カウンセリングを使ってくださったお客様から見た根本をご紹介します。
実際にお話しする前に、お会いする前に、だいたいどんな風に見えるかが分かればより安心して使ってもらえるかな?と思って始めたこの企画。
今回が早くも第9弾。
皆さん、ご協力ありがとうございます(^^)
* * *第一印象は・・・『アレッ???』・・・『なんか・・・違う・・・???』私は、根本さんと出会う前に、違うカウンセラーさんと初めての面談をしていたので、その印象が強かったせいか、『アレ??』って感じたのが、初めての印象でした。(どんな想像をしていたのか・・・苦笑)で・・・。私自身その印象を引きずってしまっていたのか、面談が始まっても、どこかうまく伝えられなくて、「わかってもらえないんじゃないか・・・。」という不安な気持ちがすごくありました。2時間の面談で私自身『???』がいっぱいになっていて、終わる直前は、何か腑に落ちない感じが残っていました。そんな私に気づいてか、根本さんは私が笑顔で帰れるようにすごく一生懸命、今の私にできることを伝えてくれていた気がします。。。そんな出会い(苦笑)だったんですが、今となっては誰よりも自分を信じてくれて、力をくれて、真剣に向き合ってくれる、とても大切な人です。生まれて初めて『信頼できる人』に出会うことができ、あのどん底で最低最悪の私を見捨てず助けてくれた。言葉で表現するのは本当に難しくて、うまく伝えられないけど、信頼ができて、絶対に見捨てなくて、時に厳しいことも言ってくれて、その人その人をちゃんと見てくれて、うそのない、強くて大きな心で包み込んでくれるカウンセラーさんです!!!!!そして、茶目っ気があって、くすぐったくなるような恥ずかしがりやさんで、会った瞬間温もりを感じさせてくれる・・・。会えなくても、ちゃんとそばにいて見守っててくれる、信頼してくれてる。繋がってる。そんな温かい感情を与えてくれる人です。キャ~(≧▽≦)ほめすぎ?(笑)でも、本当の本当のことです~!!!(愛知県、Rさん)* * *私が最初にカウンセリングサービスに出逢ったのは旦那さんんとの関係で大きな転機を迎えたばかりの頃、現実を受け止めることもできなくて食べ物を身体に取り入れることも、眠ることも、呼吸をすることも・・全てが難しくなって何をどうしていいのかわからなくなっていた時ネットでたまたま出逢ったのがカウンセリングサービスのHPでした。そして、誰も頼ることができないと想って生きてきた私が『この人なら頼れるかもしれない』と感じたのが根本さんでした。それは、ネットを通してでも強く感じられる何かがありました。その頃、特に男性に対しては厳しい目で見ていた私でしたが「この人は”できる人”なんだろうなぁ」って感じたこともその一つですね。面談に行くまでには少し時間が空いていましたのでそれまではメールやお電話でのカウンセリングでサポートしてくださいましたがそのメールでもやっぱり「できる人」なんだなぁって確信が持てました。そして、初面談では「初対面の男の人に自分の感情を話すなんてできるかなぁ。。」とちょっと不安もありましたが、始まってみると不思議と根本さんのお話に引き込まれた感じですね。私は初回のカウンセリングから大きな癒しを何度も何度もサポートして頂きました。そんな大きな癒しを体験しつつ、私はとっても亀の歩みで状況は一進一退でなかなか進めずに何度も大きな波にさらわれそうになり、どうしようもない状況で随分と長い間うろうろしたりしてきました。そんな私に、根本さんは本当に辛抱強く、常に100%真正面から向き合い続けてくれました。根本さんは混乱しきった私の心の中を、バラバラになったパーツをあっという間に整理して、わかりやすく伝えてくれる・・そんな感じです。そして、どんなに激しい感情の海にも、誰も居ない、何も無い真っ暗闇の中にも臆することもなく付き合ってくれて、『こんな光の見方もあるよ』って教えてくれる・・そんな懐の深さと真の温かさを持った方ですね。途中から「お父さん」のような感じさえ受けました。(笑)その反面、実はとっても照れ屋さんで、おちゃめな一面も持っているそんな素敵なカウンセラーさんですね♪あの時、ネットを通して最初に感じたあの直感を信じて動いて根本さんというカウンセラーに出逢えて本当によかったなぁって想っています。(東京都、RMさん)
皆様から頂きましたアンケート、第二弾です!
*心理学ワークショップ(名古屋)*
2006/7/8(Sat)『自信の心理学~自分をもっと好きになる!~』
2006/7/8(Sat)『お金の心理学~今よりもっと“いい関係”を築くために~』
鶴舞・愛知県勤労会館つるまいプラザ
* * *Q.友達の話が分かりづらくて、うんうんと適当に相槌を打っていたら「本当にきいてる?」って言われました。人の話を聴くコツって何でしょうか?A.僕はボーっとしているので、お客さんから「私の話分かりにくいですか?」とか「ちゃんと話を聴いてもらえてるのか不安になりました」という意見を耳にすることがあります・・・。ちゃんと聴いてるつもりなんですけど、なかなか難しいですね(^^)さて、そのお友達はきっと話しながらも、自分が話していることがよく分からなくなったのかもしれないです。自分でもよく分からないのに、あなたが相槌を打ってくれてるので、疑問に思ったのかな?話を聴くコツの一つは、できるだけ相手の話を理解しようとすることです。(理解する、というのと、理解しようとする、というのはビミョウに違います)気持ちよく話をしてもらう環境を作ることも大事ですが、「これってこういうこと?」とか「もう一度言ってくれない?」などと途中で質問を入れてあげると、自分もよく理解できますし、相手にはちゃんと聴いてもらえてるな、という実感がわくでしょう。分からない事は、ちゃんと分からないと伝える勇気が必要かもしれません。それが相手を否定することではなく、理解しようとする意思表示にもなるので、とても大切なのです。Q.先生の出される質問に答えられない点がいくつかあったのですが、それに関してはどう捉えていったらいいでしょうか?(例えば、「どうお金と付き合って行きたい?」という問いに対する答えが見つからなかったのですが、隣の方が意見を話されると「私もそうだ」と思いつくのです)A.ワークショップでの実習や質問は普段あまり考えないテーマが多いと思います。(例えば改めて「お金とどう付き合って行きたい?」なんて考えることってあまりないですよね。しかも、それをグループで話し合ったりなんて、ほとんどしないはず。)だから、答えが出てこなくても全然構いません。ワークショップの中でも実習を始める前に「ちゃんとできなくていいですからね」とか「答えなきゃってわけじゃないですから気楽にやってください」などと前置きを入れるのも必ずしも答えを出すことだけが目的ではなく、考えてみることやそういう見方をしてみることも目的の一つだからなんですね。また、グループの他の方の意見を聴いて「あ、私もそうだ」と思うのは、気付きといってとても大切なものです。逆にこうした気付きはグループでの実習でないとなかなか生まれにくいもので、僕はワークショップの一つの利点だと思っているくらいです。ワークショップが終わってからも気になる質問、実習がありましたら、それは何かのサインですから、日常の中で意識してみるときっと新しい発見がまた生まれてくると思います。Q.あの時こうすれば、こう言えば良かった。ああすれば、うまくいっていたかもしれない・・・と後悔してしまうのですが、どうしたら吹っ切れるでしょうか?その場では何とか思い直して納得できても、すぐに後悔し始めてしまいます。A.それだけ心に留まる何かがあるんですよね、きっと。それは何なのでしょうね?無理に後悔をやめて吹っ切ろうとしない方がいいかもしれません。どうして後悔する必要があるんだろう?などと見方を変えてみるのも一つの手です。後悔はいけないことではなく、何か必要性があるんじゃないか?って見てみるわけです。例えば“後悔”の裏側には何らかの自己攻撃が隠れていて、むしろ、その内容(ああすれば良かったこと)よりも、自分を責めるための道具として後悔を使ってしまうことも多いくらいです。つまり、自分で自分を苦しめるために後悔する、みたいな感じです。だから、後悔をやめようと思っても繰り返されてしまうんですね。で、その上で、その内容をじっくり検討してみることにしましょう。後悔すると過去にばかり意識が取られてしまい、今現在から目を逸らしてしまい勝ち。だから、意識を“今”に持ってくることが大事です。そのことについて「今できることはないか?」「その経験を今生かせることはないか?」という考え方ができるととても良いかもしれません。必ず何か出来る事、生かされる事ががあるはずなんですね。それは同じことを繰り返さないためにも大切なことでもありますね。そして、今により比重をかけられるようになると、きっと後悔の呪縛から解き放たれていくでしょう。まずは焦らずに、後悔を否定するのではなく受け入れるところから、始めて見ましょう。※参考:心理学講座 No.215 後悔の心理学~どう付き合い、何を学べばいいのだろう?~Q.人と比べてしまう、人と競争してしまう、周りの目が気になる、というのは自分に自信がないからなのでしょうか?自分で自分を認められない分、人には認めて欲しいと思ってしまいます。それは本当の自信ではないでしょうか?A.もし、自信があったとしたら・・・誰かと自分を比べることはしなくなるんじゃないでしょうか?自信を持つというのは、自分自身の存在や価値を認められることです。つまり、今の自分でOKなんだ、と許すことができるんですね。そういうときはきっと他人のことも無条件に認めることができるでしょう。競争心がある分だけ嫉妬したり、相手を否定したくなるものです。つまり、自分で自分のことを認められない、信じられないから、誰かに認めて欲しいと思うようになるんですね。それは誰かに依存する思いなので、他の人のことが気になるし、ちょっとでも自分よりも他の人を支持したりすると傷つくし、嫉妬したりするのです。自分に自信を感じている時は、それが周りに投影されますから、「周りの人もきっと自分を認めてくれているんだろう」と感じられます。(だから、周りの人の目を気にする事がなくなります)こういう疑問が出てくるときは自分が頑張っているときで、それを受け入れて認めてあげるときが来てるのかもしれませんね。気付かないうちに自分に自信を持ってるのかもしれませんよ・・・。Q.自信とは弱さをさらけ出す事、見せる事とありましたが、それと最後の実習の「誰のために」とはどんな関係があるのでしょうか?A.自信をつけるためには、自分の弱さを受け入れる強さが必要で、逆にその弱さをオープンにすることで強くなれ、自信をつけることができます。また、最後の「誰のために」という実習では、自己嫌悪を乗り越えたり、自信をつけるプロセスを紹介しました。私達は自分ひとりのために頑張るには限界があります。その際、「誰かのために・・・(誰か=具体的な人)」という意識を持つことで、強くなり、乗り越えられることが少なくありません。例えば、多くの子供を持つ親は「子供のために」という意識が自然に働きます。そのため独身時代や子供を持つ前よりも仕事を頑張ることができたり、より大きな成功を受け取ることが容易になるのです。(もちろん、子供も持たないと成功できないというわけではありません)今回のワークショップでは「自信」をテーマに、さまざまな角度からお話させていただいたり、実習を組み立ててみました。そのため、それぞれの実習の関連性が分かりにくいところがあったかもしれません。申し訳ありませんでした。今後に生かして行きたいと思います。Q.誰かのために自信をつける、というのが良く分かりません。自分のため以外に何があるのか?と思ってしまいます。どうして自分が自信を付けることで誰かが喜ぶのでしょうか?A.あなたの大好きな人、大切な人が自信を失って落ち込んでいたとしたら、それはあなたにとって喜ばしいことでしょうか?きっと違いますよね。たぶん、彼(彼女)が自信を持ち、堂々としていると、あなたも安心したり、頼もしく感じたり、嬉しかったりすると思うんです。だから、あなたが自信を持つことは、あなたのことを大切に思ってくれている人にとってはとても嬉しいことではないでしょうか。よく成功者やスポーツのチャンピオンが「○○のお陰です」ってインタビューで答えていますし、結婚式の新郎新婦の挨拶でも「皆さんのお陰でゴールインできました・・・」という言葉が入ったりします。用意された台詞の場合もあるでしょうが、自分が成功したとき、誰かと分かち合えないのではあまり喜びって感じられないものなんですね。それは誕生日パーティを一人でするような、寂しさや虚しさを感じてしまいます。だから、誰かと分かち合えたときにその成功が本当に意味を持ち、また、そんな自分に誇りを持てる(自信を持てる)のです。そして、そんな自信をつけていくプロセスでは、自分ひとりのためでは自然と限界が生まれ、諦めたり、甘えやすくなるものです。一人で頑張っていても虚しくなると思いません?しかも、そのプロセスではよく困難な壁にぶつかります。でも、そんなときにも「誰かのために・・・」というひと踏ん張りで乗り越えられることが多いんです。大好きなパートナーがいるとき、今までしんどかったはずの仕事が楽になったり、苦手だった料理も頑張ろうと思えたり、そういう経験をされる方も多いと思います。そういう面でも自信をつけるのは自分ひとりのためではなく、自分の周りの人たちのためにもなることだと思うのです。Q.自分の意見を主張することと、協調することのバランスをどう取って行けばいいのでしょうか?A.対人関係やパートナーシップでは良く疑問に思う問題ですよね。こういうテーマは優しい人、気遣いができる人に多いのもポイントです。まずは自分自身のそんな価値も認めてあげましょうね。で、このバランスはとても“感覚的な”もので、言わば服をコーディネイトするときと同じようなものだと思うんですね。だから興味を持って試行錯誤してみたり、色んな人の意見を聴いたりしながら少しずつ学んでいくものと思って気長に見つめてみてください。そして、上手にバランスを取ろうと思えば思うほどかえってうまく行かなくなると思います。(行き詰まってしんどくなってしまいます)協調性に比重を置きすぎると、時に逆効果で自己主張を激しくしてしまうものなんです(ちょうど振り子が逆に振れるように・・・)。しかも、そんな自分を感じて「私はわがままだ」とか「協調性が無い」と思い込んでしまっている方も多いんです。だから、主張も協調もどっちもできるような軽さを目指してみるといいんですね。でも、こういう疑問が沸いてくるときはきっと自分の意見を主張できない場面が多いからかもしれません。今の自分の主張をきちんと見つめてみることも大事で、それをごり押しするのではなく、何とかうまく行かないかなあ?という程度でコミュニケーションを取ってみるといいです。今、誰かに伝えたいこと、分かって欲しいと思っていることはありませんか?それをまずはコミュニケーションしてみましょう。【ご意見・ご感想】◎自信について誤解していた点をたくさん気付けた点と、自信をつけるためのヒントが得られたのが良かったです。◎いつもたくさんの気付きを与えてくださってありがとうございます。◎たいへん和やかな雰囲気で参加しやすかった。◎自己評価のハードル(基準)を下げる実習をした時は結構楽しい気分でした。◎分かりやすい例を挙げて説明してくれた点がよかったと思います。◎大変失礼ながら最初は胡散臭いと思ってました。ごめんなさい。◎お金と人間関係の繋がりを実感しました。(特にお金との付き合い方を考えたとき)◎お金に対する見方が変わりました。色々考えさせられました。◎自分がとてもいい方向に進んでいることを認めさせられた(笑)◎主人との今の状態がわかってよかったー。主人を喜ばせる、満足させる事にチャレンジしていきます!◎いつも分かりやすく解説してくださってありがとうございます。とてもよかったです。◎「自分の中での基準が高い」と言われて、いつも完ぺきさを求めてしまうところが嫌だったのですが、今回ハードルを下げる考え方を普段からやってみようと思いました。◎自分に自信がない、自分が好きじゃない、と思っていたのに、実際はそうでもないことが分かってちょっと嬉しかったです。◎自分の中で感じていたモヤモヤが解消された。◎HPで拝見した印象ではもっと神経細やかな感じだったのですが、実際は気さくな感じでよかったです。できればカウンセリングをお願いしたいと考えてます。◎初めて参加して、色々と考える事ができました。◎仕事で自信を失いかけていたが、ハードルを下げることで少し取り戻せた。◎お金のエネルギーの流れが分かってよかった。“お金が回る”という意味が分かった。楽しかったです。ありがとうございます。◎自分を褒めることが見つかって嬉しかった。◎自信を持つきっかけ(ハードルを下げて自分を褒めること)が出来て嬉しかった。◎いつも分かりやすく楽しく話してくださってありがとうございます。聴くたびに気付く事、分かる事が増えていきます。◎アンケート内容がブログで公開されると思うと何となく書きづらいです。 ⇒そう感じられる方も多いかも知れませんね。質問などは直接したいと思う方もいらっしゃるかと思います。逆に今までこうしたご意見を耳にする機会が無かったことが不思議と言えば不思議ですよね。 僕としては元々ワークショップは公開の場で、参加された皆さんも同じ疑問や興味をもたれるのでは?と思っているのでアンケート内容も公開させていただいています。もちろん、個人が特定される情報は表示しませんのでご安心下さい。 それでも個人的に聴いてみたいという方は、カウンセリングや打ち上げの場などを活用なさってみると良いですね。(打ち上げの場も公共の場ですけど)以上です。ありがとうございました!(第一弾はこちら)
