苦労話と不幸談義と町工場のセット売り
「○○を乗り越えて…」
よくこんなフレーズの記事を見る事がありませんか?
記録を達成したり優勝したスポーツ選手なんかの記事でよく見かける。
関係のない他人にとっては、
「ずーっと順調な人」っていうのは何だか気に入らないようで、
良い事が起きたその前には、
苦労やハンデを乗り越えてきたという一節が必要なような気がします。
私は、いつも町工場全体が良くなる事を考えています。
でも、目にする町工場関連の記事の多くには、
「○○を乗り越えて…」なんて言うような苦労話がブッ込んであります。
取材側のライターの好みだけではありません。
読み手の嫉妬を和らげる手法というだけではありません。
わざわざ町工場経営と苦労や不幸がセット売りのごとく自分で書く人もいるのです。
本人はスポットライトを浴びたつもりで脳内快楽物質が最大に放出されて、
とても気持ちが良いのでしょう。
ただ、苦労や不幸を売りにしていると、
どんどん運が悪くなって行きます。
(スポーツ選手ではなく)人への応援や同情と称する物は、
その実は蔑みであったり、
自分より下を見て安心できる存在だったりする場合があります。
町工場の地位がどんどん低下しているのは、
そういった苦労話と不幸談義を町工場のイメージとして植え付ける輩たちだと私は考えています。
町工場は儲かる。
町工場は楽しい。
町工場にいる人は幸運だ。
町工場をこういうイメージにする為にこのブログを書き続けているつもりです。
「貧乏枠や苦労枠でスポットライトを浴びれば自分の経営だけは何とかなる」
と、考えている輩たちの撲滅を祈念して行動をいたしておりますが、
まずは自分の町工場がしっかり稼ぐ事を第一に考えています。
零細町工場であっても経営者だったら、
一円でも安いカプセルホテルを探したり、
自由席の空きを心配したり、
学生と同じような格安夜行バスに乗ったり、
小料理屋のワサビがハウスのチューブ入りだったり、
そんな情けない姿を世間に晒すな!
やるのは勝手だが町工場のイメージが悪くなるから隠しておけよ!
町工場の将来と子供達へモノづくりをどうのこうのとか言うのだったら、
夢と憧憬を持てる存在になるべきだと思っています。
もちろん、私はそっちになりたいです。
その為には日々研鑽です。
町工場は人と人の繋がりがすべて