開拓地あれこれ1
開拓地・・・・・それなんのこと、皆さんそうお思いでしょう。
この会社も、開拓地の中に建てられていることをご存知ですか?
此の地に住む者として、その移り変わりを記してみたいと思います。
昭和二十年八月、戦争に敗れ、世情は混乱の中にあり、
国は民衆の安定策と就労の機会を多く作る為、又慢性的に不足している食料増産の必要から、開拓政策を打ち出し
全国各地で、入植開墾が始まったのであります。
ちなみに、その当時の食べものはといえば、米・麦の代用食として、次のようなものが配給されてきました。
生のさつま芋を乾燥し粉にしたもの、大豆を押しつぶして油をとった大豆滓、とうもろこし粉、コーリャン等々。
今なら、えっホントというようなものばかり。その他日用品をふくめてほとんどのものが配給でした。
また、田を持たない農家は、さつまいもと麦が主な食べものでした。
この様な状況の中、食糧増産が叫ばれたのも理解されると思います。
此処の土地にも、昭和二十一年ごろから二十数名の人達が入植し、開拓が始まり、
それはまた苦難の日々のはじまりであったのです。
後は機会があればまた。
辺田原の住人