*心理学ワークショップ(名古屋)*
2006/7/8(Sat)『自信の心理学~自分をもっと好きになる!~』
2006/7/8(Sat)『お金の心理学~今よりもっと“いい関係”を築くために~』
鶴舞・愛知県勤労会館つるまいプラザ
* * *Q.友達の話が分かりづらくて、うんうんと適当に相槌を打っていたら「本当にきいてる?」って言われました。人の話を聴くコツって何でしょうか?A.僕はボーっとしているので、お客さんから「私の話分かりにくいですか?」とか「ちゃんと話を聴いてもらえてるのか不安になりました」という意見を耳にすることがあります・・・。ちゃんと聴いてるつもりなんですけど、なかなか難しいですね(^^)さて、そのお友達はきっと話しながらも、自分が話していることがよく分からなくなったのかもしれないです。自分でもよく分からないのに、あなたが相槌を打ってくれてるので、疑問に思ったのかな?話を聴くコツの一つは、できるだけ相手の話を理解しようとすることです。(理解する、というのと、理解しようとする、というのはビミョウに違います)気持ちよく話をしてもらう環境を作ることも大事ですが、「これってこういうこと?」とか「もう一度言ってくれない?」などと途中で質問を入れてあげると、自分もよく理解できますし、相手にはちゃんと聴いてもらえてるな、という実感がわくでしょう。分からない事は、ちゃんと分からないと伝える勇気が必要かもしれません。それが相手を否定することではなく、理解しようとする意思表示にもなるので、とても大切なのです。Q.先生の出される質問に答えられない点がいくつかあったのですが、それに関してはどう捉えていったらいいでしょうか?(例えば、「どうお金と付き合って行きたい?」という問いに対する答えが見つからなかったのですが、隣の方が意見を話されると「私もそうだ」と思いつくのです)A.ワークショップでの実習や質問は普段あまり考えないテーマが多いと思います。(例えば改めて「お金とどう付き合って行きたい?」なんて考えることってあまりないですよね。しかも、それをグループで話し合ったりなんて、ほとんどしないはず。)だから、答えが出てこなくても全然構いません。ワークショップの中でも実習を始める前に「ちゃんとできなくていいですからね」とか「答えなきゃってわけじゃないですから気楽にやってください」などと前置きを入れるのも必ずしも答えを出すことだけが目的ではなく、考えてみることやそういう見方をしてみることも目的の一つだからなんですね。また、グループの他の方の意見を聴いて「あ、私もそうだ」と思うのは、気付きといってとても大切なものです。逆にこうした気付きはグループでの実習でないとなかなか生まれにくいもので、僕はワークショップの一つの利点だと思っているくらいです。ワークショップが終わってからも気になる質問、実習がありましたら、それは何かのサインですから、日常の中で意識してみるときっと新しい発見がまた生まれてくると思います。Q.あの時こうすれば、こう言えば良かった。ああすれば、うまくいっていたかもしれない・・・と後悔してしまうのですが、どうしたら吹っ切れるでしょうか?その場では何とか思い直して納得できても、すぐに後悔し始めてしまいます。A.それだけ心に留まる何かがあるんですよね、きっと。それは何なのでしょうね?無理に後悔をやめて吹っ切ろうとしない方がいいかもしれません。どうして後悔する必要があるんだろう?などと見方を変えてみるのも一つの手です。後悔はいけないことではなく、何か必要性があるんじゃないか?って見てみるわけです。例えば“後悔”の裏側には何らかの自己攻撃が隠れていて、むしろ、その内容(ああすれば良かったこと)よりも、自分を責めるための道具として後悔を使ってしまうことも多いくらいです。つまり、自分で自分を苦しめるために後悔する、みたいな感じです。だから、後悔をやめようと思っても繰り返されてしまうんですね。で、その上で、その内容をじっくり検討してみることにしましょう。後悔すると過去にばかり意識が取られてしまい、今現在から目を逸らしてしまい勝ち。だから、意識を“今”に持ってくることが大事です。そのことについて「今できることはないか?」「その経験を今生かせることはないか?」という考え方ができるととても良いかもしれません。必ず何か出来る事、生かされる事ががあるはずなんですね。それは同じことを繰り返さないためにも大切なことでもありますね。そして、今により比重をかけられるようになると、きっと後悔の呪縛から解き放たれていくでしょう。まずは焦らずに、後悔を否定するのではなく受け入れるところから、始めて見ましょう。※参考:心理学講座 No.215 後悔の心理学~どう付き合い、何を学べばいいのだろう?~Q.人と比べてしまう、人と競争してしまう、周りの目が気になる、というのは自分に自信がないからなのでしょうか?自分で自分を認められない分、人には認めて欲しいと思ってしまいます。それは本当の自信ではないでしょうか?A.もし、自信があったとしたら・・・誰かと自分を比べることはしなくなるんじゃないでしょうか?自信を持つというのは、自分自身の存在や価値を認められることです。つまり、今の自分でOKなんだ、と許すことができるんですね。そういうときはきっと他人のことも無条件に認めることができるでしょう。競争心がある分だけ嫉妬したり、相手を否定したくなるものです。つまり、自分で自分のことを認められない、信じられないから、誰かに認めて欲しいと思うようになるんですね。それは誰かに依存する思いなので、他の人のことが気になるし、ちょっとでも自分よりも他の人を支持したりすると傷つくし、嫉妬したりするのです。自分に自信を感じている時は、それが周りに投影されますから、「周りの人もきっと自分を認めてくれているんだろう」と感じられます。(だから、周りの人の目を気にする事がなくなります)こういう疑問が出てくるときは自分が頑張っているときで、それを受け入れて認めてあげるときが来てるのかもしれませんね。気付かないうちに自分に自信を持ってるのかもしれませんよ・・・。Q.自信とは弱さをさらけ出す事、見せる事とありましたが、それと最後の実習の「誰のために」とはどんな関係があるのでしょうか?A.自信をつけるためには、自分の弱さを受け入れる強さが必要で、逆にその弱さをオープンにすることで強くなれ、自信をつけることができます。また、最後の「誰のために」という実習では、自己嫌悪を乗り越えたり、自信をつけるプロセスを紹介しました。私達は自分ひとりのために頑張るには限界があります。その際、「誰かのために・・・(誰か=具体的な人)」という意識を持つことで、強くなり、乗り越えられることが少なくありません。例えば、多くの子供を持つ親は「子供のために」という意識が自然に働きます。そのため独身時代や子供を持つ前よりも仕事を頑張ることができたり、より大きな成功を受け取ることが容易になるのです。(もちろん、子供も持たないと成功できないというわけではありません)今回のワークショップでは「自信」をテーマに、さまざまな角度からお話させていただいたり、実習を組み立ててみました。そのため、それぞれの実習の関連性が分かりにくいところがあったかもしれません。申し訳ありませんでした。今後に生かして行きたいと思います。Q.誰かのために自信をつける、というのが良く分かりません。自分のため以外に何があるのか?と思ってしまいます。どうして自分が自信を付けることで誰かが喜ぶのでしょうか?A.あなたの大好きな人、大切な人が自信を失って落ち込んでいたとしたら、それはあなたにとって喜ばしいことでしょうか?きっと違いますよね。たぶん、彼(彼女)が自信を持ち、堂々としていると、あなたも安心したり、頼もしく感じたり、嬉しかったりすると思うんです。だから、あなたが自信を持つことは、あなたのことを大切に思ってくれている人にとってはとても嬉しいことではないでしょうか。よく成功者やスポーツのチャンピオンが「○○のお陰です」ってインタビューで答えていますし、結婚式の新郎新婦の挨拶でも「皆さんのお陰でゴールインできました・・・」という言葉が入ったりします。用意された台詞の場合もあるでしょうが、自分が成功したとき、誰かと分かち合えないのではあまり喜びって感じられないものなんですね。それは誕生日パーティを一人でするような、寂しさや虚しさを感じてしまいます。だから、誰かと分かち合えたときにその成功が本当に意味を持ち、また、そんな自分に誇りを持てる(自信を持てる)のです。そして、そんな自信をつけていくプロセスでは、自分ひとりのためでは自然と限界が生まれ、諦めたり、甘えやすくなるものです。一人で頑張っていても虚しくなると思いません?しかも、そのプロセスではよく困難な壁にぶつかります。でも、そんなときにも「誰かのために・・・」というひと踏ん張りで乗り越えられることが多いんです。大好きなパートナーがいるとき、今までしんどかったはずの仕事が楽になったり、苦手だった料理も頑張ろうと思えたり、そういう経験をされる方も多いと思います。そういう面でも自信をつけるのは自分ひとりのためではなく、自分の周りの人たちのためにもなることだと思うのです。Q.自分の意見を主張することと、協調することのバランスをどう取って行けばいいのでしょうか?A.対人関係やパートナーシップでは良く疑問に思う問題ですよね。こういうテーマは優しい人、気遣いができる人に多いのもポイントです。まずは自分自身のそんな価値も認めてあげましょうね。で、このバランスはとても“感覚的な”もので、言わば服をコーディネイトするときと同じようなものだと思うんですね。だから興味を持って試行錯誤してみたり、色んな人の意見を聴いたりしながら少しずつ学んでいくものと思って気長に見つめてみてください。そして、上手にバランスを取ろうと思えば思うほどかえってうまく行かなくなると思います。(行き詰まってしんどくなってしまいます)協調性に比重を置きすぎると、時に逆効果で自己主張を激しくしてしまうものなんです(ちょうど振り子が逆に振れるように・・・)。しかも、そんな自分を感じて「私はわがままだ」とか「協調性が無い」と思い込んでしまっている方も多いんです。だから、主張も協調もどっちもできるような軽さを目指してみるといいんですね。でも、こういう疑問が沸いてくるときはきっと自分の意見を主張できない場面が多いからかもしれません。今の自分の主張をきちんと見つめてみることも大事で、それをごり押しするのではなく、何とかうまく行かないかなあ?という程度でコミュニケーションを取ってみるといいです。今、誰かに伝えたいこと、分かって欲しいと思っていることはありませんか?それをまずはコミュニケーションしてみましょう。【ご意見・ご感想】◎自信について誤解していた点をたくさん気付けた点と、自信をつけるためのヒントが得られたのが良かったです。◎いつもたくさんの気付きを与えてくださってありがとうございます。◎たいへん和やかな雰囲気で参加しやすかった。◎自己評価のハードル(基準)を下げる実習をした時は結構楽しい気分でした。◎分かりやすい例を挙げて説明してくれた点がよかったと思います。◎大変失礼ながら最初は胡散臭いと思ってました。ごめんなさい。◎お金と人間関係の繋がりを実感しました。(特にお金との付き合い方を考えたとき)◎お金に対する見方が変わりました。色々考えさせられました。◎自分がとてもいい方向に進んでいることを認めさせられた(笑)◎主人との今の状態がわかってよかったー。主人を喜ばせる、満足させる事にチャレンジしていきます!◎いつも分かりやすく解説してくださってありがとうございます。とてもよかったです。◎「自分の中での基準が高い」と言われて、いつも完ぺきさを求めてしまうところが嫌だったのですが、今回ハードルを下げる考え方を普段からやってみようと思いました。◎自分に自信がない、自分が好きじゃない、と思っていたのに、実際はそうでもないことが分かってちょっと嬉しかったです。◎自分の中で感じていたモヤモヤが解消された。◎HPで拝見した印象ではもっと神経細やかな感じだったのですが、実際は気さくな感じでよかったです。できればカウンセリングをお願いしたいと考えてます。◎初めて参加して、色々と考える事ができました。◎仕事で自信を失いかけていたが、ハードルを下げることで少し取り戻せた。◎お金のエネルギーの流れが分かってよかった。“お金が回る”という意味が分かった。楽しかったです。ありがとうございます。◎自分を褒めることが見つかって嬉しかった。◎自信を持つきっかけ(ハードルを下げて自分を褒めること)が出来て嬉しかった。◎いつも分かりやすく楽しく話してくださってありがとうございます。聴くたびに気付く事、分かる事が増えていきます。◎アンケート内容がブログで公開されると思うと何となく書きづらいです。 ⇒そう感じられる方も多いかも知れませんね。質問などは直接したいと思う方もいらっしゃるかと思います。逆に今までこうしたご意見を耳にする機会が無かったことが不思議と言えば不思議ですよね。 僕としては元々ワークショップは公開の場で、参加された皆さんも同じ疑問や興味をもたれるのでは?と思っているのでアンケート内容も公開させていただいています。もちろん、個人が特定される情報は表示しませんのでご安心下さい。 それでも個人的に聴いてみたいという方は、カウンセリングや打ち上げの場などを活用なさってみると良いですね。(打ち上げの場も公共の場ですけど)以上です。ありがとうございました!(第一弾はこちら)
ご参加くださった皆さんありがとうございました。
アンケートにて頂きましたご質問に回答させていただきます。
参加されていない方にもできるだけ分かりやすいように作成しているつもりですので、どうぞお時間のある時にお楽しみ下さい。
今回は長くなりましたので、二回に分けてお届けします。
まずは第一弾!
