中世の殺人事件 | 中世史討論会

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日本の中世史について素人の視点から討論する材料を提供したいと考えています。将来的には、専門家の招聘や討論会の開催を目指しています。
なお、当ブログでは諸説あるもの含めて煩雑さを避けるため一つの説に拠っていますが、その辺もコメントしていけるとありがたいです。

御成敗式目の第3条には、守護の職務が定められており、その一つに殺害人の取り締まりがあります。

そのため、京都や鎌倉といった都市部を除いた、荘園または国衙領においては、守護が殺人犯を取り締まったと考えられます。


中世においては自力救済社会が前提ですので、殺人犯であっても基本的には被害者側で捕まえる必要があります。被害者遺族だけで犯人を確保するのは無理でしょうから基本的には村単位で通常は対応したと思われます。


そのため、犯人が分かりようもないケース、例えば夜中に山林で闇討ちされた場合などは、犯人捜索は諦められ、神隠しなどといって処理されたと思われます。


また、犯人が明らかで自分たちで処理できるケース、例えば同じ村の地下人(いわゆる農民)同士の喧嘩で殺人事件となり犯人も確保されていれば、守護などに報告はしたかもしれませんが、村内で処理したと考えられます。


それでは、守護が関与するのはどういったケースが考えられるでしょうか。まず地下人ではなく侍またはその被官が関与するケースが考えられます。この場合には、犯人が特定されていても郷や村では対応できないので守護の出番となります。場合によっては、合戦に近い対応が必要になるでしょう。


また、地下人同士の事件であっても犯人が逃亡して越境したケースもあると思われます。A村で殺害事件が起きB村に逃亡した際に、同じ郷ではなく地頭も異なる場合には検断権の侵害となるため、A村の地頭はB村には手出しできなくなります。そこで守護の出番となり殺害人を処分したと考えられます。


具体的には、殺人犯は恐らく山などに逃亡したでしょうから守護は被官または地頭などに命じて山狩を行って殺人犯を殺害し、首級をあげ守護所などで晒し首にしたのではないでしょうか。また、その手間賃として殺人犯の財産が没収され守護の報酬となりました。