こんばんは🌕
アラフォー育児ママのあまおうと
小学校2年生のあーちゃん
です
以前ご紹介した育児書の「自分の親に読んでほしかった」の
本のメモの続きです
議論を分解して考える②
誰かの気持ちになってみる他者の気持ちになってみる練習をしておくと、現実の場面でも少し対応しやすくなります
異なる考えを切り捨てるのではなく、彼らの環境、望、不安を考えてみる
判定することをやめよう
判定して断じる代わりによくできた点を観察し、その真価を認めるようにする
良い・悪いという言葉を完全に禁止するわけではなく
大事なのは判断を保留する
例えば「私はパンをつくるのが上手」ではなく「パンを焼くといつも報われる」
「わたしはヨガが下手だ」ではなく「ヨガはスタートできたから先週より進歩した」
かっちりした判定よりも、ふんわりした結論を保持することが大事
日は子どもに「誰かの気持ちになってみる」ことを教えるのは
なかなか難しいのかもしれないですね💦
少し話はズレますが
同居しているばぁば(私の実母)は、もうすぐ70歳前後を指す「アラ古希(アラコキ)」です
子どものように自己中心性が高く、もうこの年代では治らない💦💦
ばあばは、8歳のあーちゃん相手にも自己中心性を発揮します
急に理不尽なことを言ったりします…
例えば、あーちゃんが自分の分だけ調味料を持ってくると
ばあはが「わたしの分は?普通、わたしの分も持ってくるよね?」と問い詰める感じ
知らんよ、8歳に問い詰めず、それくらい自分で持ってきなさいよ
ここでいう『普通』は、ばあばが勝手に思って感じている『ばあば基準』であって
それを小学校低学年に押し付けるのは、おかしいんじゃないか??💦
そしてあーちゃんは、ばあばから
「他の食べる人の気持ちになってみたら、必要なことはすぐわかるじゃん」と
『ばあば基準』(ばあば世界中心性)での対応を求められます
何かしていて「普通は、これしてくれるもんじゃないの??」と、理不尽
保育園時代は、主人の義実家に住んでいましたが、
こちらのじいじ(主人の実父)も
かなり理不尽な自分定規で話を進めようとしてくるので
理不尽に慣れてしまっていくあーちゃん。。
「誰かの気持ちになってみる」ことを、
反面教師で学んでいるのかもしれないです
今日は文化祭に行ってきました
今日は文化祭後日まとめます
暑い人が多い
疲れた
とりあえずウインナー、かき氷、ポテト、おこのみやきを
買いました