*心理学ワークショップ(名古屋)*
2006/7/8(Sat)『自信の心理学~自分をもっと好きになる!~』
2006/7/8(Sat)『お金の心理学~今よりもっと“いい関係”を築くために~』
鶴舞・愛知県勤労会館つるまいプラザ
* * *【質問・疑問】Q.夫を成功させるには?A.こういうテーマを持てること自体がとても素晴らしいことですね。内面的にも、環境的にも。まずは、その思いをご主人に伝えてみてはいかがでしょうか。もちろん、負担にならない言い方をすることも大事です!(思いが強すぎるとプレッシャーになってしまいますから)。意識の置き場所としては、彼の成功を本心から祈ること、そのために自分がベストを尽くすことを決意することが大切だと思います。そして、何よりも自分が楽しむこと、喜ぶことが大事です。自分が楽しむことや癒されることが、同時にご主人を楽しませ、癒すことに繋がることを忘れないでおいてください。特に一方がしんどいときに、つい、お付き合いして共倒れしてしまう夫婦も多いんですね。助けてあげたい気持ちの強さと、それが思うようにいかない無力感に苛まれてバランスを崩してしまうのです。一緒に成功したいと思ったり、運命共同体である夫婦の関係では、二人三脚をしているように、ちょっとしたことでバランスを崩してしまいがち。だから、自分自身がきちんとセンターにいること(自分らしくいられること)が、とても大切なんですね。そして、ご主人が本当に行き詰まり、しんどいときに、最高の笑顔で「大丈夫よ!」と言ってあげられるように自分自身を磨いてきましょう。それが彼にとっての一番のサポートとなるんです。パートナーシップは一人で頑張らなくても、どちらかが成功すれば、その恩恵を二人が受け取れ、分かち合えます。その思いがご主人に届いて、更なる成功を受け取れますように・・・。Q.最近自分が頑張っていて自信がついてきたのですが、その後はどうしていけばいいのでしょうか?一直線に進んでいっていいってことでしょうか?A.はい。一直線に進んでいきましょう。行けるところまで行ったろ!と思うくらいがちょうどいいかもしれません。私達は自信の無いときには一歩前に進むこともドキドキし、不安になり、また、重たく感じられがちなのですが、自信が付いてくると不思議と足取りが軽くなるんですね。だから、「え?こんな軽くていいの?こんな簡単にうまくいっちゃっていいの?」という状態がやってくるんです。その時に素直に「やったー!ラッキー!」と受け取ってみましょう。それは心がけ次第できっと出来るはず。時には自然と笑みがこぼれ、ニヤニヤして怪しい奴に見えるときもありますが、そこは思い切りヨダレを垂らして、今の自分を実感してみてください。一回楽になったからといって、ずーっとうまく行くわけではありません。でも、この自信を得た実感は、きっとそんなときにも力になってくれます。Q.お金を貯めることや節約することに意識を向けすぎて、好きなことに使うことが疎かになっていることに気付きました。そのバランスを上手に取る秘訣はないでしょうか?A.節約に意識を向けすぎる方は、好きなことに使おうと思ってもなかなか思い切りが付かないかもしれません。ケースバイケースではありますが、いくつか考え方をご紹介しますので、ぴんときたものを実行されてみるといいでしょう。1.自分が今ぱっと使ってもいいと思えるお金の上限を決めます。その金額を“投資する”に相応しいことを探し、全額つぎ込みます。これは“使う”のではなく“投資する”という意識を持つことが目的です。ここで言う“投資”とは株や債権などに限らず、ファッションや習い事など衣食住全てに関わることを指します。そういう意識を持つことで、お金を“生かす”という考え方、発想が生まれやすくなり、お金を前向きな気持ちで捉えられるようになります。あとは全額つぎ込むだけの価値のあるものを探すことがポイントです。これは一生懸命やりたいところです。2.自分へのご褒美をきちんと買ってあげる。恋人にプレゼントするように、自分自身にも何かの縁でプレゼントする意識を持ってみるといいですね。誕生日やクリスマスだけでなく、お給料日やその前日に1ヶ月頑張った自分へのご褒美を選んであげたり、自分でもちょっと頑張ったな、と感じた日には美味しいコーヒーを飲ませてあげたり、ほんのちょっとしたところで活用できると思います。※ここでのポイントは自分を“他人化”してみることで、自己承認(自分を認めてあげること)に繋がります。3.“遊び”を作ってみよう。お金だけでなく、時間も人間関係も、歯車やハンドルも“遊び”が大事ですよね。敢えて遊ばせるお金を作ってみるのもいいかもしれません。余裕資金というか、これは自由に使っていい、むしろ、今月中に使わなくちゃいけないお金、という感覚で“遊び”を作ってみるんです。それが例え1000円だったとしても、「何に使えるかな?何して遊べるかな?」という発想を生みやすくなります。・・・どのアプローチも、要は「心に余裕を持つこと」を目的にしているんですね。自分への投資も遊びも、使った分、何らかの形でリターンが得られます。そして、それが更に大きなリターンを呼び、好循環が始まります。Q.お金を得る手段の一つ“職業”ですが、仕事選びも大切ですか?好きなことを仕事にすると、そこに流れるエネルギーも良いものになって収入として流れてくるとお金も輝いてくる一方で、イヤイヤ働いて稼いだお金にはマイナスのエネルギーが流れてそうな・・・。これって思い込みでしょうか?A.まずは一つ目の質問の答えは“Yes”です。ただ、好きなことがすぐに仕事になるわけじゃないので、二つ目がとてもいい質問だと思います。好きなことをして得たお金は、喜んで受け取りやすく、また、自分を認めてあげたり、褒めてあげやすいので輝きます。そして、イヤイヤ働いて稼いだお金は確かにネガティブなエネルギーを帯びやすく、無駄遣いしたり、気がつけばなくなっていたり、逆に借金になって残ったりしてしまうことも少なからずあるでしょう。でも、いい意味での“マネーロンダリング”(ネガなお金をポジに変えること)も考え方一つでできると思います。それはイヤイヤ働いた自分を褒めてあげること、そして、そんな自分に対してもきちんと支払われた報酬に対して感謝すること。例えば、社長さんや取引先の気持ちで見れば、イヤイヤ働いている人にはお金を払いたいとは思えませんよね?でも、契約とはいえ、あなたが働いた分は報酬として支払ってくれるわけですから、そういう意味では感謝感謝です。また、しんどいながら、イヤイヤながらも頑張った自分。これも偉いですよね。また別のアプローチとしては、ネガなエネルギーを帯びたお金はネガに使いやすいので、できるだけポジティブな使い方を心がけるのも効果的ではないでしょうか。とはいえ、分かっていてもこういう風にすぐに考え方を変えるのも難しいと思いますので、まずは、頭で理解するところからでOKです。つまり、マネーロンダリングは不可能ではない、ということは頭の隅にでも入れて置いてください。実際に給料日に振り込まれたお金を一旦全額引き出し、窓口ですべて新札に換えてみると、お金のすごさ、有難みがより実感できたりします。Q.家族がお金を不足しているとき、与えたいと思っても受け取ってもらえないとき、とても無力感を感じてしまうのですが、この感情にはどう対処したらいいのでしょうか?A.受け取ってもらえないのはお金だけではないんですよね。助けたい好意(気持ち)、その他の援助もきっと受け取ってもらえないのではないでしょうか?相手が家族なだけにより深刻になってしまうかもしれませんが、ちょっとドライな目も必要かもしれません。相手にもタイミングがあって、選択権があるということ。援助を必要とせず、自力で頑張りたい時期もあるでしょうし、それが苦しい道、敢えてしんどい選択だと分かっていても(周りの人はほんと冷や冷やすると思うんですが)、貫きたい場合もあります。助けたいから無力感って感じるんですよね。だからこそ、無力感を感じると、諦めたくなったり、放り出したりしてしまうものですが、そうした相手の事情にもできるだけ配慮してあげて、相手に受け取る準備ができたときにすぐに差し出せる(心の)準備をしておくことが大事だと思います。待つのはしんどいものですけどね。この問題に限らず、無力感に対しては、ほんの些細な事、意味の無い事のように感じたとしても、今できることを一生懸命やる、これに尽きるところがあります。もちろん、そういうパターンを持つ背景にも言及することは可能ですが、今できることにまずはベストを尽くしてみましょう。その心意気だけでも、十分自分を成長させてくれますね。Q.自己愛と自己中の違いって何でしょうか?A.このテーマだけでも何時間も話が出来そうですので、ここでは簡潔に。自己愛というのは、自分を愛するということで、自分自身を慈しみ、大切にすることです。(こうした表現は無限にできます)自分を大事にするということは同時に周りの人のためにもなります。あなたの愛する人が、自分で自分を苦しめているということは哀しいことでしょう?だから、自分自身を愛するということは同時に自分の周りの人のためでもあるのです。一方で自己中(自己中心的)というのは、あくまで自分本位ですから、自分自身のことしか見えていない状態ですね。周りの人のことは考えられず、自分さえ良ければ・・・と殻にこもっているように見えるかもしれません。つまり、自己愛というのが周りの人も含めた全体的な視点から自分を大切にするのとは対照的に、自己中というのは個人の中でぐるぐる巡ってしまっている状態ともいえます。例えば、自分が欲しいものがあったとき、それを周りの目を見ずに手に入れようとすれば、それは自己中な行為となるでしょう。でも、自分だけでなくみんなの利益になるような方向で考えることができれば、それは自己愛に繋がるはずです。このテーマにぶつかったときは、改めて自分を愛する、ということに重点を置いてみると良いと思います。特に、周りの人、あなたの味方、友人、家族、そして、パートナーから見て、みんなが幸せになる方向を見つけようとすることで、また一歩成長できるのではないでしょうか。Q.男の自信、女の自信という性別の違いってあるんでしょうか?A.「自信」というのに性別はないと思います。でも、男性ならではの、女性ならではの、というのは確かに存在するかもしれません。例えば、一般的に男性は「仕事」に関して自信がもてないのは生きていく上でとても苦労を感じますし、女性はファッションやスタイルなどに関しては自信のある、なしに悲喜こもごもだと思います。でも、それはあくまで統計的なもので、最終的にはやはり個人的なものですよね。「私の自信」というところに集約されるのではないでしょうか。そして、さらには「私らしさをそのまま受け入れること、承認すること」と言えるかもしれません。Q.自分の周りは好きな人だけ置きたい、関わりたいと思うのは自己中?A.その思いは自己中心的なものかもしれませんが、そうなってしまったのはどうしてなのでしょうね?今は人間関係に疲れていたり、精神的に余裕が無いときなのかもしれませんね・・・。自己中かな?と思うときは、ちゃんと自分で自分を見てあげるときなのかもしれませんね。誰かに見て欲しいと思うものだけど、自分で自分をちゃんと見て、承認して、何とか良い方向に導くアプローチを探してみるときなのかもしれません。自分自身(自分の心)との対話を心がけてみてください!Q.誰かいるところでは自分を良く見せたいと思ってしまい、一人になるとそういう思いはなくなります(今日気付いたのですが)。それってええかっこしぃということなのでしょうか?A.誰でも自分を良く見せたいという“本能的な”ものがあると思いますよ。誰でもええかっこしぃなところはあるし、逆に、自分を卑下して謙虚に振舞おうとするところもあるでしょう。こうしたパターンがよく見られるとすれば、もう少し掘り下げて自分を見てみるといいかもしれません。ええかっこしぃな人には自信の無さが隠れてます。自分をもっと承認してあげることが今のテーマなのかもしれませんね。(その2へ続く)
アンケートにて頂きましたご質問に回答させていただきます。
参加されていない方にもできるだけ分かりやすいように作成しているつもりですので、どうぞお時間のある時にお楽しみ下さい。
今回は長くなりましたので、二回に分けてお届けします。
まずは第一弾!
