・出典:ダイオキシン・環境ホルモン対策国民会議
・ニュースレター第117号
・ダイオキシン曝露マウスに見られる発達神経毒性
―OECD毒性試験ガイドラインの問題点と新たな試験法導入の必要性
健康環境科学技術国際コンサルティング主幹/東京大学名誉教授 遠山千春
脳が高度に発達した動物は、記憶、学習、情動、社会性といった高次脳機能を有している。
ヒトにおいて高次脳機能が顕著に障害をこうむった事例として、水俣病、カネミ油症、森永ヒ素ミルク事件などがある。
疾病は遺伝要因と環境要因それぞれの関与の程度に応じて多様性を示すが、これらの事件による病態は遺伝的な体質ではなく環境要因にほぼ100% 起因するものである。
遺伝病との対で言えば典型的な環境病といえる。
今日、このような重篤な事例が発生することはほとんど無くなっているが、国際的に広く懸念されている問題は、食品をはじめ環境中の化学物質によって引き起こされるおそれがあるこどもの脳と心の健全な発達に及ぼす影響である。
発達期の脳に及ぼす毒性を調べる試験は、発達神経毒性(Developmental Neurotoxicity)試験とよばれる。
発達神経毒性試験は、妊娠期から新生児期にかけて胎盤や母乳を介して化学物質に曝露した結果を、行動や記憶・学習などを指標として調べることが目的であり、OECD の毒性試験ガイドライン*1約150種類のひとつTG426として取りまとめられている*2。
しかし、ここで提案されたラットを用いる動物実験は、費用と時間がかかることが大きな障害とされ、ほとんど活用されていない*3。
行動実験に関わる問題には、実験条件(動物の系統、実験者による動物の扱い方、一連の行動実験の順序、実験装置など)の違いによって実験結果のばらつきが他の種類の毒性試験に比べても大きいため、信頼性に乏しいことにも一因があると筆者は推測している。
ちなみに、日本や欧州では発達神経毒性試験は、化学物質のリスク評価の必要要件とはされていない。
EU を中心に米国の一部でも、脊椎動物を実験に用いずに、培養細胞や遺伝子やタンパク質での試験管内試験によって毒性試験に充てるという動物代替法の活動が盛んである*4。
こうした欧米の流れに追従し国際協力を標榜する日本の研究者が少なからずいるのは残念である。
毒性を判断するためには個体レベルでのデータが必須であり、培養細胞や遺伝子発現レベルのデータで毒性を判断するというこの研究方法論は理論的に破綻していることは自明だからである。
米国では農薬登録に際して発達神経毒性試験データが環境保護庁(EPA)に提出されるが、その報告データをもとにした解析が行われている*5。
そのデータによれば、72の農薬のうち聴覚驚愕反応や記憶学習といった高次脳機能に関わる影響指標が最小毒性量を誘導する根拠の一部として用いられているものが4物質あるものの、これら単独で根拠指標として用いられている事例はない。
用いられた影響指標のほとんどは、発達神経毒性試験の測定項目には入ってはいるものの、仔や脳の重量といった脳の高次機能とは直接関係がないものであった。
その後、TG426から改訂されたTG443案では、記憶学習に関わる試験が外されるということで、高次脳機能を測定するという本来の目的が達成できないという大きな問題があることも指摘されている*6。
今、発達神経毒性のガイドラインの改訂で必要なことは、試験方法として再現性や精度、そして信頼性が高く、簡便で使いやすい方法を導入することであろう。