20240527 自己肯定要求が強まるのはあまりいい傾向ではないのかもしれない #3,679-6 | 人生に新たな選択肢を!~運用と言語化が貢献できること~

人生に新たな選択肢を!~運用と言語化が貢献できること~

結果につながるプロセスはコントロールできるはず。
そのツールとしての「言語化」「マネバラ」の思考記録です。

自己肯定感とは
強弱こそあれ、常にあってほしい感覚です。

自分は価値ある存在である、
人の役に立っているし、貢献できている、
そんな自己肯定感こそが
あるいは生きる源泉であり、
さらには生きる意味だと捉えていいのかもしれません。

しかし、
自己肯定感が高いことと、
自己肯定欲求が強いことは切り分けて考えるべきでしょう。

自己肯定欲求が強いのは
あまりいい傾向ではないのかもしれない。

それは
自己肯定感が低いことの裏返しかもしれず、
あるいは、
自身の認識に相応する自己肯定感が
得られていないことの顕れかもしれないからです。

つまりは、
不足しているからこそ欲しくなる。

そして、
世の常として、
そんな不足に対して様々な商売が成り立ち、
そこにつけこむ人も現れ、
さらには利用し、
あろうことか悪用する人も出てくるわけです。

では、
どうすればいいのかというと、
生憎その答えは持ち合わせていません。

それでもなお、
1つ言えることがあるとすれば、
自己肯定感を他者に求めないことでしょう。

自分の機嫌を自分で取るように、
自己肯定感も自ら育んでいくこと。

それができれば苦労はないという声が
聞こえてきそうな気がしますが、
それもまさにその通りなのでしょう。