'When a man is tired of London, he is tired of life' by Johnson
「ロンドンに飽きた者は、人生に飽きた者である」 ジョンソン博士(1709-84)
18世紀に、現在の英語辞書の元となる最初の英語辞書を執筆したジョンソン博士の家 を訪れた。
ここはジョンソン博士が1748年~1759年に居住し、英語の辞書を執筆した家だ。
地下鉄District LineのTemple駅からArundel Streetを北へ進むと、Strandという通りに出る。この通りを右折すると間もなくFleet Streetがあり、王立裁判所の立派な建物や古い彫像などがあった。
そして、たまたま英国紅茶のTwiningsの本店にも出くわした。ちょっと立ち寄ってみると、間口が狭く奥に細長い造りのお店では、スーパーマーケットでも見かける種類の何倍もの紅茶やハーブティが勢ぞろいしていた。また、1バッグ15pでばら売りもしているので、珍しい紅茶やハーブティをお試し用に買ったり、お土産に数種類を選ぶこともできる。
そんな寄り道をしながら、ジョンソン博士の家を探す。Fleet Streetをそのまま進むと、左手にガイドブックにも載っているディ・オールド・チェシャー・チーズという古いレストランがあり、その脇の道を進んで行き、Gun Powderと書かれたミニ大砲の彫刻のところを左に曲がっていったら、記念館となっている博士の家に辿り着いた。
周囲は近代的な高層ビルに囲まれており、その家だけが時代を感じさせる。家の前は工事中だったが、ここはGough Squareというエリアらしい。
中に入ると、サッチャーを思わせるような(個人的印象)、かなり年配の女性が受付のデスクに座っており、入場料(確か、学生3.5ポンド)を払うと、受付の机の後ろ側にある小さな戸棚のことを説明をしてくれた。よく聞き取れなかったが、何やらそこは、博士が美味しい食べ物を召使に見つからないように隠していた場所だったとか・・・。
そして、今は鎖がかけられているオリジナルの玄関のドアや、家の前のスクエアに建っている猫の彫刻(博士がかわいがっていた猫だということ)などを簡単に説明してくれた。
その後、4フロアある建物を見学した。階段が狭く、ゆがんでいて、建物の年代を感じさせた。
展示には、ジョンソン博士やその友人たち(俳優のDavid Garrikなど)の肖像画、所持品、博士直筆の手紙、そして、ジョンソン博士の英語辞書があった。その辞書は百科事典並の大きさで、閲覧用にテーブルの上に置いてあり、自由に閲覧することができた。各単語には必ず用例文があり、それらは、シェイクスピアやミルトン、ポープなどの文学作品からの引用文である。ジョンソン博士はシェイクスピア研究も行っていたという。
ジョンソン博士の英語辞書初版には、110,000語を超える引用文が掲載されていたそうだが、博士がなぜ引用文を収集したかを示す解説があった。
(以下、拙訳)
「ジョンソン博士の計画は、優れた英文学や技術文書からの引用を収集し、それらを規則正しく整理することであった。収集した引用文からはさまざまな言葉の意味(語義)が得られ、そこから語源や定義を追加し、辞書の執筆が進められていたのではないかと考えられる。」
ジョンソン博士の辞書を実際に見てみて、英語の試験などで英単語を覚えるときに、一つの単語のみを覚えるよりも、単語が使用されている文例があると、より頭に入りやすかったことを思い出した。英単語はそれ単体であるよりも、文章のなかにあってこそ、その意味がよりわかりやすく、生きてくるものだ。そして、文例がより興味深いものであれば、なお記憶にも残りやすい。
最上階は、確か、ジョンソン博士が実際に辞書を執筆していた部屋だった。このときは、ちょうど"Tea and Coffee in the Age of Dr Johnson"(ジョンソン博士の時代の紅茶とコーヒー)という特別展示をしていて、18世紀のコーヒーハウスの状況や、博士が所有していたティーポットやティーカップ、コーヒー用の食器などが展示されていた。
受付のところでは、ポストカードやブックマーク、本などを販売しており、"Dr Johnson said..."という小冊子と、猫のHodgeのブックマークを購入した。この小冊子には、James Boswellが執筆した"Life of Johnson"(サミュエル・ジョンソン伝)やジョンソン博士が書いた手紙などから引用された、博士の数々の名言が収められている。
そのまえがきによると、ジョンソン博士は、機知に溢れ、道徳家で人道主義であり、確固たる良識と思いやりのある人物であったと記されいる。また、自身がシェイクスピアについて執筆した文献には、「過去の時代の作家を理解するためには、現存する先入観や基準によって判断するよりも、むしろ、当時の道徳観や知的風土についてできる限り多くのことを学ぶことが重要である」と強調しているという。
以下に博士の名言のひとつを引用する
HOPE
Yet it is necessary to hope, tho' hope should always be deluded, for hope itself is happiness, and its frustrations, however frequent, are yet less dreadful than its extinction. (Idler 58)
希望
希望を持っていても失望することは多いけれど、それでもなお、希望は必要である。なぜなら、希望そのものが幸福感であるからだ。希望により挫折感を味わうことは多いが、希望を無くしてしまうよりはまだましである。









