遼くん、三井住友VISA太平洋マスターズ優勝おめでとう!

石川遼が今季3勝目! マスターズ出場&賞金王引き寄せた!

彼はスーパースター☆だ。

彼のプレイを見られる喜びは甚大だ。

長島さんのプレイを見てた世代に、どこか嫉妬していたかもしれない。

もちろん自分だって、イチローや野茂のプレイを見られたけど。

ちょっと違うんだよね。

彼らはスーパースターだけど、スーパースター☆じゃない。

なんて分かりにくい書き方だろうと思うけど、こういう書き方しかできない。



こんな記事もある。

遼、桑田氏の“失敗のススメ”胸に優勝だ!

桑田氏「スイング改造しながらでも結果を出すのが本当のスーパースターだよ。頑張りなさい」

達人は言うことが違う。

僕の達人の定義は、その道の経験者であり極めた人。

極めた人っていうのは、知っている。

常識通り、定石通り、当たり前のことをやったって、超一流に成り得ない。

超一流の道なんて通った人は、限られているから。



人の言うことなんて、まったく!さっぱり!これっぽっちも!アテにならない。

気休めにもならない。

聞くだけ無駄だ。

信じられるのは自分感覚だ。

あ、すみません、脱線してますね~。

前置きとして、前人未踏の領域を目指すならってことでの話をしています。



普通に生きてる上での、ありきたりの悩みなら、誰かの意見が参考になることもアリ。

自分らしく、自分がやりたい事があって、オリジナルな人生を生きているなら。

頼れるのは絶対感覚。

お、絶対感覚かぁ。

こんど書道アップしますわ。

あ~、賞金王争いのドラマが楽しみだ~。

普通のドラマは録画でも楽しめるけど、スポーツというドラマは生でこそ価値がある。

遼くんが出てきて、活躍する時代に僕が生きていて、日曜日にのんびりテレビが見られる状況にある。

こんな幸せはないなぁ。
世の中、いろんな人がいる。

当たり前のことだ。

例えば自信満々な人。

自分の考えが絶対だと思ってる人。

自分に自信のない人。

自己卑下している人。

口では謙虚なことを言って、腹の中では舌を出してる人。

いろいろだ。



そんな風にいろんな人がいる。

けど共通点がある。

それは他人がどう思ってるか、に関しては自信満々なのだ。

他人が自分ことをどう思っているか。

他人がこう思ったから、こういうことを言った/やった。

このような「妄想」に対して、全く疑っている節がない。

完全にそう思い込んでるとしか思えない。

その自分の思い込みに対して、あーだこーだと反応する。

面白いと思うのは、自信がある人も、自信がない人も、この点に関しては一様に自信満々。

自分の価値観、判断基準、妄想アルゴリズムだけは、疑うことがない。



おばさま達が井戸端会議で他人の悪口言う分には、何も問題ない。

「今日はいいお天気ですね~」と「ちょっと~、○○さんって、●●だって~」「まじでぇ~」は同等だから。

最近体験した中では、裁判官やドクターとか、そういう人達も皆同じだった。

自分の価値観から、これっぽっちも出ない。

その外に世界があるとは、露程も思っていない。

僕はそう感じたが、もちろんそうでないかもしれない。

それはわからない。

現象としては、決めつけて、判断する、それだけのことだ。

決めつける基準は各人の中にあるが、それが「常識に近く」て「他人とそう違わない」と思っている。

そう感じた。



『井の中の蛙大海を知らず』

自分の狭い知識や見解に囚われ、他に広い世界があることを知らないで、得々と振る舞っている者のことを蛙に喩えた言葉。

何かを判断したり、決めつけることが、悪いことだとは思わない。

ただ、往々にして不健康、不健全だと思っている。

メンタルヘルスによろしくないだろう。

だって他人が何かをどう思うかってことは、

1 言い方や条件によって違う

2 その日の気分によって違う

3 誰が言ったかによって違う

4 その他に諸々の要素があり

それに加えて、十人十色の価値観があって、みな思考回路が違う。

だから「その時、他人がどう思ったか」に関して推測することは、非常に困難である。

その困難なことを一瞬で妄想する。

そして自分の出した結論「あいつはこう思ってるから、こう行動した/言ったに違いない」に対して、寸分の疑いも持たない。

当たり前だが、検証はしない。

そもそも検証できない。

科学が発達した世の中と言ってるけど、なんじゃそれと思う。

根拠がなく、検証もできないものが、皆を縛っている。

根拠がなく、検証もできないものに、皆が縛られている。

みんなドMなんだと思う。
年に一度を目処に箱根参りをするようになって、もう7、8年たつだろうか。

初めて参拝した時、滂沱(ぼうだ)の涙が流れた。

境内でおいおい泣いた。

わけもわからず泣いた。

縁があったのだろう。

初参拝から数年後、神奈川県民になった。



日曜日に箱根を参拝した。

かれこれ10回近くになるが、いまだに富士山を拝めた試しがない。

自宅から、乗り物からはよく見る。

それが箱根参拝した時は、なぜか雲の中。

毎回、参拝の際は「今年こそ!」と思う。

まあいつか見られるだろうとは思っていた。



見られたら縁起が良いわけでもないが、これだけずっと見られないと、もし富士山拝めたらすごい開運するんじゃないの?みたいに、超都合良く思っていた。

毎年「今年こそ!」の思いと、「拝めたら開運!」の思いは、まるでLOTO6やサッカーくじ「BIG」のように、キャリーオーバーで積もっていた。

そして大当たりは、何の予兆もなく突然やってくるのだ。

見えた。

箱根から富士山が見えた。



参拝後、ロープウェイで大涌谷まで行った。

綺麗な富士山が見えて、写真も撮った。

満足した帰り道、ナビ操作ミスで道を間違え、遠回り。

急ぐ旅じゃないので、芦ノ湖スカイラインを通ることにした。

途中、車が何台も止まっている場所があり、寄ってみた。

調べてみると、富士見台という富士山を眺める絶好スポットだった。

全然違って見えた。

秋空に聳えるその姿は、優しくもあり、厳しくもあり、とにかく大きかった。

来年から3年間、厄年らしい。

常識が通用しない僕にとっては、開運する3年となりそうだ☆


$惟神(かんながら)を噛みながら