アベノミクスのお陰で無借金経営になりました。ありがとうございました。
アベノミクスの効果で大手企業様の景気が良かった時期。
ウチは大手企業様との直接取引が多いという恵みのお陰様で、
業績もずーっと良く乗り切る事が出来ました。
先日惜しくもお亡くなりになられた安倍総理には心より感謝いたしております。
さて、私が幼稚園児の頃、
参観日の帰りはいつもの幼稚園バスではなく
母と二人で歩いて帰宅していました。
途中、町工場の前を通るのですが、
規則的に「ガッチャコン!ガッチャコン!」と子供の私の耳にはかなりうるさく、
大げさに耳を塞いで通っていました。
うっすらとした記憶の中で、
焼きの入った木の板の外壁と六角形の金網と、
敷地の周りの道路が錆で赤茶色だったように思います。
今となっては何の工場だったのか?
もう何十年も前に住宅に変わっていますので不明です。
(画像は借り物です。イメージとして)
もし、大阪市内にそんな工場が残っていたらかなり珍しい存在ですので、
それはそれで名所になっていたのかもしれません。
私的にはノリが大嫌いなのですが、
世の中には『廃墟ブーム』なんてのありますし、
また、工場の風景が豪華写真集になったりって流れもございます。
ホンマに何がウケるのやら予測のつかない時代です。
さて、自分が町工場を経営するようになりましていつも言うのが、
「他人様からの憐れみを受けて生き延びようとするな!」
と言うものがございます。
いつも例に挙げておりますこういった健気さ基準で取り上げられる方。
「ああ、サラリーマンやってて良かった」
悲しいかな他人様から憐れみからこう思われる一種の心の安心材料とされる訳です。
「あなたはそれで良いのか?」
なんていつも私は真面目に思っているのです。
いや、ずーっと憤っています。
もし前述の木造の町工場がまだ健在で観光名所だったとして、
それが突然、
ピカピカの外装と最新の設備とに変貌を遂げたとしたら?
たぶん誰も関心を示さなくなるだろう。
つまり、他人様の感性が引き寄せられるのは、
ノスタルジックさとレトロ感って事です。
町工場は時代から遅れている、
それに憐れさまでのイメージをプラスされたとしたら、
そんな将来性を感じない業種に若い人が集まる道理が無い。
「町工場に将来性を感じてもらう!」
取り組まなければいけないのはこの部分だと真剣に私は考えています。
…さて、どうしようか?(笑)