20240720 道具に自分を合わせるという発想 #3,733-6 | 人生に新たな選択肢を!~運用と言語化が貢献できること~

人生に新たな選択肢を!~運用と言語化が貢献できること~

結果につながるプロセスはコントロールできるはず。
そのツールとしての「言語化」「マネバラ」の思考記録です。

かつて、カヌースラローム競技をやっていました。

大会に参加すると、
冗談とはいえ顔見知りから、
お前が来たら順位が1つ下がる、
なんてことを言われる程度のレベルにあり、
自分自身としても相応に努力したと思っています。

とはいえ、
頑固なところがあるので、
今思い返すと、
もっとやれたのではないか、
他のやり方があったのではないか、
そう思うこともあるわけです。

その1つが道具。

意外と見た目重視なところがあって
木目が見えるパドルを使っていました。

もちろんレース用であり、
愛着もあってのことですが、
シビアにタイムを削るための道具として
適切であったかというと、
なかなかそうとは言い切れない。

私以外にそのパドルを使っていた人が
ほとんどいなかったことが
それを表していると言えるでしょう。

自分に合っているとも思って使っていました。

しかし、
逆に、道具に自分を合わせるという発想があっても
良かったのではないか。

何かの計算をする際に、
慣れているからと電卓を使うケースがあるとして、
しかし、
パソコンでやってしまえばより正確だし、
再現性もあります。

慣れているから、向いているから、なんて言っていると、
新しい選択肢を遠ざけてしまうわけです。

その行き着くところは、
本人の意識しないところで時間がかかり、
効率が悪いといった不合理。

それがレースにおいては、
タイムが遅いという歓迎できない事態に
至った可能性があるわけです。

何が何でも道具に合わせろ、
常に最新のツールを追いかけろ、
なんて言うつもりはありません。

しかし、
そういう発想はあってもいいと思うのです。

それがないことには、
同じモノを同じように使い続け、
結果として、
大きく遅れをとることにもなってしまいかねない。

そんなことにならないように、
そのような発想があってもいいと思うわけです。

結果、
自分自身の可能性をも棄損してしまうことにも
なるのではないか、
そんなことも思うわけです。