観劇からだいぶ時間が経ってしまいましたが、やっとやっとレビューです。
演出…グレゴリー・ドーラン
脚本…マイク・ボウルトン
ANJIN 按針 イングリッシュサムライ
Cast
徳川家康 市村正親
按針(アダムス) オーウェン・ティール
宣教師ドメニコ 藤原竜也
慶長5年(西暦1600年) オランダ船リーフデ号が日本(現在の大分県沖)に漂着したところから舞台は始まります。外国船が漂着したと聞きつけた徳川家康は早速乗組員に状況の説明をしに来いと命じます。
容態の良くない船長に変わり、航海長のウィリアム・アダムスが家康のいる大阪に通訳の宣教師ドメニコと向かうこととなります。
これが按針と家康の出会いとなり、その後約20年に及ぶ按針の異国の地…日本での劇的な生活の始まりとなります。
ここでちょっと日本史のおさらいです。
アダムスが日本に漂着した1600年、つまり慶長5年。この年の秋にあの関ヶ原の戦いがありました。
1603年 家康は征夷大将軍となる
1607年 家康は秀忠に後を譲り、駿府に引退
1614年 大阪夏の陣
1615年 大阪冬の陣 豊臣家の滅亡
1616年 家康没
按針は日本が大きく変わろうとする時に謀らずも日本に漂着し、時代を変えた徳川家康と出会い、歴史に大きく係わっていったのです。
そして、もう1つ大事な事は、この時代のヨーロッパの『宗教』です。
按針の乗った船、オランダ船リーフデ号が漂着する以前、日本で交易していたのはスペイン・ポルトガル(彼らはカソリック)でした。しかしリーフデ号が漂着した後はオランダ、イギリスといったプロテスタントの国々が交易を始めるようになって来ます。
この宗教上の対立と日本の歴史が変わろうとする時代がこの舞台の背景です。
さて、さて、これだけの時代背景を踏まえて、やっとこの舞台が理解できる様になります。
アダムス(按針)はイギリス人、当然プロテスタントです。
彼の側近くで家康との通訳を務める宣教師ドメニコはスペイン人のイエズス会で修道士の修行をしています。当然彼はカソリックであり、由緒正しい北条氏の末裔でもあります。
アダムス(按針)はドメニコと大阪で家康に対面します。
天下統一にあと一歩、権力の頂点に立とうという家康にアダムスは彼の庇護を願います。
家康もまた、アダムスの語る西洋の文化、天文学や砲兵術に興味を持ちます。
そしてそれ以上にアダムスの人柄に魅かれ、オランダ船リーフデ号の船員を全員解放するように言い渡します。
スペイン人たちはこの決定に非常に落胆し、密かに豊臣方へ味方するようになります。
天下統一を目指す家康は関ヶ原の戦いで豊臣に勝利します。
この天下分け目の戦いで勝敗を決めたのはアダムスが乗っていたオランダ船リーフデ号の大砲であり、戦術でした。アダムスは勝利の褒美に妻子が待つイギリスへの帰国を望みますが家康は許しません。
そして、宣教師ドメニコもまたこの天下分け目の戦いで、自分の中に押し込めていた「武士」としての本性に目覚め、神に仕える自分と戦いに胸騒ぎ、血踊る自分とに悩むようになります。
家康はアダムスを側から離さず、船を造らせたり、西洋の文化を語らせたりと寵愛しますが、アダムスは妻子恋しさのあまり帰国を画策し、家康の逆鱗に触れることとになります。
が、すぐに許され按針という日本名と三浦を領地として与えられ、帯刀を許される旗本身分となります。そして英国に妻子がいるにも係わらず日本人の妻を娶れと勧めます。
ドメニコは故国に残した妻子を裏切ってはいけないと按針に諭しますが、按針は家康の勧めを受け身の回りの世話をしていた雪を妻に迎えます。
袴を身につけ、刀を差し、武士らしく堂々とした態度で外国商人に対応する按針。
彼らは按針を通さなければ、家康と話ができなくなっています。
そんな中、家康は徳川の天下をゆるぎないものとするため夏の陣、冬の陣と打って出て、豊臣家を滅亡に追い込みます。
家康の後を継いだ秀忠は反キリシタン政策を強く押し出して行きます。ドメニコの教えでカソリックになっている按針の妻や家臣たちには辛い日々がやって来ます。
そしてドメニコ自身も武士として夏の陣で手柄を立てながらも、キリストの教えを捨て切れずにいるため危険が迫ってきます。
按針は家康に帰国を許されるも自分の中に芽生え、根づいた日本人としての精神が同国のイギリス人と相容れないことに気が付きます。
鎖国の扉が閉まるその時、按針が選んだ道は………
長くなりました。
ほんと舞台も実に長かったのです。
休憩を挟んで3時間以上の舞台。
正直、最後はお尻が痛くなってしまいました。
隣の男性は1幕途中から爆睡☆苦笑
前から6列目中央の最高の席での観劇となりました。
感想は次回に。。。。。。。
でも、もし一言で表すならば
『欲張り過ぎ』
詳しくは次回に………


