Bonne année 2022! | アラフィフからのパリ生活 

アラフィフからのパリ生活 

何かのご縁で現在はパリ在住。フランス での日々のこと、感じたことを綴っていきたいと思います。

大晦日の朝焼けの空。息を飲むような、魔法がかった空の色!

 

 

Bonne année!

 

明けましておめでとうございます。

新しく始まった年が、みなさまにとっても健康で心穏やかに過ごせる日々でありますように...。

 

 

 

年越しは一人で静かに過ごしたい...と前回のブログに書いたとおり、夜は思い通りゆっくり自分に向き合う時間を過ごすことができました。

フランスでは友達と集まって賑やかに過ごすのが定番だから、私の年越しはかなり地味なものでしたが、自分を丁寧に扱ってあげたことと、大事にしてもらったこと(やってあげる方も、してもらう方も同一人物ですが)の両方の立場の満足感と幸福感を味わえたのが、しみじみシアワセでした。

 

 

実際、何をしたか...と言うと、大したことはしていないけれど(笑)、ちょっと書いておこうと思います。

 

日中は、スーパーへお買い物。

自分に「何食べたい?」と聞いて、本当に食べたいなと思うものを買いました。

この時「それ作るの、面倒だな...」などという思いが浮かんできたら、「そんなこと言わず、自分をおもてなししなくちゃね」と自分に言い聞かせることも大事!

つい一人だと面倒くさくなってしまい、結果的に自分をないがしろにしてしまうことを反省しながら、まずは些細なことからやってみる... という思いもあります。

 

 

大晦日の何かと忙しい時にやるべきことではないけれど、毎回気になっていた室内の観葉植物を植え替えることもやりました。

これは、水やりの度に植木たちが窮屈そうにしている感じがし、ずっと前から気になっていたのです。

ちょうど年末は最高気温が14〜15℃(!)という、異例の温かさだったこともあり、ベランダで土いじりするにはもってこいだったこともあり、いくつかの植木を大きな鉢に植え替えてあげました。

その後はベランダもきれいに掃除して、毎回窓の外に目をやるたびに清潔なベランダが視界に入って、大満足!

きれいに掃除をするだけで、そこに漂う空気までもがすっきりクリアになる感じがしますよね。

 

 

 

ずっと暖かい日が続いていたので、公園には早くも花が咲いてました!

 

 

その後は、丁寧に紅茶を入れ、優しい香りのするキャンドルを灯して、自分のココロと向き合う時間を作りました。

日記のように、時々自分の気持ちや考えていることを書き綴っているノートが私のお相手。

特に心がごちゃごちゃしたり、思いが溢れるような時に、このノートにいっきに思いを書くことが私のセルフ・セラピーでもあります。

大晦日にこのノートに書きながら、自分の心の中にある不安な気持ちや、足踏みしてしまっていることなどを吐き出して、心を身軽にして新しい年をスタートしたかったから...。

 

 

正直なところ2021年は、離婚に関する諸々のことが進まず、コロナウイルスにより旅行や人と会うことが思うようにできなかったこともあり、閉塞感に囚われる要因がたくさんあった年でした。

だからこそ、自分ではどうにもならない不安材料を、日記に書くことによって明確にするだけで一種の「断捨離」になるから、新しい年を迎える前にどうしてもやっておきたかったのです。

 

もちろん新しい年、これからの自分の人生はどんなことをしたいか、どういう風に行きたいかなど、前向きで気持ちが明るくなるようなこともいっぱい書きましたよ。

 

いずれにしても、カラダもココロ健康でいることが大切だなぁ...としみじみ思います。

特にアラフィフという自分の年齢を考えると、今日こうして健康でいられることが本当にありがたいのです。

 

 

大晦日の夜は、「食べたい!」と思ったものを丁寧に作っていただきました。

日付が変わる時を、文字通り身も心もすっきり迎えたかったので、だいたいシャワーで済ませるのですが、この日はゆずの香りの入浴剤を入れてゆっくりお風呂にも!

また、年越しそばも準備して...。

 

 

暖かく、決して広くはないけれど、私にとっては居心地のいいアパートのソファで寛ぎながら、一人で過ごす2021年の大晦日。

膝の上には、ねこのマーニーが、これまた気持ちよさそうに寝ていて...。

 

知らないうちにごちゃついていた自分のココロの中も、しっかり整理してスッキリしているし。

今自分がいる位置のようなものが、しっかり分かったような...。

だから、これからどこに向かえばいいのかも見えてきたような...。

そんな心持ちになることができて、私にとっては最高の年越しになりました!

 

 

...まあ、大晦日に限らず、いつでもできることばかりして過ごしただけですが、ありがたいことにしみじみシアワセを感じることができた「私の年越し」でした。