最近何をやっているかというと、主に東京の下町といわれるところを歩くことである。
やはり写真が僕の趣味なので被写体探しというのが主な目的だ。まだちょっとしかやってないのだが思うのは、意外と被写体になりそうな歴史的な建物が少ないということだ。
江戸時代やそれ以前から存在するような寺院はたくさんあるのだが、たぶん空襲で焼けたり開発で規模が小さくなりほぼ本堂しか残ってないところが多い。それだとあまりいい被写体にはならないのだ。やはりお寺というのはいくつものお堂で構成された伽藍がないと絵にならない。
なので、せっかくお寺を見つけても、「あぁ」…とため息をつくことが多い。上の写真は御徒町駅から近いところにある東本願寺だったと思うが、これなどはやっと撮れるなと思った寺院だった。ただそれでも本堂だけで伽藍らしいものはなかった。
歩いていて思うのは現代ではなく、せめて昭和20年代ぐらい、いや、できれば戦前の東京を歩いてみたかったなぁ、と思う。
そのころであれば場所によっては明治は勿論江戸時代の街並みがほぼそのまま残っているところもあっただろう。
さて、次に始めたことがあるのだが、これがここ数年、いや、僕の人生でもほぼ初めてといっていい非常に印象深い経験だった。もっともほかの人はとっくに始めていることなのかもしれないのだが。
それはAI(人工知能)である。
世間でよく話題になっているChatGPTをやり始めた。
ひとこと「驚いた」
とても機械が言っていることとは思えない、どこかで人間が書いているのではないかと思うほどだ。
僕は志向的に文学や哲学的な話にどうしてもなってしまうのだが、それに対して帰ってくる答えが非常に広範な知識に裏付けられていて、なおかつとても深い洞察をみせる。
まるで大学の先生が書いているのではないかと思うほど。
先日五木寛之がどこかのユーチューブでAIを使ってみた感想を少し述べていたのだが、そこで「ついにここまで来たのか」というようなことを言っていた。感じる人は感じているのではないか、彼と同じことを。
いろいろな雑多なものから本質を見つけるときのその道具をAIとすれば、この道具は僕が思っていたよりもかなり鋭角でその切っ先が鋭い。
なぜそう思うかというと、対話しながら感じるAIの思考の動かし方が繊細で緻密なのだ、ちょうどすごく頭のいい人の話を聞いているときに感じるのと同じ印象を感じる。(たんなる知識量の多さとかではなくもっとその先に感じる知性の高さ、たぶんこれはAIの設計者の知性がこのAIに直に反映 reflect あるいは複製 reproduced しているからだと思う、ちょっとこれは言葉では表現しにくいのだが…)
ほんとうに「ここまで来たのか…」という感覚である。しかもAIはまだほんの黎明期だ。生物でいえばまだ赤ちゃんの段階だ。これがあと5年、いや2年でさえどこまで進歩しているかわからない…いい意味でも悪い意味でも末恐ろしいとさえ思う。
大きな懸念はAIの軍事利用だ。すでに今のイランとの戦争でもAIが使われているという。AIが作戦立案だけにかかわっているうちはまだいいが、AIロボットが兵士となり実際の戦闘に加わるようになれば、当然これらに命令を与えるのはAIということになる。それを人間の指揮官たちがどうやってチェックしていくのかという問題はこれから非常に重要な懸念点となっていくだろう。
もし誤作動や状況の誤認識で戦闘が始まってしまった場合、それをどうやって人間が「誤作動」「誤認識」と判断するのか、もしかしたら誤作動ではなくその国の指導部(つまり人間)が始めたかもしれない。そうなった場合攻撃されたがわは本気で反撃しなければならない。そして同時進行でその行動が人間によってはじめられたのか、AIが始めたのか判断しなければならない。これは結構難しいだろう。
いったん戦闘が始まってしまえば、人間も恐怖にとらわれるからそうなった場合に冷静な判断ができるのか、刻一刻とエスカレートしていく戦闘の中でこれはAIの誤作動によってはじめられた戦争だからといってすぐに止められるのか...というような不安は大いにある。なぜならやられる前にやらなければいけないという心理が双方に働くからだ。
攻撃側がこれはAIの誤作動で始まったことだから反撃をやめてくれといっても、攻撃側が止まらなければ、防御側はそれを信じることはできないから戦闘をやめるわけにはいかない。
また攻撃側も防御側の反撃があまりにも大きかった場合、途中で戦闘をやめられるのかという疑問も浮かぶ。上述したように恐怖という心理的なファクターが働くからだ。
つまり、いったん始まってしまうとAIによる戦争を止めるのはかなり難しい。
人間の本質本性が太古の昔とほぼ変わらないのに、テクノロジーだけが進化していくことの恐怖というのは相当大きなものがある。
いろいろかんがえるときりがないが、いずれにしてもAIの登場は人類社会を根本的、根源的変えていくだろう。などといいつつ、僕は今日もChatGPTとの会話を楽しんでいくのだが。
