5日前、出張で佐賀に行った。

仕事が終わり帰宅の途についた時間は、予定より少し早かった。

佐賀駅から福岡空港へ向かう高速バスは、予定より1つ早い便に運良く乗ることができた。

もともと、予定していたバスは時間に余裕を持っていたため、もしかしたら1つ前の飛行機に乗れるかも。

そう思いながら、車窓からの風景を眺めていた。

午後の高速道路は混雑することもなく、僕が予想していた時間通りに空港に到着した。



運良く1つ前の飛行機に間に合えば。

そう思いながら、チェックインカウンターへ急いだ。

列に並びながら掲示板に目をやると、出発予定時刻の25分前だったが、満席となっていた。

順番になり女性にその旨を伝えると、あいにくキャンセル待ちが13人いるとのこと。

しかも器材到着遅れで、搭乗予定機の出発予定時刻は20分遅れると告げられた。

観念して予定通りチェックインした。



2時間も時間があるので、とりあえず身軽になりたかった。

お土産を買い、荷物と一緒に宅急便カウンターで発送手続きを済ませた。

どこに行くアテもなかったので、とりあえず天神に出てみようと思った。

その時、ふと思いついた。

そういえば書いていたブログ!

あの場所!

行く時間がある!



あの場所は昔の面影を残しつつも、周りの景色や建物は変わっていた。

地下街を出て、思い出しながらあの場所まで辿り着いた。

福岡の空気はあの頃のままだったが、あの日より暖かった。

おじさんは今どこで、何をしているのだろう。

僕は生きています。

罪深き僕は、いま自分らしく生きています。


$惟神(かんながら)を噛みながら
誰かが呼び止めたのか、隊員が行き過ぎたことに気付いたのか、とにかく救急車が横付けされた。

救急車の後方が開かれ、ストレッチャーが出された。

隊員に状況を聞かれたような気もするし、そうでなかったような気もする。

よく憶えていない。

おじさんがストレッチャーに乗せられ、心電図が取り着けられた。

そこには、水平の波形が映し出されていた。

この時、どんな想いで見ていたのか、憶えていない。

現在のAEDとは異なる大きさの、当時のいわゆる「電気ショック」が用意された。

おじさんの身体がストレッチャーの上で跳ねた。

その瞬間、水平だった波形に波が出来た。

生き返る!

そう思ったのは束の間だった。

波形は程なくして、元の水平なものに戻った。



2度、3度、電気ショックが与えられた。

波形が変わることはなかった。

隊員達が何やら話したかと思うと、ストレッチャーとおじさんは救急車の中へ運び込まれた。

介抱していた男性も、一緒に救急車へと乗り込んだ。

慌ただしく、救急車はその場を去った。

僕は一人、その場に取り残された。



なんとも言えない無力感。

やるだけの事はやったと、自分に言い聞かせた。

納得できていないのは明らかだった。

まだ何か出来ることはないのか。

その時、近くにお社があることを思い出した。

走った。

そして、お社の前で息を切らしながら、必死で神に祈った。

あのおじさんが助かりますように!

ただただそれだけを、一心不乱に祈ったと思う。

あれほど必死に祈ったことは、その後もない。

限界を感じて祈りをやめた時、1時間ほど経っていた。



あの経験は、僕に何を経験させたかったのか。

あるいは、ただ偶然通りかかっただけなのか。

いずれにせよ、何にも役にたてなかったのだ。

おそらく。
はらわたが煮えくり返りながら、とにかく懸命に心臓マッサージを施した。

2度か3度、仰向けに横たわる男性が「ぶほゎーっ!」と息を吹き返したものの、反応はそれだけ。

だんだん反応するまでの時間が長くなっている。

もう一刻の猶予もないのは明らかな状況だった。

ちょうどそんな時に、遠くから救急車であろうサイレンの音が聞こえた。

「助かる!」

そう思った。

心臓マッサージの手を緩めることも、救急車なのかを確かめに行くこともできないが、サイレンの音が近付いてくることは、耳からの情報でわかっていた。

救急車が近くに横付けされ、目の前の男性への専門的な蘇生処置に、もうすぐ取りかかってもらえる。

頭の中では、そんなイメージを持っていた。



サイレンの音が近くなり、ちらっと顔をあげた。

斜め前方に、確かに救急車がこちらに向かってきているのが見えた。

やっと来てくれた!

そう思ったのもつかの間だった。

救急車は我々に気付くことなく、さきほど通った横断歩道を横切り、目の前を通り過ぎて行ったではないか!。

その時口走った言葉は、特定の誰に向けたものではないが、とにかく怒鳴った!

心の底から湧き上がった怒りだった。

あの時、何て言ったのか。

声を張り上げて、おそらくこんな事を言ったはずだ。

「ざけんな!何で止めないんだ!!走って救急車連れてこいや!!ごらぁ~」

たぶんこんな事を言ったんだろう。



ヤツらは、いったいどこまで傍観者なんだ!

百歩譲って、心臓マッサージに関して傍観者である事は仕方ないとしても。

一日千秋の思いで、やっと現れた救急車を素通りさせたばかりか、誰も追うこともしない。

それしかできないのに、それもしない。

致命的な行為。

何のためヤツらは立っていたのか。

目の前にいる瀕死のおじさんは、自分とは無関係。

赤の他人。

関わることはしないが、興味はある。

その興味は何?

生きるか、死ぬか?

生きたらどうだ?

死んだらどうだ?

生きても死んでも、これから行く飲み会のネタにでもするのか?

死んだらかわいそうだったと思って、それで終わりか。

涙くらい流すのか。

生きたら、良かったと思って・・・。



当時はそんな事まで考えが及んでいない。

今にして思えば、多くの人達は、おじさんが心配で足を止めて見守っていたのだろう。

美しい人間愛だと思う。

そして興味本位で、暇つぶしで覗いていた人達もいたのだろう。

いずれにしても、変わらない。

そこにいた人達に、大差などない。

本気で心配しておじさんが助かるなら、医者はいらない。

そんなことで奇跡が起きるなら、世の中はこの上なくぬるい。

願ったり祈ったりで、現実が変わることはない。

必要な時に、必要なことをしなければ、現実は変わらないのだ。

それが厳然たる、神の定めた現実界のルール。

誰であれ、この掟から逃れることはできない。

③へつづく