うちの猫がさ、ご飯(ドライフード)食べてたのよ、ニャグニャグって感じに。
まあそれはいいんだけど、それを見てふと、
「あ~、そういえばこいつもうそろそろ誕生日だっけ」なんて思っちゃって
で、そういえばこいつ、誕生日プレゼントに何か欲しいものってあるんだろうかって考えたのよ。
まあ、ご飯はうまそうに食べるけど、うちの猫は、別に何が食べたいってのはないんだろうな。刺身とか鼻先に出すと「大丈夫? 腐ってない?」みたいにクンクンしてから食べて「美味しかったです、だからおかわり」みたいな顔と鳴き声するくらいで、普段は思い出すことすらしてなさそうだし。
じゃあおもちゃとか? ってこいつ割と寝てばっかりの日が多いし、遊ぶのだって飽きるの早いというか、暇つぶし程度にしか思ってないんじゃないか? って感じだし。
……もしかして、今の生活で十分?
まあそうだよな、こいつらって食べたい時に食事して、寝たい時に寝て、外に出たい時に外出して、構って欲しいときにゴロニャンして。
多分、こいつらが望むのは自由な時間だけなのだろう。それでたまにその気まぐれさで人を癒して、ご飯をもらって。
でも決して猫は自由って概念をなおざりにはしてないと思う。
人間はそこを踏み違えて「自由だから何をしてもいい」だの「お前の身勝手が俺を不愉快にさせる」だの言ったりやったりするけど、猫は3年もすればちゃんとその踏み違えてはいけない関係を理解して、自分の制御できない欲求をその自由な枠の内側に持ってきたりはしない。
きっとこいつらが欲しいのは自由な時間だけなのかもしれないな。
こいつらが時折物凄く崇高に感じるのは、その単純な無欲さと、こいつらが寝ているときに感じる「もしかしたらこの平和な感じは永遠なものなのかもしれない」という気持ちと一緒にある物凄くやわらかな感覚からなのかもしれない。
そんなことを、今日は身近に暮らす、家族というか、友達というか、同輩のような奴に教えてもらった。
こうやって他の生き物に学ばせてもらっていると、どんどん「やっぱり人間って馬鹿だな」と思えて、でもそんなことを教えてもらっている自分は嫌いじゃないってことに気づかされたりして。
高校の教師は嫌いだし、自分も他人も苦手だ。まあ例外の友達も数人ほどはいるけど。でも、猫というか、人間以外の生き物は、好き。どんなやつでも自分の心に壁を作らないで素で接することができるから。
人は嘘をつく。でも、木や草やトカゲやクモや魚や猫や犬や空や大地は嘘をつかない。
そう考えると、やっぱり人間って程度というか、レベルが低いなって思う。人間至上主義みたいな考えが大半なんだろうけど、俺はそうは思わない。
だって人間は森林を馬鹿みたいに切り開く、火を燃やす、水を汚す。
人間も猫みたいになれれば、もっと人々は幸せに、個性的に、自由になれるのに。
こんなにも薄汚れた世界に住んでまで、俺たちが欲しいものってなんなの?