平成25年1月13日(日)、中学校時代の美術の先生である松浦美月先生の告別式があり、参列して最後のお別れをした。3年間美術を教えていただいたこともあり、その後の美術に関する興味などに影響があったということをいろいろと自分なりに思い出されたお別れだった。
中学時代の美術を思い出すとき、3つの作品が印象に残っている。
まず第一は、「静物」の絵。花瓶とか皿、カップなどを水彩絵の具で描いたものだったが、この時、はじめて松浦先生に褒めてもらい、なんか自分の描いた意図が理解してもらえたとうれしく思った記憶がある。今でもその絵は縞模様の入った花瓶があったことなど鮮明に覚えている。それから絵が好きになったのかもしれない。
また、写生についても先生の深い理解をいただいたことを覚えている。
その絵は、家の近くに「お井出」と呼ばれる堰があったのだが、その石積みから流れ落ちる川の流れを描いたものだった。夏休みか何かの宿題だったが、自由提出で他の生徒はあまり取り組まなかった。
何度かその河原へ通い、川の流れを描いたのであるが、あまり日常的な絵には見られない題材であったことで、出来上がった絵を見て、それが川なのか木が茂っているのか良く理解できないものとなってしまった。
しかし、それを見抜いて先生は高い評価をしていただいたのであった。
そんなことがあって美術の授業自体も好きになった。
一方、エッチングのときには非常に叱られた。それは、テーマの選定だった。そもそもエッチングというのはどういうものかわからなかったので、いろいろと考えた結果「姫路城」を表現しようとしたのである。しかし、身近に姫路城がないので写真などを参考に作品づくりをしたのだったが、その発想自体が良くないということだ。
美術においてはやはり実際に見て、それで感じることを表現しなければならないということを学んだのであった。
その後はと思い返してみると、高校でも美術を学び、大学では建築学科で絵画が必須科目だったので、油絵なども描いた。しかし、階段のスケッチに取り組んでいるとき、病を患いそれが最後となってしまった。その後はもっぱら絵画鑑賞を楽しんでいる。
そんなことを思い出させてくれるのも、きっと先生の教えがあったからかもしれない。
戒名は、「採光軒景月嘉山居士」という松浦美月先生らしいものだと思った。昨年アトリエを訪ねたときに、本当の絵の具というか、その原材料の石のようなものを拝見したのだったが、芸術家としても活躍されてきたあかしのようなものだと思った。
ご冥福をお祈りいたします。