私は昔から自分の母親が大嫌いだ、そして「母親」という属性の人も嫌いだ。
特に嫌いなのは「他人の卵子を買って、産みっぱなしの某議員」…この人のニュースを見た時私は確信した。
子供を産むというのは「自分の欲求を満たす為の究極の行為」であると。
私の親は卵子こそ買っていないけど、前に書いた「自分の欲求を満たすため」に産んだことに変わりはない。
そもそもこの人達は「親としての適性が無い」にも関わらず子供を持ってしまった一番ダメなタイプだと思う…経済的な事や住む場所などのハードの問題だけでなく、教養や性格や人としての成熟度などのソフトな面も全く足りなかったんだと思う。
過去記事でしつけを放棄した親が増えている と書いた事がありますが…よく考えたら、私の親も違う意味で「しつけが出来ない親」でした。
まず…子供に対して正しい事を具体的かつ言語的に教えることが出来ない。
すぐ「体罰」に走る、論理的に説明できない自分の語彙の乏しさを棚にあげ「言ってもわからないから叩く」という、最近話題の体罰教師よりも質が悪い。
勉強とかわからない事を聞いてもきちんと教えてもらった覚えが全くない。
その他「子供の問題から目をそらす」とか「家から近い」というだけで幼稚園を選ぶような「子供の個性や将来を尊重しない」人でした…普通、子供を幼稚園に入れようとする親って絶対数か所回ったり周囲の人から評判を聞いたり、自分の教育方針と園の方針が合えば、多少遠くてバス通園になることもいとわないはずです。
あと、何かと周囲の目ばかりを気にしたり自分たちの「自我の無さ」を全部棚に上げて何かにつけて「普通は~」とか「世間では~」という言葉が口癖だった。
宗教にのめり込んだり、同居の他人の親ばかりを優先してきた癖に「こんなに面倒見てやったのに」と恩を売りつけようとする。
親は子供の扶養義務があるので、子供の面倒を見るのは当たり前…何が腹立たしいかというと、ただの一度も「まともな親らしい事をしてこなかった」癖に恩着せがましいことが今でも許せないのです。
子供にも親の扶養義務はない事は無いですが「親→子供」のように強制ではく、経済的に難しいなどの「正当な理由があれば」必ずしも面倒を見ないといけないわけではないので、私はこの人たちの面倒を見る気は全くありません。
先代の主治医とは「和解」して「理解しあえた」けど、私はこの人達とは一生分かり合えないし、一生許すことは無いと思います。
これ以上書くと、具合が悪くなりそうなので今日はこの辺で終わりにします。
