ゆとり教育

2011年になったので、これを取り上げたかった。

2011年度から始まる新学習指導要領、いわゆる「脱ゆとり教育」。

上の子が小学生だし、他人事ではない。



なぜゆとり教育が生まれたかを振り返る。

年々増悪する社会問題に対して、これはきっと教育が悪いんじゃないのか?というふうに、偉い人達が考えた。

知識重視型の日本の教育方針、いわゆる「詰め込み教育」にもっとゆとりを持たせようと思った。

ここまでの過程は概ね間違ってない気がするが、その結果というか、実際どうしたか、どうなったかが問題ありだと思っています。



ゆとり教育で学力が下がったということですが、本当に下がったのかというと、おそらく不明です。

同じ母集団で学力の優劣つけるなら明確ですが、世界的な調査なんて大規模なものが、どれだけ信頼性があるのか。

それに学力が少し下がったとしても、そんなものは生きることや国際競争力には影響はないでしょう。

ポイントはますます二極化が進んだことで、勉強できる/できないの価値が努力以上に年収が多い/少ないになったことだと思います。



子供の立場になって考えると、すぐに分かることです。

勉強に興味ない子、嫌いな子なら、授業や試験が楽になれば、下らない事をする時間が増えるだけです。

大学受験を目指す子なら、授業や試験が楽になった分を、塾に通ってカバーしなくちゃならなくなっただけです。

全人的な「生きる力」の育成を目指したはずのゆとり教育は、一体何をもたらしたのか、もう少し続けたいと思います。
僕の座右の銘は「中庸」

中庸の本って思わず「薄っ!」というくらい、買い応えのない本で、大学と抱き合わせになってるケースもある。

だけどね、読み応えは満点。!

まだ読んだことないなら、安いので是非!



「中庸」の「中」とは「偏らない」だが、過不及の中間をとりさえすればよいという意味ではない。

よく、中途半端や50対50の真ん中と勘違いされている。

中間、平均値、足して2で割るというものではない。

常に、その時々の物事を判断する上でどちらにも偏らず、かつ平凡な感覚でも理解できるものである。

--wikiより引用&少し改変



じゃあ偏らないためにどうするか。

それは「突き抜ける」ことだと思っている。

例えば真っ暗な部屋の中心はどこかと問われた場合、手探りで壁を探し当てて、部屋の全体像を把握しなければ、部屋の中心はわからない。

突き抜ける、あるいは失敗するということは、そこから先には中庸はないと知る最強ツールだと思っている。



突き抜けるために何をするかというと、無茶をする(‐^▽^‐)

あり得ない!絶対無理!死んだ方がマシ!気が触れるかも!そのくらいの事をやるとちょうどいい。

実際にやってみて、どうなったか?何を感じたか?をストレートに受け入れる。

「生きる力」については、別の機会に書きます。
今年一年を振り返ると、あまり良くない年でした。

うまく行かないことばかり、そんな感じでした。

その時は「うまく行かない、ついてない」と感じてましたけど、こうして一年を振り返ってみると、実は良かったと思っています。

負け惜しみに聞こえそうですが、本当にそう思っています。



考えていたことが、ことごとくボツになりました。

その時はショックあり、落ち込みありでしたし、悩み、苦しみました。

しかしその結果いくつかあった選択肢が消え、「最高にして画期的な方法」を思いつくことができたのです。

おかげさまで、来年2月には念願の分院が開院予定です。



失敗って、諦めることなんだと思います。

何度失敗しても、うまく行かなくても、もっと良い方法を思いついて邁進すれば、いつか夢が叶うのかもしれません。

少々大袈裟ですが、私は現在の仕事に命を懸けていますので、どんな状況でも諦めることはありません。

時間がかかったり損したりはあっても、死ぬまで理想を追い求め、信念を貫きます。



今までなら「神様がまだ早いと言ってるのかな」とか「誰々のせいでうまくいかなかった」とか、自分にとって都合のいい解釈をしていたのですが。

今思い返すと、うまく行かずに八方塞がりになった時、「現状」を受け入れるよう努めました。

目をそらすことなく今に生きて、状況を客観的にとらえた上で、深いところにある情熱を注入した、そんな感じがします。

ブレイクスルー、壁を突き破るという感覚が、少しわかった気がした一年でした。



見方を変えると、神様/宇宙から、「オマエは本当にそう思ってるのか?。ならばこの状況ではどうじゃ?。お、まだ粘るか、ならこの状況ならどうなのじゃ?」と試されていたようにも感じます。

自分がやりたい事に対して、それに見合った情熱・覚悟・努力を求められるような試練。

口で心で「やりたい!」と言うだけじゃない、行動で示した


どうしてもやりたいんだ~! 誰にも邪魔させない~!


の叫び。

次々に現れた壁が一瞬にして消えたら、目の前には想像以上の状況が用意されていた。

きっとこの道を突き進むためには、もっと壮絶な情熱・覚悟・努力が必要なのだろう。

武者震いがするけど、それでも前に進む。

うまく行かないことも、きっとたくさんあるだろう。

その時は、ブレイクスルーした感覚を思い出そう!



最初に「今年一年を振り返ると、あまり良くない年でした。」と書いたけど、客観的に見たらそうだという話で、実際は今年ほど得難い出会いを経験した年はない。

Angela lalaさんのおかげで生まれ変わり、このブログを始めた。

他にも良い出会いがたくさんあった。

何よりブレイクスルー後に、導かれた運命の出会いがあった。



なんとな~くだけど、40年生きてきた「勉強」に対して、これからの3年間が「試験」という気がしてる。

ブレイクスルーは、神様から「本当にその難易度の試験受けるのか?本気なのか?」と試された結果、受験許可をいただいたようなもの。

僕はまだ何もしていない。

とにかく前へ! いつも自分らしく!