公立の小学校で学力別クラス制度を導入となったら、あちこちで大反対コールが沸き起こるんだろう。

徒競走で1等とか5等とか、つけちゃいけないらしいから。

じゃあ徒競走自体、走らせなければいいんじゃないの?

走った子は自分が何番だったか知ってるし、見ている人達も全員知ってるでしょ?



その理論なら、試験も受験もなしにしなきゃいけないだろう?

大人って、キレイゴトで済ませようとするけど、それってどういう心理なんだろうか?

「子どもに見せたくない番組」「子供に見せたい番組」って、あれも面白い。

前者は人間のキタナイ面を見せる番組、後者は賢くなったと錯覚できる番組だ。



そもそも「生きる力」をつけるために、ゆとり教育は始まったはずだ。

「生きる」って何?

キタナイ中でたくましく生活すること

じゃないのだろうか。



衣食住には裏がある。

衣:服を着て一日生活すれば、体が汚れるから、お風呂でキレイにする必要がある。

食:一日3度の食事をすれば、それに伴って生ゴミは発生するし、排泄もする。

住:物を出せば散らかるし、ホコリ・汚れは掃除しなくちゃいけない。

そう考えると、人の三大欲求などキタナイものだけど、避けて生きられない。



キレイな表だけ教えて、キタナイ裏を教えないのって、何も教えてないのと一緒だ。

自分を、大人を、良く見せようとしているのと同じことだ。

本来の姿じゃない、美化され歪曲したものを見せているんじゃないだろうか。

大人はそんな姑息な人間だって、子供達は見抜いているんだよ。
小学生の時、学校って超つまんなかった。

勉強ができたので、授業が簡単すぎて楽しくなかった。

「この問題、わかる人」と言われ、僕だけが手を挙げても、先生は僕を無視した。

僕は「はい!はい!はい!はーーい!!」と言って目を合わせようとしても、先生は断固無視してたなぁ。



あとで知った話だけど、その先生はうちの親に「おたくのお子さんは、学校の勉強では不足だと思うので、早いうちに塾に行かせた方がいいと思います」と言ってくれたようだ。

そのせいだろうか、僕は小4から塾に通った。

塾は超楽しかった。

勉強って面白い!自分よりできるヤツがいる!って、世界が広がった。



将来東大に行くような生徒と、勉強大嫌いで学力低い生徒が、小学校では同じクラス。

しかも40名くらいの生徒をたった一人の先生が教えるって、無理がありすぎる。

同じ問題や内容を同じペースで学んでいくなんて、両者にとって苦痛だろう。

それって仕方ないじゃん、ではすまない問題だと思っている。



小学生が学ぶべきものってたくさんあるけど、そのうちの一つは「学ぶって楽しい」ってこと。

知らないことが、少し努力すれば「わかる♪」に変わるんだ!

昨日まで知らなくても、少し勉強すれば「そんなこと当たり前じゃん!」って言えるんだ!

シンプルで一生ものになるほど大事な要素だけど、学力別クラスにしない限り難しい。
以下、Wikiから引用したものを端的に書きます。

ゆとり教育によって導入された「総合的な学習の時間」は教員や児童・生徒の力量・意欲が高い場合は成功しやすく、そういった要素に左右されるという欠点を持つとされる。

ただし、基本的に総合的な学習時間の何を成功・失敗の評価基準とするのかという問題も存在する。

実際、総合的な学習の時間を有意義に使う学校もある一方で、単に不足している授業時間の補完など学力向上に使うなどという所も少なくなかったとされる。

また、基礎学力が低い生徒は「総合的な学習の時間」の目的とされる、「主体的に考える力」なども低くなる傾向があるという指摘もある。



当たり前だよねと思うし、前からそう思っていたその通り。

ゆとり教育の柱となる「生きる力」を身につけるために必要とされる「主体的に考える力」。

そのための手段として、各校がアイデアを出して「総合的な学習の時間」のカリキュラムを作る。

ただし「主体的に考える力」なので、基本的に課題自体は生徒が考えるわけですね。



課題を考えるって、要するにスタートからゴールまでを頭の中で構築する力が必要なわけです。

大人だってまともにプレゼンできる人は少ないはず。

まだ基礎学力がほとんどついてない子供は、最初に必要なことは基礎となる勉強であり、ひたすら覚えること。

考える力っていうけど、考えるノウハウだって最初はマネですよ。



それに「総合的な学習の時間」のカリキュラムを作るのって、教師にとってどれだけの負担増だろうか。

公立の教師ほど、割に合わない公務員っていないと思う。

当然そのしわ寄せがあるはずで、授業や生徒指導の質が低下したって不思議じゃない。

何事も基礎が大事だってこと、偉い人がま~~ったくわかってないんだよ!!!