*心理学ワークショップ(名古屋)*
2006/7/8(Sat)『自信の心理学~自分をもっと好きになる!~』
2006/7/8(Sat)『お金の心理学~今よりもっと“いい関係”を築くために~』
鶴舞・愛知県勤労会館つるまいプラザ
* * *【質問・疑問】Q.夫を成功させるには?A.こういうテーマを持てること自体がとても素晴らしいことですね。内面的にも、環境的にも。まずは、その思いをご主人に伝えてみてはいかがでしょうか。もちろん、負担にならない言い方をすることも大事です!(思いが強すぎるとプレッシャーになってしまいますから)。意識の置き場所としては、彼の成功を本心から祈ること、そのために自分がベストを尽くすことを決意することが大切だと思います。そして、何よりも自分が楽しむこと、喜ぶことが大事です。自分が楽しむことや癒されることが、同時にご主人を楽しませ、癒すことに繋がることを忘れないでおいてください。特に一方がしんどいときに、つい、お付き合いして共倒れしてしまう夫婦も多いんですね。助けてあげたい気持ちの強さと、それが思うようにいかない無力感に苛まれてバランスを崩してしまうのです。一緒に成功したいと思ったり、運命共同体である夫婦の関係では、二人三脚をしているように、ちょっとしたことでバランスを崩してしまいがち。だから、自分自身がきちんとセンターにいること(自分らしくいられること)が、とても大切なんですね。そして、ご主人が本当に行き詰まり、しんどいときに、最高の笑顔で「大丈夫よ!」と言ってあげられるように自分自身を磨いてきましょう。それが彼にとっての一番のサポートとなるんです。パートナーシップは一人で頑張らなくても、どちらかが成功すれば、その恩恵を二人が受け取れ、分かち合えます。その思いがご主人に届いて、更なる成功を受け取れますように・・・。Q.最近自分が頑張っていて自信がついてきたのですが、その後はどうしていけばいいのでしょうか?一直線に進んでいっていいってことでしょうか?A.はい。一直線に進んでいきましょう。行けるところまで行ったろ!と思うくらいがちょうどいいかもしれません。私達は自信の無いときには一歩前に進むこともドキドキし、不安になり、また、重たく感じられがちなのですが、自信が付いてくると不思議と足取りが軽くなるんですね。だから、「え?こんな軽くていいの?こんな簡単にうまくいっちゃっていいの?」という状態がやってくるんです。その時に素直に「やったー!ラッキー!」と受け取ってみましょう。それは心がけ次第できっと出来るはず。時には自然と笑みがこぼれ、ニヤニヤして怪しい奴に見えるときもありますが、そこは思い切りヨダレを垂らして、今の自分を実感してみてください。一回楽になったからといって、ずーっとうまく行くわけではありません。でも、この自信を得た実感は、きっとそんなときにも力になってくれます。Q.お金を貯めることや節約することに意識を向けすぎて、好きなことに使うことが疎かになっていることに気付きました。そのバランスを上手に取る秘訣はないでしょうか?A.節約に意識を向けすぎる方は、好きなことに使おうと思ってもなかなか思い切りが付かないかもしれません。ケースバイケースではありますが、いくつか考え方をご紹介しますので、ぴんときたものを実行されてみるといいでしょう。1.自分が今ぱっと使ってもいいと思えるお金の上限を決めます。その金額を“投資する”に相応しいことを探し、全額つぎ込みます。これは“使う”のではなく“投資する”という意識を持つことが目的です。ここで言う“投資”とは株や債権などに限らず、ファッションや習い事など衣食住全てに関わることを指します。そういう意識を持つことで、お金を“生かす”という考え方、発想が生まれやすくなり、お金を前向きな気持ちで捉えられるようになります。あとは全額つぎ込むだけの価値のあるものを探すことがポイントです。これは一生懸命やりたいところです。2.自分へのご褒美をきちんと買ってあげる。恋人にプレゼントするように、自分自身にも何かの縁でプレゼントする意識を持ってみるといいですね。誕生日やクリスマスだけでなく、お給料日やその前日に1ヶ月頑張った自分へのご褒美を選んであげたり、自分でもちょっと頑張ったな、と感じた日には美味しいコーヒーを飲ませてあげたり、ほんのちょっとしたところで活用できると思います。※ここでのポイントは自分を“他人化”してみることで、自己承認(自分を認めてあげること)に繋がります。3.“遊び”を作ってみよう。お金だけでなく、時間も人間関係も、歯車やハンドルも“遊び”が大事ですよね。敢えて遊ばせるお金を作ってみるのもいいかもしれません。余裕資金というか、これは自由に使っていい、むしろ、今月中に使わなくちゃいけないお金、という感覚で“遊び”を作ってみるんです。それが例え1000円だったとしても、「何に使えるかな?何して遊べるかな?」という発想を生みやすくなります。・・・どのアプローチも、要は「心に余裕を持つこと」を目的にしているんですね。自分への投資も遊びも、使った分、何らかの形でリターンが得られます。そして、それが更に大きなリターンを呼び、好循環が始まります。Q.お金を得る手段の一つ“職業”ですが、仕事選びも大切ですか?好きなことを仕事にすると、そこに流れるエネルギーも良いものになって収入として流れてくるとお金も輝いてくる一方で、イヤイヤ働いて稼いだお金にはマイナスのエネルギーが流れてそうな・・・。これって思い込みでしょうか?A.まずは一つ目の質問の答えは“Yes”です。ただ、好きなことがすぐに仕事になるわけじゃないので、二つ目がとてもいい質問だと思います。好きなことをして得たお金は、喜んで受け取りやすく、また、自分を認めてあげたり、褒めてあげやすいので輝きます。そして、イヤイヤ働いて稼いだお金は確かにネガティブなエネルギーを帯びやすく、無駄遣いしたり、気がつけばなくなっていたり、逆に借金になって残ったりしてしまうことも少なからずあるでしょう。でも、いい意味での“マネーロンダリング”(ネガなお金をポジに変えること)も考え方一つでできると思います。それはイヤイヤ働いた自分を褒めてあげること、そして、そんな自分に対してもきちんと支払われた報酬に対して感謝すること。例えば、社長さんや取引先の気持ちで見れば、イヤイヤ働いている人にはお金を払いたいとは思えませんよね?でも、契約とはいえ、あなたが働いた分は報酬として支払ってくれるわけですから、そういう意味では感謝感謝です。また、しんどいながら、イヤイヤながらも頑張った自分。これも偉いですよね。また別のアプローチとしては、ネガなエネルギーを帯びたお金はネガに使いやすいので、できるだけポジティブな使い方を心がけるのも効果的ではないでしょうか。とはいえ、分かっていてもこういう風にすぐに考え方を変えるのも難しいと思いますので、まずは、頭で理解するところからでOKです。つまり、マネーロンダリングは不可能ではない、ということは頭の隅にでも入れて置いてください。実際に給料日に振り込まれたお金を一旦全額引き出し、窓口ですべて新札に換えてみると、お金のすごさ、有難みがより実感できたりします。Q.家族がお金を不足しているとき、与えたいと思っても受け取ってもらえないとき、とても無力感を感じてしまうのですが、この感情にはどう対処したらいいのでしょうか?A.受け取ってもらえないのはお金だけではないんですよね。助けたい好意(気持ち)、その他の援助もきっと受け取ってもらえないのではないでしょうか?相手が家族なだけにより深刻になってしまうかもしれませんが、ちょっとドライな目も必要かもしれません。相手にもタイミングがあって、選択権があるということ。援助を必要とせず、自力で頑張りたい時期もあるでしょうし、それが苦しい道、敢えてしんどい選択だと分かっていても(周りの人はほんと冷や冷やすると思うんですが)、貫きたい場合もあります。助けたいから無力感って感じるんですよね。だからこそ、無力感を感じると、諦めたくなったり、放り出したりしてしまうものですが、そうした相手の事情にもできるだけ配慮してあげて、相手に受け取る準備ができたときにすぐに差し出せる(心の)準備をしておくことが大事だと思います。待つのはしんどいものですけどね。この問題に限らず、無力感に対しては、ほんの些細な事、意味の無い事のように感じたとしても、今できることを一生懸命やる、これに尽きるところがあります。もちろん、そういうパターンを持つ背景にも言及することは可能ですが、今できることにまずはベストを尽くしてみましょう。その心意気だけでも、十分自分を成長させてくれますね。Q.自己愛と自己中の違いって何でしょうか?A.このテーマだけでも何時間も話が出来そうですので、ここでは簡潔に。自己愛というのは、自分を愛するということで、自分自身を慈しみ、大切にすることです。(こうした表現は無限にできます)自分を大事にするということは同時に周りの人のためにもなります。あなたの愛する人が、自分で自分を苦しめているということは哀しいことでしょう?だから、自分自身を愛するということは同時に自分の周りの人のためでもあるのです。一方で自己中(自己中心的)というのは、あくまで自分本位ですから、自分自身のことしか見えていない状態ですね。周りの人のことは考えられず、自分さえ良ければ・・・と殻にこもっているように見えるかもしれません。つまり、自己愛というのが周りの人も含めた全体的な視点から自分を大切にするのとは対照的に、自己中というのは個人の中でぐるぐる巡ってしまっている状態ともいえます。例えば、自分が欲しいものがあったとき、それを周りの目を見ずに手に入れようとすれば、それは自己中な行為となるでしょう。でも、自分だけでなくみんなの利益になるような方向で考えることができれば、それは自己愛に繋がるはずです。このテーマにぶつかったときは、改めて自分を愛する、ということに重点を置いてみると良いと思います。特に、周りの人、あなたの味方、友人、家族、そして、パートナーから見て、みんなが幸せになる方向を見つけようとすることで、また一歩成長できるのではないでしょうか。Q.男の自信、女の自信という性別の違いってあるんでしょうか?A.「自信」というのに性別はないと思います。でも、男性ならではの、女性ならではの、というのは確かに存在するかもしれません。例えば、一般的に男性は「仕事」に関して自信がもてないのは生きていく上でとても苦労を感じますし、女性はファッションやスタイルなどに関しては自信のある、なしに悲喜こもごもだと思います。でも、それはあくまで統計的なもので、最終的にはやはり個人的なものですよね。「私の自信」というところに集約されるのではないでしょうか。そして、さらには「私らしさをそのまま受け入れること、承認すること」と言えるかもしれません。Q.自分の周りは好きな人だけ置きたい、関わりたいと思うのは自己中?A.その思いは自己中心的なものかもしれませんが、そうなってしまったのはどうしてなのでしょうね?今は人間関係に疲れていたり、精神的に余裕が無いときなのかもしれませんね・・・。自己中かな?と思うときは、ちゃんと自分で自分を見てあげるときなのかもしれませんね。誰かに見て欲しいと思うものだけど、自分で自分をちゃんと見て、承認して、何とか良い方向に導くアプローチを探してみるときなのかもしれません。自分自身(自分の心)との対話を心がけてみてください!Q.誰かいるところでは自分を良く見せたいと思ってしまい、一人になるとそういう思いはなくなります(今日気付いたのですが)。それってええかっこしぃということなのでしょうか?A.誰でも自分を良く見せたいという“本能的な”ものがあると思いますよ。誰でもええかっこしぃなところはあるし、逆に、自分を卑下して謙虚に振舞おうとするところもあるでしょう。こうしたパターンがよく見られるとすれば、もう少し掘り下げて自分を見てみるといいかもしれません。ええかっこしぃな人には自信の無さが隠れてます。自分をもっと承認してあげることが今のテーマなのかもしれませんね。(その2へ続く)
「泣きたいのに泣けないとき」
*「こんなとき、どうしたらいいの?」にお答えする心の処方箋シリーズ*
私達は苦しくても、辛くても、それをじっと耐えて目標に向かい、解決に向かい、頑張っています。
そういうとき、とても気を張っているので、我慢することが当たり前になり、心の中に溜まってしまっている様々な感情を流してあげることができなくなるのです。
そんなとき、涙は心を洗い流してくれる恵みの雨となります。でも、「泣くことは大人としては恥」とか「そんな女々しい事はダメだ」と禁止してしまい、強がってしまっていることも少なくないのです。そんなとき、心は固く固く閉じられていて、余裕もまったくない状態になるのです。「たぶん、泣きたいんだと思います。でも、泣いてしまったら、止まらなくなってしまいそうで怖いんです」という女性がいます。彼女はどれくらい自分の気持ちを心に溜め込んで、必死に生きてこられたのでしょう?「涙を流したら一気に崩れ去り、自分がいなくなるような気がするんです。だから、我慢してないといけないんです」という男性がいます。彼はどれくらい自分を厳しく律し、自分や他の誰かを守ってきたのでしょう?思い切り泣ける場所があることは、素敵だと、思いませんか?それはあなたが心を許せる場所であり、居場所となって慰めてくれるオアシスであり、また、自分の心を解き放てる場所でもあります。解くのは涙ではなく、心、です。泣きたいと思ったら、一人の時で構いませんから、勇気を出して思い切り泣いてみましょう。情けないなあ~弱いなあ~と思う必要はありません。でも、そう感じてしまったら、それくらい自分に厳しく、苦しめてきたんだな、と気付いてください。そこからまた新しい流れが生み出されていきます。でも、ほんとうは、誰か、あなたが安心できる人の傍で泣けるともっとすっきりします。ひと泣きした後は、そんな心のオアシスを探していきましょう。
*「こんなとき、どうしたらいいの?」にお答えする心の処方箋シリーズ*
私達は苦しくても、辛くても、それをじっと耐えて目標に向かい、解決に向かい、頑張っています。
そういうとき、とても気を張っているので、我慢することが当たり前になり、心の中に溜まってしまっている様々な感情を流してあげることができなくなるのです。
そんなとき、涙は心を洗い流してくれる恵みの雨となります。でも、「泣くことは大人としては恥」とか「そんな女々しい事はダメだ」と禁止してしまい、強がってしまっていることも少なくないのです。そんなとき、心は固く固く閉じられていて、余裕もまったくない状態になるのです。「たぶん、泣きたいんだと思います。でも、泣いてしまったら、止まらなくなってしまいそうで怖いんです」という女性がいます。彼女はどれくらい自分の気持ちを心に溜め込んで、必死に生きてこられたのでしょう?「涙を流したら一気に崩れ去り、自分がいなくなるような気がするんです。だから、我慢してないといけないんです」という男性がいます。彼はどれくらい自分を厳しく律し、自分や他の誰かを守ってきたのでしょう?思い切り泣ける場所があることは、素敵だと、思いませんか?それはあなたが心を許せる場所であり、居場所となって慰めてくれるオアシスであり、また、自分の心を解き放てる場所でもあります。解くのは涙ではなく、心、です。泣きたいと思ったら、一人の時で構いませんから、勇気を出して思い切り泣いてみましょう。情けないなあ~弱いなあ~と思う必要はありません。でも、そう感じてしまったら、それくらい自分に厳しく、苦しめてきたんだな、と気付いてください。そこからまた新しい流れが生み出されていきます。でも、ほんとうは、誰か、あなたが安心できる人の傍で泣けるともっとすっきりします。ひと泣きした後は、そんな心のオアシスを探していきましょう。
カウンセリングを使ってくださったお客様から見た根本をご紹介します。
実際にお話しする前に、お会いする前に、だいたいどんな風に見えるかが分かればより安心して使ってもらえるかな?と思って始めたこの企画。
とても嬉しくて、かつ、とても照れます・・・。
頂いた原文をそのまま掲載しています。
皆さん、表現に個性が現れていて面白いですね。
それにこれだけ積み重ねてくると、共通項が見えてきて興味深いです。(←この辺になると、もうひとごと?)
