仕事というと様々な定義があるかと思います。
その中には単なる作業もあるでしょう。
例えば、
作業を卓球に例えるとするなら、
飛んできた球を打ち返すのが作業だと言えます。
では、
狭義の仕事はというと、
球が飛んでくる頻度を下げることであり、
あるいは、
そもそも飛んでこないようにすることなのではないか。
つまりは変化をつくり出すことです。
これまで1時間かかっていたものを
30分でできるようになることです。
できてなかったことが、できるようになることです。
あるいは、
できていなかった状態を
できている状態に導くことです。
その意味において、
狭義の仕事と作業とは
明確に分けられるものでしょう。
それらしく言うなら、
付加価値をつけることというのかもしれません。
そして、
すべての知識労働者は
誰にでもできるような、
あるいは、
誰かに取って代わられるような作業ではなく。
仕事をしなければならない。
もちろん作業は必要です。
ですが、
知識労働者であるならば、
これまで同様の単純な繰り返しや
ほかの誰かや機械に取って代わられるような作業ではなく、
仕事をしなければならないのです。
そして、
多くのことが機械やAIが代替できる状況になってきた今、
すべからく人は知識労働であり、
感情労働を求められていると言えるのでしょう。