「日常生活や社会生活に支障があるか無いか?」
の違いなんだと思う。
私は「服やバッグに付いている"文字や数字の意味"が気になって仕方ない」のをはじめ、いろいろなものに対して"強いこだわり"がある。
そして、大抵の「私のこだわり」は他者から理解されないし…時々、日常生活に支障を来している。
でも、私の主治医(おばぁちゃま)も「ペットボトル飲料のラベルを必ずはがしてから飲む」という"こだわり"がある。
理由を聞いたら「他人に何を飲んでいるのか知られるのが嫌だから」とのこと…私にはこの理由がわからない。
何を飲んでいるのか知られたくないなら「マイボトル」にすれば良いのに(余談ですが、安倍首相もマイボトルユーザーらしい…)と話したら「洗うのが面倒」だと言っていた。
ラベルをはがしても、ボトルの形やキャップの色に特徴があれば何を飲んでいるのか知られてしまう気がするんですが…ちなみに、先日の診察の時は「コントレックス
」飲んでた、美容が気になるのだろうか?
中身が透明で、ピンク色のキャップだったのですぐわかった…ミネラルウォーターはボトルの形やキャップの色に特徴があるものが多い。
昔の話だと…学生の時の友人の1人はコーヒーが好きで、毎日飲んでいたけど、彼女は「無糖のブラック」しか飲まなかった。
彼女に言わせると「甘いコーヒーが許せない、ス○バで売っているのはコーヒーじゃない」そうだ…このあたりは私もそう思う。
また、私同様食べるものにも強いこだわりがあり、昼食はいつも「納豆巻き」だったような気がする…私も食べ物に対するまさざまなこだわりから、お菓子をお昼代わりにしていたこともあった。
食べ物に対するこだわりは今でも強く、ハムやウインナーは基本無添加のものしか食べないし、揚げるタイプのコロッケやフライ以外の冷凍食品を買ったことがない。
話がずれてしまった…何が言いたいのかというと、彼女たちは発達障害ではないが特定の物や事に対する「こだわり」があるんですよ。
自覚していないだけで、思い当たる点はないですかね?程度の差こそあれ、誰でもこういう要素を持っているんですよ。
確かに「日常生活に支障のある」こだわりは、本人も周囲の人も困るのは事実ですが…そうでない場合はそこまで特別視するような事でしょうか?
自分にもそういう要素があるはずなのに、その程度が自分より強いだけで「変な人」扱いする今の風潮はどうにかならないのでしょうか?
なんだか本当に息苦しい世の中になってきましたね。


