山崎定吉、カッケー!
私は工作機械オンチでございます。
工作機械の事などさっぱりわからない。
わからないけど仕事の道具として使っています。
日本の工作機械は優秀です。
優秀だからこそ私のようなドシロウトでも加工が出来る。
そのドシロウトのクセにDMG森精機さん主催の切削加工品のコンテストでいろいろと賞をいただいてもおりますが、
これもすべて日本の工作機械が優れているお陰様なのです。
そのDMG森精機さんや、
ウチが使っているソディックさんや芝浦機械(旧東芝機械)さんとはまた違うお話しでして、
本日のお題はヤマザキマザック(MAZAK)さんでございます。
先月ちょいと行ってきましたMAZAKさんの工作機械の博物館。
戦前から昭和の30年頃までの工作機械なのですが、
やはり性能の違いから舶来品が多く使われておりました。
「もし日本の工作機械が優れていたらグラマンやムスタングを返り討ちに出来たものを!」
と言う表現はあながち大げさでは無かったのかもしれません。
もちろん、戦前からも国産の工作機械はございました。
ただ、工作機械を使って製品を作る側も、
やはり性能の良いヨーロッパやアメリカ製を使いたがったようです。
国産と舶来品では性能が違うんです。
その後、実力を付けてきたので、
昭和30年代にヤマザキMAZAK製の旋盤をアメリカに売ったら、
NG箇所(クレーム)をたくさん頂戴したらしい。
それに対して「難癖」だとか「いちゃもん」だとか
または「当社MAZAK製品への誹謗中傷」だとか言わずに、
一つ一つ真摯にそして丁寧に対応してゆき、
愚直にただひたすらに製品の改良への道を邁進したそうです。
それが「パーフェクトな製品」になった時、
世界を代表する工作機械メーカーへとなった。
今から思えばあの『世界のMAZAKさん』がですよ、
「クレームに冷や汗をタラタラかきながら鋳物の素材から見直し改良した」
なんて事は今では想像もつきませんが、
実際にそうやって実力を付けて来られた訳なんです。
私ら町工場でものづくりをしている者にも共通する部分があるように思います。
それで思うわけですよ、
「山崎定吉ぃぃぃ、カッケーぇぇぇぇぇ!」 と。
(山崎定吉 明治27年(1894)~昭和37年(1962))
他人からの文句は自分へのヒント。
町工場は人と人の繋がりがすべて