* * *カウンセリングサービスのホームページはたびたび覗いていたもののカウンセリングに足が向かないまま時が過ぎて半年。なぜかある日突然、根本さんのプロフィールページに私の直感が激しく反応しそこからは自分でもびっくりするぐらいの行動力を発揮して東京から大阪まで飛んでいきました。根本さんのネットでの写真の印象は「大きくて包容力がありそう」「大阪人だし会話のテンポがはやそう」ということだったかと思いますがたくさんの方がネットでの印象と実物とが違うとコメントされているのと同様私もネットで拝見した感じとその後お会いした印象とが違うと感じた一人です。実際にお会いした際の第一印象は「意外にシャイな感じ」ということ。そして根本さんは体は大きくとも、全体を縁取る輪郭線が細く、繊細な心の持ち主であろうとの印象を受けました。輪郭が細いというとおかしな感じかもしれませんが私の心の中に「スッ」と入り込んでくれてそばに寄り添ってくれるような、良い意味での細さを感じたのを覚えています。当初に感じていた「大きくガバッと全てを包み込むような包容力」といった力づよいイメージも一要素として確かにお持ちでしたが、それよりも心のそばに寄り添って辛い箇所を手で包み込んでくれるような、もしくは、心の中にあるとても小さいけれど鋭く硬いとげを持つ石ころを虫眼鏡を持って一生懸命探して拾い出してくれるようなピンポイントの繊細な優しさをお持ちと感じました。カウンセリングを受けるかどうか迷いつづけていた私が根本さんに何を感じ、そしてその直感を信じて行動に移すことができたのか。それは根本さんの人に対する洞察力の深さがカウンセリングの事例から読み取れたからということもありますが今改めて思い返してみると、そんな根本さんの「シャイな感じ」や「繊細さ」をネットから感じ取り、特にシャイな部分については(誠に勝手ながら)「お仲間かも」と感じたからではないかと思います。おかしな言い方かもしれませんが根本さんは苦しみを乗り越えて「解脱」した感じではありません。根本さんはいまもなお苦しみを心に持ちつつ、その自分の体験した苦しみを一つの地図にして他人の苦しみを探し当てる名人なのではないかと思っています。解脱した先生や神ではありませんのでその場ですぐ答えがもらえるものではありませんが自分と一緒に地図を見ながら旅をしてくださる分より深く根本さんとの共感という形で自分の心を感じ取ることができ、それが癒しにつながっているのだと思っています。その後もカウンセリング等々で根本さんにお会いするにつれ人に見つけられないようかごの中に一生懸命押し込めていた辛さをあっという間に見つけ出して鳥でも飛ばすように空に放ってくれるような自由人のイメージも、根本さんの一側面としてあるのではないかと感じるようになりました。大きくて繊細でそして自由な人。関連性がなく矛盾もする要素を一つの体の中に全て併せ持っているところがカウンセラー・根本さんの魅力ではないかと思います。※追伸根本さんのシャイさゆえかそれともプロとしての客観的な観察眼を発揮されているがゆえかそれとも私の猜疑心がまだ払拭されていなかったためか初回のカウンセリングでは、「本当に私の話を聞いてくれているのだろうか」とやや心配になったのも事実です。すみません。もちろんセッションが進むにつれてそのような誤解は解けましたし根本さんがしっかり私のことを見て下さっていたこともわかってとても嬉しかったです。それが証拠に、たった一度カウンセリングを受けただけの状態でその後のワークショップにうかがった際開口一番「顔が変わりましたね」と。これには本当に感激しました。年間何千人もクライアントさんと話をされている中でも一人一人のことを大事に見てくださっていることが、何よりも根本さんの素晴らしいところだと心底思っています。(東京都、Sさん)
実際にお話しする前に、お会いする前に、だいたいどんな風に見えるかが分かればより安心して使ってもらえるかな?と思って始めたこの企画。
とても嬉しくて、かつ、とても照れます・・・。
頂いた原文をそのまま掲載しています。
皆さん、表現に個性が現れていて面白いですね。
それにこれだけ積み重ねてくると、共通項が見えてきて興味深いです。(←この辺になると、もうひとごと?)
* * *カウンセリングサービスのホームページはたびたび覗いていたもののカウンセリングに足が向かないまま時が過ぎて半年。なぜかある日突然、根本さんのプロフィールページに私の直感が激しく反応しそこからは自分でもびっくりするぐらいの行動力を発揮して東京から大阪まで飛んでいきました。根本さんのネットでの写真の印象は「大きくて包容力がありそう」「大阪人だし会話のテンポがはやそう」ということだったかと思いますがたくさんの方がネットでの印象と実物とが違うとコメントされているのと同様私もネットで拝見した感じとその後お会いした印象とが違うと感じた一人です。実際にお会いした際の第一印象は「意外にシャイな感じ」ということ。そして根本さんは体は大きくとも、全体を縁取る輪郭線が細く、繊細な心の持ち主であろうとの印象を受けました。輪郭が細いというとおかしな感じかもしれませんが私の心の中に「スッ」と入り込んでくれてそばに寄り添ってくれるような、良い意味での細さを感じたのを覚えています。当初に感じていた「大きくガバッと全てを包み込むような包容力」といった力づよいイメージも一要素として確かにお持ちでしたが、それよりも心のそばに寄り添って辛い箇所を手で包み込んでくれるような、もしくは、心の中にあるとても小さいけれど鋭く硬いとげを持つ石ころを虫眼鏡を持って一生懸命探して拾い出してくれるようなピンポイントの繊細な優しさをお持ちと感じました。カウンセリングを受けるかどうか迷いつづけていた私が根本さんに何を感じ、そしてその直感を信じて行動に移すことができたのか。それは根本さんの人に対する洞察力の深さがカウンセリングの事例から読み取れたからということもありますが今改めて思い返してみると、そんな根本さんの「シャイな感じ」や「繊細さ」をネットから感じ取り、特にシャイな部分については(誠に勝手ながら)「お仲間かも」と感じたからではないかと思います。おかしな言い方かもしれませんが根本さんは苦しみを乗り越えて「解脱」した感じではありません。根本さんはいまもなお苦しみを心に持ちつつ、その自分の体験した苦しみを一つの地図にして他人の苦しみを探し当てる名人なのではないかと思っています。解脱した先生や神ではありませんのでその場ですぐ答えがもらえるものではありませんが自分と一緒に地図を見ながら旅をしてくださる分より深く根本さんとの共感という形で自分の心を感じ取ることができ、それが癒しにつながっているのだと思っています。その後もカウンセリング等々で根本さんにお会いするにつれ人に見つけられないようかごの中に一生懸命押し込めていた辛さをあっという間に見つけ出して鳥でも飛ばすように空に放ってくれるような自由人のイメージも、根本さんの一側面としてあるのではないかと感じるようになりました。大きくて繊細でそして自由な人。関連性がなく矛盾もする要素を一つの体の中に全て併せ持っているところがカウンセラー・根本さんの魅力ではないかと思います。※追伸根本さんのシャイさゆえかそれともプロとしての客観的な観察眼を発揮されているがゆえかそれとも私の猜疑心がまだ払拭されていなかったためか初回のカウンセリングでは、「本当に私の話を聞いてくれているのだろうか」とやや心配になったのも事実です。すみません。もちろんセッションが進むにつれてそのような誤解は解けましたし根本さんがしっかり私のことを見て下さっていたこともわかってとても嬉しかったです。それが証拠に、たった一度カウンセリングを受けただけの状態でその後のワークショップにうかがった際開口一番「顔が変わりましたね」と。これには本当に感激しました。年間何千人もクライアントさんと話をされている中でも一人一人のことを大事に見てくださっていることが、何よりも根本さんの素晴らしいところだと心底思っています。(東京都、Sさん)
僕は乗り物に乗るときは必ず窓際の席を取るようにしている。
それが例え、雲の中を飛ぶ飛行機であったとしても窓際でないと落ち着かないような気がしてしまう。
これは幼少期、山の中の生家から幼稚園に通うときも、運送業を営む父親のトラックに乗って遠くに連れて行ってもらうときも当然のように窓際に座って窓の外を眺めていた。
(もっともその頃の僕は車酔いが激しく、窓際でないと非常時に対応できなかったせいもある。因みに真ん中の席は上の妹が確保し、ずっと歌を歌っていた記憶がある)
先日、名古屋へ出張したときも大阪からの二時間の行程をずっと窓の外ばかり眺めて過ごしていた。(最近は趣味と実益を兼ねて近鉄特急にて移動している)カバンの中には仕事もたくさん入っているし、読みかけの小説も数冊スタンバイしている。なかなか二時間もまとめて取れる時間なんて無いのだし、こういうときくらいは仕事すればいいのに、と思うのだが、つい窓の外を眺めて過ごしてしまう。もちろん、頭の中は景色のことばかりではなく、あれこれと色んなことを考えている(生活のこと、仕事の進め方、今度いつ旅行に行こうか?など)。奈良も桜井の辺りを過ぎれてば後はずっと森というか山あいを抜けていく。そうすると普段目にすることのない緑が圧倒的に視界を占めるようになる。でも、どことなく代わり映えのしない山の風景が続くのも確かで、だから、それが気持ちいいとか、すっきりするとか、マイナスイオンで癒される・・・とか、残念ながらそういう話ではない。しかも、時期は梅雨の真っ最中であった。快晴の中ならまだしも、いつ泣き出すとも分からない曇り空の下であるから、なお、景色に爽快感を求めるのは酷というものだと思う。都会育ちのうちの奥さんはこういう田舎の風景に心奪われ、憧れすら抱くらしいのだが、田舎育ちの僕(僕が生まれた家は、ほんとうに山の中にある一軒家だった)としては、夜の暗闇の恐怖心や湿気のもたらす不快感なども思い出されるので、青々としている緑に懐かしさを覚える一方で、そうしたネガティブな思いも蘇ってきて必ずしも手放しには喜べない。そうはいっても自然の中を走る電車からは、突如一際目を引く山や大木に出会ったり、広々とした田んぼに感動したり、それが何なのか、どこなのか、非常に気になるものに目が留まることも少なくない。そんなときは次に通過する駅名を必死の動体視力で読み取り、後でその辺りの地図をチェックして、僕の中の「素敵な場所リスト」を増やしていく。このリストは何かの時に僕の心に妄想を広げ、心を解放する最高の材料を提供してくれるものである。最近は専ら沖縄シリーズが幅を利かせているのだが、こうしたリストは僕のエネルギー供給源でもあり、よって餌をかき集める動物がごとく素敵な場所を僕は常に探しているのだ。もちろん、そのリスト項目は実際に目にした景色だけでなく、元々好きな地理の情報と一緒に記憶される。最近はネットで地図が簡単にチェックできるので、こうした作業がとても楽にできてありがたい。これが僕の旅の楽しみである。前世は飛脚だったのか?と思われるくらい地図が好きで、電車のみならず、飛行機からも景色と頭の中の地図を重ね合わせながら「お、あれは松山空港だな」とか、「あれがヤマハの工場で、その先が私鉄の駅だから、この辺がうちの実家か」などと独りごちるのが大好きなのである。例えば、車窓に突然現れた「長谷川酒店」という変わった看板が目に留まると、その店の規模とか、その建物とかが無性に気になるようになり、あとでネットで調べてみたり、その辺りの地図を眺めながら「はたして、この辺で商売をして売上げはいかほどなんだろうか?」などと余計な詮索をしてしまうことも少なくない。子供が出来てからは、育児・教育面にも意識が広がるようになった。例えば、近鉄電車が山間部を抜けて平地に出る頃(松阪あたりだろうか?)、とても魅力的な幼稚園(保育園?)を見つけた。小学校と見まがうような敷地を持つそれを眺めながら(とはいえ、電車はものの数秒で過ぎ去ってしまうのだが)、頭の中では勝手に妄想が始まる。「ここは園庭が広いし、遊具も充実しているから、こんなところで育てたら情緒豊かに、元気な田舎の子!としてのびのび育つんだろうな、でも、都会への憧れを抱くようになり、『パパがここに引っ越してこなかったら良かったのに!』とか中学生くらいの時に文句を言われるようになるんだろうなあ」などと考えたりするのだ。(そして、子どもや家族のことを妄想しているときの僕の表情はとても怪しいものだろうと思う。)さて、まだまだ電車は走り続ける。梅雨の真っ最中で、雨こそ降っていなかったが、空は鈍い色をした鬱陶しい曇り空である。気温も高く、不快指数も高い中、逆に木々はまさしく水を得て青々と茂っている。その生命力、存在感は圧倒的なものですらある。川は大きく水量を膨らませて意気揚々と流れている。水際の湿原は写真で表現することも相当難しいのでは?と思うくらいの美しさを湛えている。鬱陶しさと、生命力はきっと同居するのだろうと思わされて、胸が空く思いがした。これが梅雨を越えて、夏に向かうようになると、大きく空に向かってその生命力が解き放たれるのである。それを想像するだけで、夏がとても楽しみになってきて、わくわくしてくる。そして、そうした空間にポツンポツンと家が建っている姿は、人の弱さ、健気さを象徴しているように見える。もし、そこに自分が暮らしていたら・・・?と再び妄想が始まり、車を運転しない僕には無理だろうなあ、とか、夜の闇に耐えられないだろうなあ、とか、でも、自然が豊かでのんびり過ごせるかなあ、とか、現実には果たせない世界が勝手に浮かんでくる。そして、それがちょっと儚く思えたりもするのである。