当事者が個人的にしてはいけないこと | 今日も、犬とベッドシェア

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おじいちゃんのパピヨンさんと暮らす、ソロ活&おひとり様人生エンジョイ中な私の雑記帳
不定期更新&長い記事多めです

少しずつですが、自分自身への理解が深まってきています。


自分が得意な事や苦手な事もわりとはっきりわかってきたのですが…今度は、これを周囲に伝えるか?伝える場合、どうやって伝えるのか?という事に迷いを感じてきています。


おそらく、今の職場の人はTomokoさんは「うっかり」が激しすぎる人程度の認識なのだろうけど、いずれはきちんと話さないといけない時が来るかもしれない。


昨日もおばぁちゃんとこの話をしてきたのですが、どうしても伝えたいなら「苦手な事だけを伝える事、下手に”発達障害で~”と言うと相手も構えてしまったり、理解できないことがあるのであくまでもさりげなく話すこと」と言われました。


ADHDに関しては、最近は製薬会社などでパンフレットとかムービーを用意してるところもあるようですが…私の場合は広汎性混じりで純粋なADHDではないのでどうも違う。


広汎性についても資料はない事はないですが…アスペルガーと広汎性の違いは私ですら理解できない&どうもアスペルガーと言う言葉は一人歩きをして一部で変なイメージを持たれてるのが非常に気になるので「これ!!」といった物が見つからない。


そして、どちらの資料にも言える事だけど


「どちらかひとつの障害しか発症しない」


的な雰囲気で書かれていることが非常に気になる…「間違えられることはある」と書かれていても「併発していることもある」とはどこにも、誰も書いていないのだ。


実際には程度の差こそあれ、どちらも持ち合わせている人がほとんどであると言われているのに、なぜ「どちらかしか持っていない」扱いなんだよ~!?


というわけで、私はとても困っている…この問題は到底自分の言葉だけでは説明しきれないと常に感じているからだ。


「どちらの特性も持ち合わせている人の特徴」を解説した資料を作りたいという人がいたら協力してもいいですよ。


と話が逸れてしまいましたが…おばぁちゃんにこれだけは絶対するなと言われた事がある。


それは、個人でも私が作った当事者会でも「社会に対する啓発活動」はするなという事。


周囲に対する理解や配慮を求めるのと、社会に対する啓発活動は全くの別物であると言われました…当事者会はあくまでも「自分たちのため」に運営されるもので、そこで啓発活動を行う事は本来の活動の意味を見失ってしまう、そういう活動は専門家や、そういう活動を趣旨とした団体やメディアで行っているので個人で行う事ではないとのこと。


発達の偏りが引き起こす問題を「深刻な問題」として考えるのもダメと言われました…もっと気軽に考える程度で良いと、深刻に伝えると相手にもそのように伝わってしまうと言われました。


だから、誰かに伝える時も「こんなことが苦手で~」といった感じに話す程度にして、具体的な診断名などを言う必要は無いと。


また、深刻に考えることで余計うつっぽくなってしまったり、本当にうつ状態になってしまうので精神衛生上よろしくないと言われました。


そして、他の人と比較するのもダメと言われました…そもそも同じ人なんて誰もいないんだからといつも言われているような気がします。


「障害だから」というよりも「自分を構成する一要素」と考えるようにとも言われています。


ちょっと前に「集中困難」と書いた覚えがありますが、私の場合…ひとつのことに集中しすぎることによって、他の事が出来ないのでは?と指摘された。


「青い薬ダメなら過集中抑える薬は無いんですか?」と聞いたら「そんなのあるわけない」とアッサリ言われてしまいました…そして、集中しすぎる対象が勉強や仕事であればそれはちっとも悪い事ではないと言われました。


「何に集中しすぎるか?」が問題になるそうです。


これがアルコールとかギャンブルだとかなり危ないそうなのですが…私の場合趣味の活動だったりするので上手くコントロールすればいい方向に活かせると言われました。


ちなみに、リスパダールは昨日より中止になりました。


どうしても「体の揺れ」が止まらなかったので、今までは出ていなかったのに薬を飲むようになってから目立ち始めたので薬の副作用では?という疑いが出てきたのでナシになりました。


おばぁちゃん自身も処方に関してはちょっと消極的だったので、ちょうど良いタイミングだったのかもしれません。


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