悲劇のヒロインを満喫していたころのワタクシ、
(もちろん、まだまだ満喫中ですが
)
こんなことを ほやんと考えていました。
『生きたくない人は、誰かの誕生日に無感動だ。
今を楽しく生きてる人は、誰かの誕生日を それはそれは喜ぶ。
今を楽しく生きてる人は、「おめでとう」を伝えることにためらいがない。
生きたくない人は、お祝い事に無感動、ヘタしたら嫉妬してる。
それでも「おめでとう」というのは、
・人として言わなきゃいけない。
・ほかの人が言ってるから、言っておこう。
・見返り目的
・ただの思考停止
自分が生きてることがただの苦痛でしかない人に、
生まれてきたことの何がめでたいんだ?としかならない。
フツーに、わからない。
そして、祝ってもらう価値がないと思ってる。
「自分には価値がある」と思いたい。
だけど、欲しいものを受け取ってこれなかった私には、
受け取る価値もないし、受け取り方もわからない。
何が欲しいのかも わからなくなってる。
順調に毎日を過ごしていると、
ある日ある時 その日常を壊したくなる。
自分を殺したくなるのだ。
でも自殺は怖くてできない。
だから代わりに大事なものを壊すのだ。
日常、人間関係、お気に入りのもの、
壊すと、スッキリした気持ちと後悔のないまぜ。
でもそれが生きている実感だったりする。
壊したい。捨てたい。何も持ちたくない。
人付き合いもいらない。愛想を振りまきたくない。
「ニコニコしてなきゃ」とか「明るく優しく」とか
「気分を害さないように」とか
「私が頑張らなきゃ」とか「率先してやらなきゃ」とか
「丁寧に教えなきゃ」とか「アレもコレもやっとかなきゃ」とか
もう全部捨てたい。いらない。
イイ人、いやだ。しんどい。
どうせ私はやる気のないダラケきったやつだよ。
何の役にも立たない。ゴクツブシだよ。』
。。。
。。。。。。
拗ねが過ぎておりました (-_-;) 。。。
(きれいな海の写真でごまかしましょう・笑)
周囲の人間への恨み妬みつらみ、魑魅魍魎のように渦巻いておりました。
ストレスも体調不良もバンバンきてたのに、
認めようとせずに、似非ポジティブで乗り切っていました。
これって、
・どうすれば自分が満たされるかわかってるけど、素直に認められない
・何をしたら満たされるのかわからないけど、ものすごく虚しい
そんな気持ちからきていて、
足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない私にもくれもっとくれもっとくれもっとくれもっとくれもっとくれお前ばっかりずるいお前ばっかりずるいお前ばっかりずるい足りない足りない足りない足りない足りない足りない
っていう黒呪文を、自分にかけてるんですよね、、、
吐きそうな呪文だわ(-_-;)
今の私は、何をどうしたら自分が満たされるのかが、ようやくだいぶわかってきたので、
黒呪文を唱え始めても「うぉっΣ( ̄□ ̄|||)」 って気づけるようになりました。
だけど、「いらないのに欲しがる」「与えてもらってる人をうらやむ」という欲しがり癖はまだまだひょっこり現れるので、
猛獣をなだめるように、よしよしヾ(・ω・`)しながらなだめています。
これほどまでに他人を妬むことができるのも、一つの才能だと思って、
これからも付き合っていきます。