そんな勝手に頭の中にあふれ出してくる思考(それは考えようとして考えているものではなく、ほんとうに自然と頭に浮かぶもの達)にひたすら任せて景色を見ていると、「ああ、これはネタになるなあ」とのアイデアも同時に流れてくる。僕は文章を書くのは、こういう状態じゃないとダメで、頑張ってネタを搾り出そうとすればするほど思考は逃げて枯れてしまい、ぜんぜん思うようにならないのだ。勝手に「おおー、これだー」という中でしか書けないので不自由極まりない。(よって全然プロフェッショナルじゃないと思ってしまうのだが、それもその通りなので由としている)そして、そんなこと、こんなことをずーっとあれこれ思い耽りながら電車に揺られていると、心はふっと軽くなっており、胸の奥に溜まっていた澱のようなものがすーっと取れていることに気付かされる。そして、自分ではまったく意識しないうちに、この自然や時間の流れで心が解放されているのである。僕が出張生活を辞められないのは意外にもこんな理由からかもしれない、と思うくらいに癒されてしまった。そこで、さらに思い当たることがあった。カウンセリングをしていても、やはり同じ思いに行き着くことがあるのだ。私達は無意識に、自分ではそれと意識しないところで、自分を癒そうとし、解放しようとしているのかもしれない。肉体的な排泄行動が自然なのと同じように、心も「癒し系」などと特に意識しなくても勝手に溜まった毒素を吐き出そうとしていても何ら不思議はない。それは、具体的には、ほんの一口のチョコレートだったり、仕事の後の生ビールだったり、ふっと立ち寄るドラッグストアでの買い物だったり、様々な形式を取るだろう。でも、私達の心は溜まってしまったゴミを掃き出そうと、自然に勝手に動いているとしたら、あなたはどう感じるだろう?好きなことに接していれば、心は休まり、癒され、リフレッシュできる。じゃあ、今日はあなたも、自分自身がそうとは気付かずにしている癒しの数々を見つけてみはいかがだろうか。それに気付き、受け取ってみると、少しは自分の偉大さ、素晴らしさを感じられるかもしれない。そして、もし、何も浮かばなかったりしたら、何かがあなたの自発的癒し行動を塞き止めているものがあるのだろうと思う。もしかしたら、心が望むリフレッシュの方法を、まるで意地悪をするように止めているのかもしれない。さて、それが何なのか?はたまた、どうして流れを止めてしまうのか?それをテーマにしてみると、また一つ自分を知ることになるのではないだろうか。
それが例え、雲の中を飛ぶ飛行機であったとしても窓際でないと落ち着かないような気がしてしまう。
これは幼少期、山の中の生家から幼稚園に通うときも、運送業を営む父親のトラックに乗って遠くに連れて行ってもらうときも当然のように窓際に座って窓の外を眺めていた。
(もっともその頃の僕は車酔いが激しく、窓際でないと非常時に対応できなかったせいもある。因みに真ん中の席は上の妹が確保し、ずっと歌を歌っていた記憶がある)
先日、名古屋へ出張したときも大阪からの二時間の行程をずっと窓の外ばかり眺めて過ごしていた。(最近は趣味と実益を兼ねて近鉄特急にて移動している)カバンの中には仕事もたくさん入っているし、読みかけの小説も数冊スタンバイしている。なかなか二時間もまとめて取れる時間なんて無いのだし、こういうときくらいは仕事すればいいのに、と思うのだが、つい窓の外を眺めて過ごしてしまう。もちろん、頭の中は景色のことばかりではなく、あれこれと色んなことを考えている(生活のこと、仕事の進め方、今度いつ旅行に行こうか?など)。奈良も桜井の辺りを過ぎれてば後はずっと森というか山あいを抜けていく。そうすると普段目にすることのない緑が圧倒的に視界を占めるようになる。でも、どことなく代わり映えのしない山の風景が続くのも確かで、だから、それが気持ちいいとか、すっきりするとか、マイナスイオンで癒される・・・とか、残念ながらそういう話ではない。しかも、時期は梅雨の真っ最中であった。快晴の中ならまだしも、いつ泣き出すとも分からない曇り空の下であるから、なお、景色に爽快感を求めるのは酷というものだと思う。都会育ちのうちの奥さんはこういう田舎の風景に心奪われ、憧れすら抱くらしいのだが、田舎育ちの僕(僕が生まれた家は、ほんとうに山の中にある一軒家だった)としては、夜の暗闇の恐怖心や湿気のもたらす不快感なども思い出されるので、青々としている緑に懐かしさを覚える一方で、そうしたネガティブな思いも蘇ってきて必ずしも手放しには喜べない。そうはいっても自然の中を走る電車からは、突如一際目を引く山や大木に出会ったり、広々とした田んぼに感動したり、それが何なのか、どこなのか、非常に気になるものに目が留まることも少なくない。そんなときは次に通過する駅名を必死の動体視力で読み取り、後でその辺りの地図をチェックして、僕の中の「素敵な場所リスト」を増やしていく。このリストは何かの時に僕の心に妄想を広げ、心を解放する最高の材料を提供してくれるものである。最近は専ら沖縄シリーズが幅を利かせているのだが、こうしたリストは僕のエネルギー供給源でもあり、よって餌をかき集める動物がごとく素敵な場所を僕は常に探しているのだ。もちろん、そのリスト項目は実際に目にした景色だけでなく、元々好きな地理の情報と一緒に記憶される。最近はネットで地図が簡単にチェックできるので、こうした作業がとても楽にできてありがたい。これが僕の旅の楽しみである。前世は飛脚だったのか?と思われるくらい地図が好きで、電車のみならず、飛行機からも景色と頭の中の地図を重ね合わせながら「お、あれは松山空港だな」とか、「あれがヤマハの工場で、その先が私鉄の駅だから、この辺がうちの実家か」などと独りごちるのが大好きなのである。例えば、車窓に突然現れた「長谷川酒店」という変わった看板が目に留まると、その店の規模とか、その建物とかが無性に気になるようになり、あとでネットで調べてみたり、その辺りの地図を眺めながら「はたして、この辺で商売をして売上げはいかほどなんだろうか?」などと余計な詮索をしてしまうことも少なくない。子供が出来てからは、育児・教育面にも意識が広がるようになった。例えば、近鉄電車が山間部を抜けて平地に出る頃(松阪あたりだろうか?)、とても魅力的な幼稚園(保育園?)を見つけた。小学校と見まがうような敷地を持つそれを眺めながら(とはいえ、電車はものの数秒で過ぎ去ってしまうのだが)、頭の中では勝手に妄想が始まる。「ここは園庭が広いし、遊具も充実しているから、こんなところで育てたら情緒豊かに、元気な田舎の子!としてのびのび育つんだろうな、でも、都会への憧れを抱くようになり、『パパがここに引っ越してこなかったら良かったのに!』とか中学生くらいの時に文句を言われるようになるんだろうなあ」などと考えたりするのだ。(そして、子どもや家族のことを妄想しているときの僕の表情はとても怪しいものだろうと思う。)さて、まだまだ電車は走り続ける。梅雨の真っ最中で、雨こそ降っていなかったが、空は鈍い色をした鬱陶しい曇り空である。気温も高く、不快指数も高い中、逆に木々はまさしく水を得て青々と茂っている。その生命力、存在感は圧倒的なものですらある。川は大きく水量を膨らませて意気揚々と流れている。水際の湿原は写真で表現することも相当難しいのでは?と思うくらいの美しさを湛えている。鬱陶しさと、生命力はきっと同居するのだろうと思わされて、胸が空く思いがした。これが梅雨を越えて、夏に向かうようになると、大きく空に向かってその生命力が解き放たれるのである。それを想像するだけで、夏がとても楽しみになってきて、わくわくしてくる。そして、そうした空間にポツンポツンと家が建っている姿は、人の弱さ、健気さを象徴しているように見える。もし、そこに自分が暮らしていたら・・・?と再び妄想が始まり、車を運転しない僕には無理だろうなあ、とか、夜の闇に耐えられないだろうなあ、とか、でも、自然が豊かでのんびり過ごせるかなあ、とか、現実には果たせない世界が勝手に浮かんでくる。そして、それがちょっと儚く思えたりもするのである。そんな勝手に頭の中にあふれ出してくる思考(それは考えようとして考えているものではなく、ほんとうに自然と頭に浮かぶもの達)にひたすら任せて景色を見ていると、「ああ、これはネタになるなあ」とのアイデアも同時に流れてくる。僕は文章を書くのは、こういう状態じゃないとダメで、頑張ってネタを搾り出そうとすればするほど思考は逃げて枯れてしまい、ぜんぜん思うようにならないのだ。勝手に「おおー、これだー」という中でしか書けないので不自由極まりない。(よって全然プロフェッショナルじゃないと思ってしまうのだが、それもその通りなので由としている)そして、そんなこと、こんなことをずーっとあれこれ思い耽りながら電車に揺られていると、心はふっと軽くなっており、胸の奥に溜まっていた澱のようなものがすーっと取れていることに気付かされる。そして、自分ではまったく意識しないうちに、この自然や時間の流れで心が解放されているのである。僕が出張生活を辞められないのは意外にもこんな理由からかもしれない、と思うくらいに癒されてしまった。そこで、さらに思い当たることがあった。カウンセリングをしていても、やはり同じ思いに行き着くことがあるのだ。私達は無意識に、自分ではそれと意識しないところで、自分を癒そうとし、解放しようとしているのかもしれない。肉体的な排泄行動が自然なのと同じように、心も「癒し系」などと特に意識しなくても勝手に溜まった毒素を吐き出そうとしていても何ら不思議はない。それは、具体的には、ほんの一口のチョコレートだったり、仕事の後の生ビールだったり、ふっと立ち寄るドラッグストアでの買い物だったり、様々な形式を取るだろう。でも、私達の心は溜まってしまったゴミを掃き出そうと、自然に勝手に動いているとしたら、あなたはどう感じるだろう?好きなことに接していれば、心は休まり、癒され、リフレッシュできる。じゃあ、今日はあなたも、自分自身がそうとは気付かずにしている癒しの数々を見つけてみはいかがだろうか。それに気付き、受け取ってみると、少しは自分の偉大さ、素晴らしさを感じられるかもしれない。そして、もし、何も浮かばなかったりしたら、何かがあなたの自発的癒し行動を塞き止めているものがあるのだろうと思う。もしかしたら、心が望むリフレッシュの方法を、まるで意地悪をするように止めているのかもしれない。さて、それが何なのか?はたまた、どうして流れを止めてしまうのか?それをテーマにしてみると、また一つ自分を知ることになるのではないだろうか。
*「こんなとき、どうしたらいいの?」にお答えする心の処方箋シリーズ*
自分のことが分からなくなることって私達は意外に多いのかも知れません。
今回は(1)に続く、第二段。
自分が分からなくなるときの2つ目のパターンを紹介します。
(1)が依存のパターンとすると、(2)は自立的な方のパターンと言えるかもしれません。
もう一つの「自分が分からない時」は、感情に振り回されるのが嫌で、心に蓋をしてしまったときに起こります。蓋をしてしまっているので、自分の気持ちが分からなくなりますし、何をしているのか?どこに向かいたいのか?どんな気分なのか?もよく分からなくなってしまいます。つまり、「自分が分からない時」というのは往々にして「自分の(気持ちが)分からない時」であるんですね。こうした状態が“無感覚”として自覚できる場合(つまり「ああ、自分の気持ちがよく分からないなあ・・・あたしって何考えているんだろう?」という時)はまだ良くて、ほんとうにしんどい状態になると、自分が無感覚になってしまっていることすら気付けなくなります。そういうときは人生をとても自立的に、頑張って生きてきたり、自分に厳しく、感情を抑えて生きている場合が多いんですね。そして、ふっと何かの瞬間に「自分って何だろう?」と疑問に感じるようになり、今まで抑圧してきた分だけ、その疑問は大きく人生そのものが対象になることもあるんです。つまり、生きている意味や目的を問いたくなります。そして、今まで自分が何をしてきたのか?とても無駄な時間を過ごしてしまったような焦りに捉われることもあるでしょう。そういう時は、じっくり自分のための時間を作ってみます。それが難しいので、ちょっとがんばってみないと作れないかもしれません。自立的に生きてきた方は忙しくて時間が作れない場合が多いですからね。だから、マッサージとか、エステとか、温泉旅行とか、半ば強制的に自分を見つめる時間を作る方が早いかもしれません。そして、そういう時間の中で、「自分は何がしたいんだろう?」「自分は何を我慢してきたんだろう?」「自分は誰に何を言い忘れているんだろう?」などと心に問い掛けてみます。答えが返ってこなくても構いません。もし、もう少し先に進めたい方はもっと具体的に次のようにしてみてもいいでしょう。・「寂しいなあ」と声に出して言ってみる。・「疲れたなあ」と自分をよしよししてあげる。・「どんな人に甘えたいだろう?」と心の中の依存心を解いてあげる。・「誰に怒ってるんだろう?」と怒りの矛先を探す。 (もし、見つかったら、その人を思い浮かべて怒りを伝えてみる。)・「ありがとう」「愛してる」を言い忘れている相手を見つける。 (そして、見つかったら心の中でもいいので実際にその相手に伝えてみる)そうして心の蓋を開けていくと、今まで押さえ込んできた気持ちがどっとあふれ出してきて呆然としてしまうこともあります。でも、自分の感覚が戻っていくのは、慣れない正座をしていた後にじーんと痺れていた足に血が通い始めるような感覚かもしれません。答えが返ってこなくても、余計自分が分からなくなっても、好転反応と思ってみるくらいでちょうどいいのです。徐々にイキイキとした自分、そして、今ここに生きている実感、が得られるようになるでしょう。でも、自立的に生きてきた分だけ、きっと、早く結果を出そうと、早く何とかしようと焦ってしまい勝ちです。そうすると、せっかく開けた蓋をまた閉じようとしてしまいたくなります。きっとそういう場面では、たくさん思考が動き、論理的になってしまうでしょう。だから、そういうときこそ、誰か、傍に人の気配を置いておくことが大切なのです。あなたをちゃんと見てくれる人、信頼して話ができる人、ちゃんと受け止めてくれる人。そうした存在があれば、自立を手放し、その次のステップである相互依存の世界に入っていけるのです。こうして自分の心との繋がりを取り戻していくプロセスを進めて行くと、徐々に自分が目指す方向がはっきりしてきます。「ああ、やっぱり私は彼のことが好きだったんだな」と再確認することもあれば、「私はこっちの方向に進みたかったんだな」と方向性を見つけることができたりします。そして、今まで自立的に生きてきた分、自分で頑張ることにかけてはみっちり訓練してきたわけですから、自分を取り戻せば取り戻すほど、充実感も満足感も強く溢れ出てきて、自分に自信を持つことができるようになります。ふと立ち止まって、自分に「私は今、何を望んでいるんだろう?」と聞いてみてください。どんな小さなことでもいいので、すぐに答えが返ってこなかったら、ここで紹介したアプローチを試されてみるといいかもしれません。
