先々代の主治医から今の病院に戻るとき「あなたの”問題”は自分と向き合わないと一生解決できない」と言われた。
問題?病気じゃないの?思えば10年前の私は確かに「うつ状態」で、当時どうやって今の病院に行ったのかも実はよく覚えていない…つまり解離 の状態になってしまっていたのかも?
でも、うつ状態そのものは20代半ばに入ったころにはいつの間にか治っていたといか感じなくなった…抗うつ剤は体に合わなかったのでほとんど飲んでいなかった、これが自然治癒力というやつだろうか?
そういえば紹介状には「神経症」と書かれていた、神経症という名称は現在では使われていない…この神経症とういう名称は非常に便利で、あきらかにうつ病や統合失調症、躁うつ病ではない、でもメンタルの不調を訴える人で、器質的要因の見られない人はとりあえず「神経症」とする風潮があったとかなかったとか?
とりあえず神経症って…なんか、とりあえずビールみたい。
私は先々代の主治医に「自分はアダルトチルドレンではないか?」と話した事がある、それを否定はしなかったけど「その割には自分の意思が強い」と言われ…そこで発達障害の疑いが発生した。
今の病院に行った時に「ACミーティングに参加ている」という話をしたら…参加するのは良いけどあまりのめり込むな、おかしいと思ったらすぐに辞めるようにと注意をされた。
参加を重ねるうちにのめり込まされそうになったので離脱しました。
その後、きちんと検査を受けて私は「発達に偏りがあり、自閉度も少し高い」という事が証明された。
先々代の主治医が約64枚に渡るレポートを読んでどのエピソードに発達障害を思わせるところがあったのかを本人に聞いたわけではないけど、きっと何かを感じたのだろう。
今、病院でお話ししてる事も病気の症状の話と言うより「どうすればより生きやすくなるか?」という事を日常生活の工夫から、生き方そのものに関することまでとても幅広く扱っている。
主治医は私の状態に対して障害では無く「特性」という表現を使っている、月曜にお話ししてる彼女も「発達障害のあるT・Tomokoさん」ではなく「T・Tomokoさんは発達に偏りのある人」という感じで見ているのだと思う…いわゆる「外から目線」ではなく、私自身の問題として捉えてくれているように思う。
昨日、病院で話してきたときも…発達障害のある人は「普通になりたい」と言う人が多いけど、私は「もっと自分らしくなりたい」という自身の長年の思いを話してきた。
そしたら「それを実現するにはかなりの時間がかかるしとても難しいかもしれない…でも、それが実現できればT・Tomokoさんはもっとハッピーになれると思う」と言われた。
今の私の状態はメンタルの病気を患っているというよりも「1人では解決できない大きなこころの問題」を抱えていると言った方が正しいのかもしれない。
しかし、○○先生は擁護?してた のにこの人 に対しては私と同調して容赦ないダメ出しをしていたのは気のせいでしょうか?あまりよく思っていないのかな?


