Long time, but a second | 道標を探して

道標を探して

 ただ、そこに進んでみたい道がある。
 仰いで見たい空がある。
 踏んでみたい土がある。
 嗅いで見たい風がある。
 会ってみたい、人がいる。


 今日もいつも通り朝6時に一度起き、昨夜ベッド脇に置いていたコップ一杯の水を一気飲みして、二度寝に入る。そして数分後、まさに「私はトイレついでに起き上がりました」といったような風体で目を覚まし、トイレに行く。

 そのあと、部屋に戻ってコーヒーを淹れて、ドリップしてる机に、ドリップを終えるまでの十数秒のうちに現代文の参考書を持ってくる。カフェ向けのジャズを聴きながら、コーヒーを飲みながら、解く。答え合わせをする。



 まだ、朝食をするまで20分ほど時間がある。引き続きカフェタイム。

 朝食。弁当を持って、
「行ってきます」

 そんな行程を通過するのが、最近の平日の日課になりつつある。

 こんな生活をしてみようと思い立ったのはもう1ヶ月も前になる。最初の頃は一つ一つが新鮮に感じられたが、慣れてしまった今では、良くも悪くも流れ作業的になっていた。

 自転車で学校へ行き、それなりに眠い授業をこなす。受けている時こそ長く感じるものの、放課後になってしまえばこっちのものだ。思い返しても教師が何を言ったかすら記憶にはとどまらない、味気ない授業が連続していただけのことだった。あっという間に帰りの自転車も家の近所に入り、自宅に着く。

 今日、ブログを書こうと思ったのはこのあたりだった。庭先には口の広い植木鉢があり、残暑も終わりかけた夏に元気をなくしつつも、10個ほど実を赤くしたミニトマトが植わっていた。その近くに我が家の白いデブ猫も寝転がっていた。



 その白い猫が僕に気づいて。「にゃあ」と一言。
小腹がすいていたこともあって、そのトマトを取っては食べ取っては食べ、としながら、そういえばあっという間にこのトマトの木自身も大きくなったな、と感心していた。すると、このトマトの苗を植えたのが6月だったことを思い出して、「3ヶ月はあっという間だ」という当然のことに衝撃を覚えてしまった。

 そういえばそうだ、この僕を好いていてくれる白猫も、子猫の時があった。僕が小学生低学年の頃だ。それが今では老猫(ろうびょう)の一員になってしまっている。そしてその白猫の前の代に黒猫がいたことも思い出した。

 思えば小学校に入学して、今が高校三年生。あっという間だった。これからも、例えば成人するまで、大学を卒業するまで、果てはヨボヨボのじいさんになるまで「あっという間」なのだろうか?

 そんなことを考えていると、ふとこんなことに気がついた。
 




















  あっという間に、食べごろになったトマトを食い尽くしてしまっていたのだ。





一言
トマトを「太陽の果実」と考え始めたのは、何歳のころからだったかな?