自分のことが分からなくなることって私達は意外に多いのかも知れません。
今回は(1)に続く、第二段。
自分が分からなくなるときの2つ目のパターンを紹介します。
(1)が依存のパターンとすると、(2)は自立的な方のパターンと言えるかもしれません。
もう一つの「自分が分からない時」は、感情に振り回されるのが嫌で、心に蓋をしてしまったときに起こります。蓋をしてしまっているので、自分の気持ちが分からなくなりますし、何をしているのか?どこに向かいたいのか?どんな気分なのか?もよく分からなくなってしまいます。つまり、「自分が分からない時」というのは往々にして「自分の(気持ちが)分からない時」であるんですね。こうした状態が“無感覚”として自覚できる場合(つまり「ああ、自分の気持ちがよく分からないなあ・・・あたしって何考えているんだろう?」という時)はまだ良くて、ほんとうにしんどい状態になると、自分が無感覚になってしまっていることすら気付けなくなります。そういうときは人生をとても自立的に、頑張って生きてきたり、自分に厳しく、感情を抑えて生きている場合が多いんですね。そして、ふっと何かの瞬間に「自分って何だろう?」と疑問に感じるようになり、今まで抑圧してきた分だけ、その疑問は大きく人生そのものが対象になることもあるんです。つまり、生きている意味や目的を問いたくなります。そして、今まで自分が何をしてきたのか?とても無駄な時間を過ごしてしまったような焦りに捉われることもあるでしょう。そういう時は、じっくり自分のための時間を作ってみます。それが難しいので、ちょっとがんばってみないと作れないかもしれません。自立的に生きてきた方は忙しくて時間が作れない場合が多いですからね。だから、マッサージとか、エステとか、温泉旅行とか、半ば強制的に自分を見つめる時間を作る方が早いかもしれません。そして、そういう時間の中で、「自分は何がしたいんだろう?」「自分は何を我慢してきたんだろう?」「自分は誰に何を言い忘れているんだろう?」などと心に問い掛けてみます。答えが返ってこなくても構いません。もし、もう少し先に進めたい方はもっと具体的に次のようにしてみてもいいでしょう。・「寂しいなあ」と声に出して言ってみる。・「疲れたなあ」と自分をよしよししてあげる。・「どんな人に甘えたいだろう?」と心の中の依存心を解いてあげる。・「誰に怒ってるんだろう?」と怒りの矛先を探す。 (もし、見つかったら、その人を思い浮かべて怒りを伝えてみる。)・「ありがとう」「愛してる」を言い忘れている相手を見つける。 (そして、見つかったら心の中でもいいので実際にその相手に伝えてみる)そうして心の蓋を開けていくと、今まで押さえ込んできた気持ちがどっとあふれ出してきて呆然としてしまうこともあります。でも、自分の感覚が戻っていくのは、慣れない正座をしていた後にじーんと痺れていた足に血が通い始めるような感覚かもしれません。答えが返ってこなくても、余計自分が分からなくなっても、好転反応と思ってみるくらいでちょうどいいのです。徐々にイキイキとした自分、そして、今ここに生きている実感、が得られるようになるでしょう。でも、自立的に生きてきた分だけ、きっと、早く結果を出そうと、早く何とかしようと焦ってしまい勝ちです。そうすると、せっかく開けた蓋をまた閉じようとしてしまいたくなります。きっとそういう場面では、たくさん思考が動き、論理的になってしまうでしょう。だから、そういうときこそ、誰か、傍に人の気配を置いておくことが大切なのです。あなたをちゃんと見てくれる人、信頼して話ができる人、ちゃんと受け止めてくれる人。そうした存在があれば、自立を手放し、その次のステップである相互依存の世界に入っていけるのです。こうして自分の心との繋がりを取り戻していくプロセスを進めて行くと、徐々に自分が目指す方向がはっきりしてきます。「ああ、やっぱり私は彼のことが好きだったんだな」と再確認することもあれば、「私はこっちの方向に進みたかったんだな」と方向性を見つけることができたりします。そして、今まで自立的に生きてきた分、自分で頑張ることにかけてはみっちり訓練してきたわけですから、自分を取り戻せば取り戻すほど、充実感も満足感も強く溢れ出てきて、自分に自信を持つことができるようになります。ふと立ち止まって、自分に「私は今、何を望んでいるんだろう?」と聞いてみてください。どんな小さなことでもいいので、すぐに答えが返ってこなかったら、ここで紹介したアプローチを試されてみるといいかもしれません。
*「こんなとき、どうしたらいいの?」にお答えする心の処方箋シリーズ*
私達は何か問題に捉われていたり、センター(本質)から外れた毎日を送っていたりすると、ふと我に返ったとき、自分が何者で、どこに向かおうとしているのか分からなくなることがあります。
自分を見失い、自分がよく分からなくなるんですね。
こういう時、私たちは大きく二つのパターンに分かれると思います。
それを一つずつ、ご紹介したいと思います。
まず一つは、自分の感情に振り回されているとき、この思いを抱くことも多いでしょう。(自分以外の誰かに振り回されているように感じるのも、実際は、自分の心、感情に振り回されているものです。)こうしたとき、私たちは軸を失った回転盤に載っているかのように、自分で自分を制御することができずに、ぐるぐると回り続けます。目が回るし、怖いし、不安だし、どうしていいのか分からずに、誰か止めて欲しい・・・という切実な思いに駆られることもあるでしょう。もちろん、怒り狂っていたり、不安で暴れていたり、感情が暴走しているときはなかなか止めることは難しいです。でも、「自分が分からない」と感じるときは、その後、つまり、感情の嵐が収まった後に、ふっと「なぜ自分はあんなことをしてしまったんだろう?」「自分はどうしてしまったんだろう?」という思いと共にやってきます。そして、自分のことが怖くなったり、嫌悪したりして「自分が分からない」と思うようになるんですね。でも、この「自分が分からない」というのは、「自分を責めるため、自己嫌悪の表現」になることが多いんですね。コミュニケーションでも「分からない」というのは「怒りの一種の表現」として捉えられます。私達は怒りを感じたときに、分からない、と言ってしまうんです。だから、自分が分からない、というのは往々にして自己嫌悪をあらわすことが多いんです。そういうとき、例えばパートナーに自分の状態を分析されたりすると、かえってよく分からない事になるものです。(有難いことと思っていても無性に腹が立ってきたり、ありがた迷惑のように感じたり。)そこで本当に欲しいものはきっと“理解”のはず。自分を見失ってしまった動揺を受け入れて欲しかったり、ほんとうにただ傍にいてもらいたいだけの場合も少なくないでしょう。だから、こういう時は自分で「分かろうとしない」ということが大切。分かる必要があるときに、きっと分かるだろう・・・と放置するくらいの方が良いのです。無理に自己分析したり、自己嫌悪したりすると、一層心は荒れてしまいます。それもまた辛いはずです。言い方を変えると、それは、自分で自分を無理に扱わない、ということです。そして、信頼できる人に自分を委ねてしまうことがベストです。こういう状態でカウンセリングを受けると、カウンセラーはきっとただ黙って話を聴くでしょう。そうして、少し、ホッとした後で、さて、じっくり自分自身を見つめていきます。そこではシンプルに「何が欲しいの?」と心に話しかけていくことがいいようです。本当は何が言いたかったの?何をわかって欲しかったの?そんな言葉を自分に問い掛けていきます。始めは何も言葉が返ってこないかもしれませんが、気長に繰り返すときっと自分の本音が分かってきます。「ほんとうは寂しいって言いたかっただけなのに・・・」「好きっていうのが怖くて、つい、強がってしまった・・・」「彼のことがほんとうに好きかどうか自信がなくなってしまって・・・」など、その答えは意外にシンプルなもの。それがきっと“分からなかった気持ち”です。そこに辿り着くと、しばし後悔や自責の念に駆られた後、さらに深く心は安堵します。やっと心と繋がることができて、安心するからです。(その2に続く)
私達は何か問題に捉われていたり、センター(本質)から外れた毎日を送っていたりすると、ふと我に返ったとき、自分が何者で、どこに向かおうとしているのか分からなくなることがあります。
自分を見失い、自分がよく分からなくなるんですね。
こういう時、私たちは大きく二つのパターンに分かれると思います。
それを一つずつ、ご紹介したいと思います。
まず一つは、自分の感情に振り回されているとき、この思いを抱くことも多いでしょう。(自分以外の誰かに振り回されているように感じるのも、実際は、自分の心、感情に振り回されているものです。)こうしたとき、私たちは軸を失った回転盤に載っているかのように、自分で自分を制御することができずに、ぐるぐると回り続けます。目が回るし、怖いし、不安だし、どうしていいのか分からずに、誰か止めて欲しい・・・という切実な思いに駆られることもあるでしょう。もちろん、怒り狂っていたり、不安で暴れていたり、感情が暴走しているときはなかなか止めることは難しいです。でも、「自分が分からない」と感じるときは、その後、つまり、感情の嵐が収まった後に、ふっと「なぜ自分はあんなことをしてしまったんだろう?」「自分はどうしてしまったんだろう?」という思いと共にやってきます。そして、自分のことが怖くなったり、嫌悪したりして「自分が分からない」と思うようになるんですね。でも、この「自分が分からない」というのは、「自分を責めるため、自己嫌悪の表現」になることが多いんですね。コミュニケーションでも「分からない」というのは「怒りの一種の表現」として捉えられます。私達は怒りを感じたときに、分からない、と言ってしまうんです。だから、自分が分からない、というのは往々にして自己嫌悪をあらわすことが多いんです。そういうとき、例えばパートナーに自分の状態を分析されたりすると、かえってよく分からない事になるものです。(有難いことと思っていても無性に腹が立ってきたり、ありがた迷惑のように感じたり。)そこで本当に欲しいものはきっと“理解”のはず。自分を見失ってしまった動揺を受け入れて欲しかったり、ほんとうにただ傍にいてもらいたいだけの場合も少なくないでしょう。だから、こういう時は自分で「分かろうとしない」ということが大切。分かる必要があるときに、きっと分かるだろう・・・と放置するくらいの方が良いのです。無理に自己分析したり、自己嫌悪したりすると、一層心は荒れてしまいます。それもまた辛いはずです。言い方を変えると、それは、自分で自分を無理に扱わない、ということです。そして、信頼できる人に自分を委ねてしまうことがベストです。こういう状態でカウンセリングを受けると、カウンセラーはきっとただ黙って話を聴くでしょう。そうして、少し、ホッとした後で、さて、じっくり自分自身を見つめていきます。そこではシンプルに「何が欲しいの?」と心に話しかけていくことがいいようです。本当は何が言いたかったの?何をわかって欲しかったの?そんな言葉を自分に問い掛けていきます。始めは何も言葉が返ってこないかもしれませんが、気長に繰り返すときっと自分の本音が分かってきます。「ほんとうは寂しいって言いたかっただけなのに・・・」「好きっていうのが怖くて、つい、強がってしまった・・・」「彼のことがほんとうに好きかどうか自信がなくなってしまって・・・」など、その答えは意外にシンプルなもの。それがきっと“分からなかった気持ち”です。そこに辿り着くと、しばし後悔や自責の念に駆られた後、さらに深く心は安堵します。やっと心と繋がることができて、安心するからです。(その2に続く)
カウンセリングを使ってくださったお客様から見た根本をご紹介します。
実際にお話しする前に、お会いする前に、だいたいどんな風に見えるかが分かればより安心して使ってもらえるかな?と思って始めたこの企画。
嬉しくて、かつ、とても照れます・・・。
頂いた原文をそのまま掲載しています。
皆さん、表現に個性が現れていて面白いですね。
