世界中で猛威を振るってる新型コロナウイルス。
同じ、ウイルスなのに、その対策については
各国毎に、感染拡大防止策も経済対策も違う。
それぞれの国のトップの考え方によって
実行する具体的対策は違ってくるから
興味深い。
その中でも、ひときわ注目されてるのが
北欧のスウェーデン。
近隣ヨーロッパ諸国とも、全く違う考え方です。
ロックダウンせずに国民の57%がコロナに感染し
抗体を作ることにより、重篤化しなくする考え方。
ハシカや水疱瘡とかの伝染病と
同じ感じなのでしょうか。
ある一定数の死者や犠牲者は
しょうがないという感じ。
この考え方と決定は国のトップとして
とても勇気がいる事だと思うが、
スウェーデン国民の大部分は
納得してるという事を、東洋経済の記事で
読みました。
↓↓↓
日本じゃ考えられないね。
こんな事、言ったら
馬鹿だの、アホだの、辞めろだの
大炎上は必至だろうし
散々な大バッシングにあうだろうね。
記事の抜粋です。
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「自分もいずれはコロナウイルスに感染すると思う。でも回復したら、コロナウイルスへの抗体が自分にはできるわけで、抗体をもった人々の数が増えていけば、コロナウイルスは人類の脅威ではなくなる」と話します。現時点では、政府や国民の過半数もこの考え方を支持しているようです。
スウェーデン人の多くが国の方針を支持する理由はもう1つあります。スウェーデン社会では、「自制心」と「責任感」という2つが重要視されており、1人1人が自身に対して、そして社会に対して責任を負うという考え方が浸透しています。なので、政府の打ち出す政策に対しては、「大人の対応」で臨むことが当たり前だとされています。
スウェーデン人は特に自分の権利を主張する傾向が強く、万一他の国のようにロックダウンなどを押し付けられると、自分らしい生活を送る権利が侵害されたと考える人が多いのです。また、政府やメディアが発信する情報も透明性が高く、国民はこうした情報をもとに、自らの責任で行動を決めることに誇りを持っています。政府もこうした国民性を鑑みたうえで、国民の常識に対策を委ねている、と言えます。
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これを読んだだけでも国民の意識の高さや
民度の高さ、成熟度の高さわかる。
そもそも
自分の人生や命は、自分の責任で、守るものだし、良くしていくもの。
という、当たり前中の当たり前の大前提が
国民の一人ひとりに根付いてるのだと思う。
どっかの平和ボケの国の国会みたいに
責任も取れないくせに
取る覚悟さえ無いくせに
他責にして、揚げ足取りや、足の引っ張り合い。
そして自分の仕事では
出来ない理由と言い訳ばかり。
これではそもそも建設的な議論にならない。
スウェーデンの施策は最低限のルール化。
何でもかんでも、自粛や規制でしばらない。
本来、三密にならないのに
必要以上に締め付けたら経済的ダメージが
多過ぎるし、生産性悪過ぎるし、無駄の宝庫。
距離を保って、屋外で5.6人で花見をすることくらい
とても健康的だし、経済活性化にもなる。
個別に正しい判断ができないから
一律に厳しくするしか無いレベルって
本当にレベルの低い証拠。
まあ、最終的にどのような施策が正解だったのかは
歴史が証明することになるのだろうけど
ここで私が感じたことは
自己責任能力が低い場合は、強制的にやる。
自己責任能力が高い場合は、信じて任せる。
という事。
これは仕事におけるマネジメントと同じ。
会社のレベル
幹部のレベル
社員のレベル
その時のフェーズにより
取るべきマネジメント手法は変わるという事。
幼稚園児と
義務教育の小中学生と
高校大学生と
就職した社会人では
関わり方は、違ってくるのと同じ。
スウェーデンは間違いなく
日本よりも国民が信頼されているという事。
また国民も国を信頼している、という
相互の信頼関係が強いからこそできる
方針であることは間違いない。
出来ることならば、我が国も我が社も
そんなレベルの高い次元で在りたいけれど
まだまだ未熟。
「皆さん!自分の人生や仕事は自己責任だからよろしく!」と任せてしまったらとんでも無いことになるだろう。
いやそれとも、そもそも本来の考え方である
スウェーデン式でやらないから育たないのか?
卵が先か?ニワトリが先か?
のように、考えは自問自答を繰り返す。
日本も以前はもっと成熟した考え方や
国民が誇りと責任感を持ってたと思うんだけど
やっぱり平和ボケなのかな。。。
この機会に本来の姿に
気づくことから始まると思います。
『良い影響を与える人間力集団となり、日本中を明るく元気にします』