「日本を教育した人々」 | オーストラリアTESOL留学への挑戦☆
- 日本を教育した人々 (ちくま新書)/齋藤 孝

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この本は吉田松陰、福沢諭吉、夏目漱石、司馬遼太郎について書かれている。
特に、教員としては、吉田松陰について書かれたところで印象に残った文章を抜粋しておきたい。
「いろいろな時間にバラバラと五月雨式にやって来るのを厭わず、松陰は一人ずつ相手にした。いまのような一斉授業の形ではなく、どちらかというと討論とか対話という形を取らざるを得なかったのである」
→確かにそう思う。50人とか40人とかの生徒を相手に授業をしても、一人ひとりに合わせた授業には限度があり、誰かを切り捨てないといけないか、上の生徒を待ちぼうけにさせるか。それも教師としての私の技量がまだ未熟だからかもしれないけど、松陰のスタイルは私の理想。
「教育とは学ぶ側の自由意思が重要である。マインドコントロールのような形ではなく、自由に出入りができる形で、精神的な影響を与えるのが教育である。だから教育者にとって、対話能力は不可欠になってくるのである。」
→この「マインドコントロール」という言葉が強烈だった。ある意味、受験だ、就職だって言って生徒たちのゴールは大学合格だとマインドコントロールしてるんじゃないか、と言われても今の学校は否定できないだろう。
「大切なのは、現在自分たちがどのような状況に置かれているのかという問題意識と、これから何をすべきかという課題意識を教師が強く持っていて、生徒たちに発することである。つまり問題意識や課題意識を、相手に喚起させることが教育の狙いなのである。」
→まさにそうだと思った。特に今の子供たちの将来はいろんな課題が今以上に出ていると思う。その危機感を教師自身が常に感じ、それを伝え続けなければならない。でも私が教員をしているときは、心の隅でわかっていながら、そこまではできなかった。日々の授業に追われていた。世界を見る視野の広さと子供たちの将来を見据えた日々の授業ができる教師になりたいと思った。
「松陰が伝えようとしたのは、今自分がどういう世界に生きて、何をしなければならないか、何を使命として生きなければならないかという意識だった。その使命感に対するセンスがなければ、学問をしても意味がない。もし学問をする意味があるとすれば、そのような使命感を自覚するところにある。」
→これは私たち大人にとっても難しいところではある。生徒たちより大人のほうがどういう世界に生きているかはわかる。ただ、何を使命として生きるかは、大人でもわからない人が多いと思う。それを生徒たちに考えさせ、使命を持たせ、学問をさせる、そこまでの教師がたくさんいたら、日本の将来は変わっていくと思う。
「普段は忙しさにかまけているが、思い切って国を出て学問をするなら、その成果も百倍になるだろうと主張しているのだ。」
→最後のこの抜粋は、まさに自分がしようとしている大学院留学を肯定してくれているようで心強い言葉だ。確かに日本で働きながら学び続けることもできるし、日本の大学院に留学もできる。でも、世界をみないと視野がどんどん狭くなる気がしたし、世界にいっぱいいる英語教師と出会って刺激をもらいたいと思ったから、留学を決めた。

