最近、1日1本「野菜ジュース」を必ず飲むようにしているのは・・・・・・・
そう・・・・・
島浦

Mr.ヘルシーこと私、ダイエットも継続中で、野菜ジュースも飲んで更に健康志向なんて思っていたのですが・・・・・・・

肉の誘惑には勝てません・・・・。
焼肉、たらふく食べてきちゃいました。
東照宮にある知る人ぞ知る「煙時」という焼肉屋さんに行って参りました。

スタッフの高橋くんと、まさるさんと行ってきました・・・・。おいしかったです・・・

と、ここまで完璧に余談です。
今日の島浦のブログはちょっと長くなるかもしれません・・・

お付き合い宜しくお願いします。
みなさんマイケル氏の死について触れてますが、もう1人お忘れじゃないですか・・・・・?
確かにマイケル氏の死は、世界に多大なショックを与えました・・・。
もう、少しばかり過去の話になりつつありますが・・・・・、私に多大なショックを与えたのは・・・
「三沢光晴」さんの死です。
プロレス団体、「ノア」のプロレスラーにして、社長の三沢さん。
1981年に全日本プロレスに入門。
2000年に全日本を退団、自身の団体、「プロレスリング・ノア」を立ち上げる。
試合経歴、獲得王座などはちょっと多いので控えます・・。
そんな三沢さんは6月13日のプロレスの試合中に、相手選手のバックドロップを受け、そのまま立ちあがる事ができず、観客達の「三沢」コールもむなしく帰らぬ人になってしまいました。
46歳という・・・・・若すぎる死でした。
私が生まれる前からプロレスラーとして活躍していた三沢さん。
2代目タイガーマスクとしても活躍し、まさに名レスラー、三沢光晴。
数々の名勝負を繰り広げ、ファン、他の選手からも人望の厚い三沢さん。
今でも正直信じたくありません。
あの、三沢のエルボーがもう見れない・・・。
タイガードライバーが見れない・・・・・・・・・。
私の大好きな技の一つ、エメラルド・フロウジョンが見れない・・・・・・・。
プロレスが見れなくなるわけじゃないんですが、三沢さんが見れなくなるというのはプロレスファンからしたら、相当大きいことですよね・・・・・・?
そのくらい唯一無二の存在でした。
野球でいったら、イチロークラス。
サッカーだったら、中田、中村クラスの存在だと思います。
リングの上で死ねたら本望だ。なんて言葉もありますが、三沢さんにしたらまだまだやりたいこともたくさんあったでしょうし、まだまだ私達にすごいものを見せてくれてたように思います。
三沢ーーーー・・・。
・・・・・・しかし何を言っても三沢さんは帰ってきません。
悲しいけどもみんな、前を向くしかありません・・・・。
社長がいなくなった「ノア」のみなさん、頑張ってください。
さて中学校のとき以来、プロレスを生で見に行ってませんが、機会があったらまた行きたいものです。
ちなみに、私は・・・・中西学が昔から大好きです・・・。アルゼンチンバックブリーカー、スピアータックル・・・・たまらんす。
三沢光晴・・・永遠に。
プロレスラーよ・・・・・永遠に。
熱くなってしまいました・・・・失礼しまっす。