横浜と普天間飛行場
現在は大都市である横浜市。
ヒストリーチャンネルで、横浜開港の苦労話を見た。
今から150年前は寒村漁村だった(イメージです)。
黒船の来航後の米国から横須賀開港の圧力を受け、
横須賀じゃあ東海道に近いので、
横須賀開港を嫌がった幕府が、
無理押しでさびれた横浜を開港した歴史があり、
開港も何も港湾施設も太い道路も無く、
地元の豪農が今の金額で10億円で、
港湾工事と港から東海道までの道を普請(ふしん)したらしい。
それも、たった20日間で・・・・・。
そんな国を植民地にしようなどとは思わないだろう、
とかの話は別の機会にしてと、
その寒村横浜には貿易港としての顔ができ、
各地から貿易商が集まり、表通りには貿易会社が、
裏通りにはその商社や人々を支える住居や商店が出来てゆき、
都市として発展を遂げていったらしい。
今の横浜市を見て想像してはならない。
昔々の横浜はさびれた漁村だった。(イメージです。)
最初になぜ、横須賀をアメリカは開港要求したのか?
文化都市があったから。
後半に続く(キートン山田)