GWも最終日!
いよいよ明日からまたワクワクの毎日が始まります♪
今日は、治療科甲子園理事長のたじちゃんのメルマガより♪
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【ラモス瑠偉と日の丸への思い】
サッカー日本代表のユニフォームに「日の丸」が加わったのは、
実は、そんなに昔のことではない。
1992年に、広島で開催されたアジアカップが最初だった。
日本が、初めてアジアを制した記念すべき大会である。
その大会前に、ラモスが、
「日の丸とともに戦いたい」
と日本サッカー協会に求めたのである。
「日の丸の付いたユニフォームを着るなんて本当に夢のようだった。嬉しくて涙がこぼれたよ」
「日の丸。最高だ。こんなに美しい国旗、他にはないよ。
どんなに苦しくても、膝が痛くても、日の丸をつけていると思うと頑張れる。
ほんと不思議。これまで何度もそんなことあったね。
ユニフォームの日の丸。
スタンドで揺れる日の丸。
日の丸が目に入ると、こんなところで諦めていいのかって、
また闘志が湧いてくるんだ。
日の丸をつけて、君が代を聞く。
最高だ。武者震いがするもの。
体中にパワーがみなぎってくる。
でも、日本の選手の中にはそうじゃないヤツもいる。
不思議でしょうがないよ。
日の丸をつけるって、国を代表するってことだよ。
選ばれた選手にしか与えられないものじゃない。
国を代表して戦うってスゴイことなんだよ。
それを忘れているんじゃないかって思う。
ワールドカップを見てみろよ。
みんなあんなに必死になって戦うのは、国の代表だからだろ。
国を愛し、家族を愛し、仲間を愛しているからだろ。
日本はそこんとこから外国に負けてる。
自分のためだって?
そんなの当たり前じゃない。
じゃあな、もっと大きいものを背負わないの?
オレ、日の丸背負ってなかったら、あんなに頑張れなかったよ。
ドーハの時、オレは38歳。
あのクソ暑い中で、
そんなオジサンが全試合、それもほとんどフル出場。
練習だって若いヤツらと同じメニューをこなしてたんだ。
自分のためだけだったら、とっくに辞めてたよ」
1999年8月
日本のサッカーレベルアップに大きく貢献した
一人の日本人の引退試合が国立霞ヶ丘競技場で行われた。
彼の最後のプレイを焼き付けようと
競技場には48000人のファンが駆けつけた。
「本当に22年間はあっという間でした。
初めてこの国立で試合をした時、
観衆は300人か400人でした。
いま、こうしていろんな人の努力と協力で
満員のファンの前で引退試合ができました。
私は本当に幸せです。本当に感謝しています。
今度生まれてきたら、もっと早くに日本に来て、
もっと早く日本人になりたい。
そしてみんなと一緒にW杯に行きたい」
元日本代表・ラモス瑠偉
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いやぁー!
ラモスかっこいいね!
ラモス瑠偉は、どうして日本人の心を魅了するのでしょう。
誰よりも日本を愛し、日本人の誇りを持ったサムライです。
ラモスは日本(国)を代表した気持ちで戦ってたけど、この気持ちを自分に置き換えて読み返してみるとどうだろうか
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日の丸 ⇒ 自社のロゴマークや社章
日本 ⇒ 自分の会社
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『会社のロゴマーク。最高だ。こんなに美しいロゴマーク、他にはないよ。どんなに苦しくても、うまくいかなくても、ロゴマークをつけていると思うと頑張れる。ほんと不思議。これまで何度もそんなことあったね。』
『ロゴマークが目に入ると、こんなところで諦めていいのかって、また闘志が湧いてくるんだ』
『ロゴマークをつけるって、会社を代表するってことだよ。』
『ロゴマークをつけて、社歌を聞く。最高だ。武者震いがするもの。体中にパワーがみなぎってくる。でも、うちの会社の中にはそうじゃないヤツもいる。不思議でしょうがないよ。ロゴマークをつけるって、会社を代表するってことだよ。選ばれた社員にしか与えられないものじゃない。会社を代表して戦うってスゴイことなんだよ。それを忘れているんじゃないかって思う。』
『みんなあんなに必死になって戦うのは、会社の代表だからだろ。会社を愛し、家族を愛し、仲間を愛しているからだろ。』
『うちの会社はそこんとこから他社に負けてる。自分のためだって?そんなの当たり前じゃない。じゃあな、もっと大きいものを背負わないの?』
『会社を背負ってなかったら、あんなに頑張れなかったよ。自分のためだけだったら、とっくに辞めてたよ』
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ラモスは総理大臣でも天皇陛下でもない、もちろん社長でもない
ラモスのような本気のリーダーがいるだけでそのチームは強くなるね
みんながそうなったら最強だね
まさに新幹線型のリーダー!
サッカー日本代表も会社も同じです
カッコイイ自分であるために、私もこんな本気のリーダーでありつづけようと誓うGW最終日の夜でした