの神輿場にも現れる方々です。
深川櫓下會さん。現会長さんは女性の方です。
宮入中。(宮入の様子はこちら)
右は鶴坂、左は神月輝(みつき)が仕切っている感じでしょうか。
神社のHPによると、
「鐵砲洲」は、江戸時代に、
京橋川が隅田川に合流する河口から南の方へ伸びる細長い洲だったが、
名前の由来は、種子島に伝来した鐵砲に形が似ていたからとも、
徳川家が入府の際、大筒の試射場であったからとも言われているのだそう。
この時代は、鐵砲洲から芝浦までが「江戸湊」と呼ばれて、
米・塩・酒・薪・炭を初めほとんどの消費物資が鐵砲洲の湊へ入ってきたため、
鐵砲洲生成太神(いなりのおおかみ)の名は、
船乗人の海上守護の神として全国に広まったのだとか。
宮入後、町会への帰り道で元気で楽しそうな櫓下さん。
明石町に戻ると、
水炊き料亭「治作」で結婚式が行われていました。
新郎はイタリア人。
2010年の様子
2008年の様子