* * *1:身体のサイズを自由に変えられる人。カウンセリングルームに入った最初の瞬間も、確かに大きく見えるけれど、セッションが進むにつれて、だんだん膨張し、イメージワークが終わって目を開けた時には、3周りくらい大きくなっている。それだけ頼もしいという意味です。2:眠気を誘う人根本さんと話している内にだんだんと睡魔が襲ってくる。目を見ていると余計眠たくなってくる。それだけリラックスできて、それだけ安心できて、それだけ自分が疲れていたんだなと気付かせてくれるという意味です。3:毒舌を吐きたくなる人ついつい日常の出来事や、周りの人について、あれやこれやと毒舌を吐いてしまう。普段かぶっている仮面をとって、素の自分を見せても、どーんと構えていてくれるので安心という意味です。(埼玉県、Mさん)* * *イメージやカウンセリングのことが混ざってると思いますが書かせて頂きます(*^^*)友達に根本さんのカウンセリングがいいと勧めてもらって、初めてお話したのは電話でのカウンセリングでした。ボソボソ~っと話す人だなぁ、聞きとりにくいなぁ・・・と思ったのが正直な感想でした。でも、なにか心に残ったみたいで、面談カウンセリングを受けました。初めてお会いした時は面談カウンセリング自体が初めてで、診察室みたいな所で白衣を着た先生がカルテを書きながら話を聞いてくれると勝手に思っていたのに・・・すごい緊張して行ったのに根本さんは白衣を着ていないし普通の人って感じ。ソファに向かい合って座り普通に話すので拍子抜けしたことをすごく覚えています。でも普通の人じゃなかったですね!根本さんは鋭いですよね~それに感覚の人、見えないものが見える人ですね~相手のきれいなもの、真実の姿とか、相手の幸せとか・・・おまけに優しくてあったかくて面倒見がいいと思っています。そして恥ずかしがり屋さんじゃないでしょうか?カウンセリングでの言葉のひとつひとつに深い意味があるんですね。あまりの鋭さに((( ̄へ ̄井) フンッって思うこともありました~けれど後になると必ず根本さんの言葉の意味がわかったり、それがとても大切なことだと気づくのです。今の私に必要なことをポンと投げてくれる。これから必要となることを教えてくれる、気づかせてくれる。しかも自然に。そして一番の素敵だなぁと思うところは「優しさ」ですね。言葉の端々にも、コラムにも、眼差しからもいっぱいの優しさがあふれてるともいます。ずっとずっと見守ってくれているような安心感があります。いつもありがとうございます(*^.^*)(神奈川県、Kさん)* * *こんばんは(*^_^*) 根本さんの印象ですよね…。初めて面談を受けた時は、自分がいっぱいいっぱいで、苦しくてどうしようもなく…、あまり観察する余裕がなかったですね(笑)。でもなぜ根本さんを選んだか? ホームページでブログをマメに更新していて、その内容も説得力があるし、それだけではなく、自分の感情が揺り動かされる感覚があったからです。 見た感じはひょうひょうとして、話し方も静かだけれど、内に熱いものを持っている人かなと感じています。 根本さんも情熱的な人ですか(笑)?? 面談では厳しいことを言われることもありますね~。 でも私は厳しいこともさらっと言ってくれる人が好きなので、根本さんを選んで面談を受けているんだと思います。 シャイな感じもするし、茶目っ気を見せてくれることもありますよね(^-^) こちらが言葉に出さなくても、見透かされている感じがする時があります。 気持ちがしんどくなったり、モヤモヤした時に、なぜそうなるのか?分かりやすく説明してくれて、また納得がいくので、かなり頼ってますよ~。 とてもこまやかな所まで感じているから、こまやかな対応なのかな~?と感じます。 面談を受け始めて2年は経ったけれど、最近は自分がかなり癒されてきたのか、面談で根本さんに会えるのを楽しみにしてますよ(*^_^*) (福井県、Kさん)☆その他のお客さまからのメッセージを読んでみる
実際にお話しする前に、お会いする前に、だいたいどんな風に見えるかが分かればより安心して使ってもらえるかな?と思って始めたこの企画。
嬉しくて、かつ、とても照れます・・・。
頂いた原文をそのまま掲載しています。
皆さん、表現に個性が現れていて面白いですね。
* * *1:身体のサイズを自由に変えられる人。カウンセリングルームに入った最初の瞬間も、確かに大きく見えるけれど、セッションが進むにつれて、だんだん膨張し、イメージワークが終わって目を開けた時には、3周りくらい大きくなっている。それだけ頼もしいという意味です。2:眠気を誘う人根本さんと話している内にだんだんと睡魔が襲ってくる。目を見ていると余計眠たくなってくる。それだけリラックスできて、それだけ安心できて、それだけ自分が疲れていたんだなと気付かせてくれるという意味です。3:毒舌を吐きたくなる人ついつい日常の出来事や、周りの人について、あれやこれやと毒舌を吐いてしまう。普段かぶっている仮面をとって、素の自分を見せても、どーんと構えていてくれるので安心という意味です。(埼玉県、Mさん)* * *イメージやカウンセリングのことが混ざってると思いますが書かせて頂きます(*^^*)友達に根本さんのカウンセリングがいいと勧めてもらって、初めてお話したのは電話でのカウンセリングでした。ボソボソ~っと話す人だなぁ、聞きとりにくいなぁ・・・と思ったのが正直な感想でした。でも、なにか心に残ったみたいで、面談カウンセリングを受けました。初めてお会いした時は面談カウンセリング自体が初めてで、診察室みたいな所で白衣を着た先生がカルテを書きながら話を聞いてくれると勝手に思っていたのに・・・すごい緊張して行ったのに根本さんは白衣を着ていないし普通の人って感じ。ソファに向かい合って座り普通に話すので拍子抜けしたことをすごく覚えています。でも普通の人じゃなかったですね!根本さんは鋭いですよね~それに感覚の人、見えないものが見える人ですね~相手のきれいなもの、真実の姿とか、相手の幸せとか・・・おまけに優しくてあったかくて面倒見がいいと思っています。そして恥ずかしがり屋さんじゃないでしょうか?カウンセリングでの言葉のひとつひとつに深い意味があるんですね。あまりの鋭さに((( ̄へ ̄井) フンッって思うこともありました~けれど後になると必ず根本さんの言葉の意味がわかったり、それがとても大切なことだと気づくのです。今の私に必要なことをポンと投げてくれる。これから必要となることを教えてくれる、気づかせてくれる。しかも自然に。そして一番の素敵だなぁと思うところは「優しさ」ですね。言葉の端々にも、コラムにも、眼差しからもいっぱいの優しさがあふれてるともいます。ずっとずっと見守ってくれているような安心感があります。いつもありがとうございます(*^.^*)(神奈川県、Kさん)* * *こんばんは(*^_^*) 根本さんの印象ですよね…。初めて面談を受けた時は、自分がいっぱいいっぱいで、苦しくてどうしようもなく…、あまり観察する余裕がなかったですね(笑)。でもなぜ根本さんを選んだか? ホームページでブログをマメに更新していて、その内容も説得力があるし、それだけではなく、自分の感情が揺り動かされる感覚があったからです。 見た感じはひょうひょうとして、話し方も静かだけれど、内に熱いものを持っている人かなと感じています。 根本さんも情熱的な人ですか(笑)?? 面談では厳しいことを言われることもありますね~。 でも私は厳しいこともさらっと言ってくれる人が好きなので、根本さんを選んで面談を受けているんだと思います。 シャイな感じもするし、茶目っ気を見せてくれることもありますよね(^-^) こちらが言葉に出さなくても、見透かされている感じがする時があります。 気持ちがしんどくなったり、モヤモヤした時に、なぜそうなるのか?分かりやすく説明してくれて、また納得がいくので、かなり頼ってますよ~。 とてもこまやかな所まで感じているから、こまやかな対応なのかな~?と感じます。 面談を受け始めて2年は経ったけれど、最近は自分がかなり癒されてきたのか、面談で根本さんに会えるのを楽しみにしてますよ(*^_^*) (福井県、Kさん)☆その他のお客さまからのメッセージを読んでみる
*「こんなとき、どうしたらいいの?」にお答えする心の処方箋シリーズ*
とても退屈しているとき、まずは無理に盛り上げようとしないことが大事です。
私達はそこでまた頑張って何とかしようとすることが多いのですが、もっと虚しく、寂しく、つまらなくなってしまいますし、自己嫌悪も強くなるでしょう。
それがやるせなさにもなり、やりきれない気持ちから、怒りへと向かう(自分や他人への攻撃)こともあるでしょう。
そこで、退屈な状態にもきっと意味がある、と考えてみましょう。そこで、まずは自分が今、何を許していないのか?を考えてみましょう。本当はすごく欲しいものがあるのに、それを自分に許せずに諦めようとしてしまえば、自然と無気力になり、毎日がつまらなくなるとは思いませんか?退屈だなあ、と感じるとき、私達は意外にも、自分がステップアップすることを許せていなかったり(1)、疲れているのに休むことを許せていなかったり(2)、自分にいつも厳しい戒律を課して息が詰まってしまってたり(3)、自分自身に何かを許せていない状態にあることが多いのです。もちろん、時間や経済面で、あるいは環境のせいにしてしまうこともあるでしょう。でも、それを本当に自分に許したとき、私達はその困難を越える力を手にすることができます。でも、あなたにとって新しいワクワクするものに挑戦すること(1)や、じっくりと自分に休養を与えてあげること(2)や、自分に対してもっと寛容な考え方を身に付けること(3)は、実はとても怖い事のように感じているのかもしれません。その葛藤が行き着くところが、“退屈”で“つまらない”な状態なのです。先に進めたいけれど、怖くて進めない、その思いをずーっと繰り返すとしたら、そこで燃え尽き、諦めてしまうし、かといって後退も出来ない状態に追い詰められてしまうでしょう。ちょっと思い切った勇気が必要かもしれませんが、今、あなたは何を自分に許してあげるときなのかを見つめてみましょう。そして、その方向に、一歩、踏み出してみます。きっと世界は変わり始めるはずです。*この退屈感から抜け出すとき、今までの停滞感とは別に、むしろ何かに引っ張られるように感じられることがあります。そうすると、逆に「こんなことでいいのか?」という疑念がわいて、再びブレーキをかけてしまったりするのです。例えば、自分が休むことを許せなかった人が、そのチャレンジを始めると、どんどん自分が堕落した、怠け者になっていくように感じます。気持ちとしても、例えば「もっと眠りたい」「もっとゆっくりしたい」「誰かに甘えたい」などと今まで禁止していた色んな思いが溢れてきます。だから、それが怖くて、再び自分が休めないように持って行きたくなるんですね。だから、一度許し始めたら、自分がもう十分と感じるまで、あるいは、周りの流れが変わるまで、許し続けることが大切です。
とても退屈しているとき、まずは無理に盛り上げようとしないことが大事です。
私達はそこでまた頑張って何とかしようとすることが多いのですが、もっと虚しく、寂しく、つまらなくなってしまいますし、自己嫌悪も強くなるでしょう。
それがやるせなさにもなり、やりきれない気持ちから、怒りへと向かう(自分や他人への攻撃)こともあるでしょう。
そこで、退屈な状態にもきっと意味がある、と考えてみましょう。そこで、まずは自分が今、何を許していないのか?を考えてみましょう。本当はすごく欲しいものがあるのに、それを自分に許せずに諦めようとしてしまえば、自然と無気力になり、毎日がつまらなくなるとは思いませんか?退屈だなあ、と感じるとき、私達は意外にも、自分がステップアップすることを許せていなかったり(1)、疲れているのに休むことを許せていなかったり(2)、自分にいつも厳しい戒律を課して息が詰まってしまってたり(3)、自分自身に何かを許せていない状態にあることが多いのです。もちろん、時間や経済面で、あるいは環境のせいにしてしまうこともあるでしょう。でも、それを本当に自分に許したとき、私達はその困難を越える力を手にすることができます。でも、あなたにとって新しいワクワクするものに挑戦すること(1)や、じっくりと自分に休養を与えてあげること(2)や、自分に対してもっと寛容な考え方を身に付けること(3)は、実はとても怖い事のように感じているのかもしれません。その葛藤が行き着くところが、“退屈”で“つまらない”な状態なのです。先に進めたいけれど、怖くて進めない、その思いをずーっと繰り返すとしたら、そこで燃え尽き、諦めてしまうし、かといって後退も出来ない状態に追い詰められてしまうでしょう。ちょっと思い切った勇気が必要かもしれませんが、今、あなたは何を自分に許してあげるときなのかを見つめてみましょう。そして、その方向に、一歩、踏み出してみます。きっと世界は変わり始めるはずです。*この退屈感から抜け出すとき、今までの停滞感とは別に、むしろ何かに引っ張られるように感じられることがあります。そうすると、逆に「こんなことでいいのか?」という疑念がわいて、再びブレーキをかけてしまったりするのです。例えば、自分が休むことを許せなかった人が、そのチャレンジを始めると、どんどん自分が堕落した、怠け者になっていくように感じます。気持ちとしても、例えば「もっと眠りたい」「もっとゆっくりしたい」「誰かに甘えたい」などと今まで禁止していた色んな思いが溢れてきます。だから、それが怖くて、再び自分が休めないように持って行きたくなるんですね。だから、一度許し始めたら、自分がもう十分と感じるまで、あるいは、周りの流れが変わるまで、許し続けることが大切です。