2-4 人間の嗅力
ここでは日本人の嗅力について簡単に記載する。具体的には、嗅覚の異常な人はどの程度いるのか、また飛び抜けて鼻の良い人は存在するのか、さらに日本人と海外の人とに差はあるのか、などである。
この検査は、パネル選定用基準臭液を用いて行われた。
その結果1)、日本人 500 人余りの被験者の結果は概念図である図-3のように、二山形になる。
図-3 日本人の嗅力分布
すなわち、被験者のうち、ほぼ 95%程度が嗅覚正常者であり、残りの5%程度が嗅覚の異常者が存在する。
嗅覚が異常になる原因としては、蓄膿症などの鼻の障害の経験者、交通事故のむち打ちの経験者などである。
また、嗅覚正常者の分布の右側に極端に嗅力の高いピークはない。
すなわち人間においては、犬とはいわないまでも極端に嗅力の優れている人の分布はみられない。
悪臭公害の被害者においては、私は嗅力が優れていて、人が感じない濃度でも感じるといわれる方もいらっしゃるが、実験データからは、確認できてはいない。
また、年齢と嗅力との関係は、年齢が 40 歳以上になると、徐々に嗅力の低下傾向がみられる。
さらに、嗅力の男女差については、平均的には女性の方が多少嗅力は優れているが、におい質によっては、男性が優れている物質も存在する。
以上が日本人の嗅覚の特徴であるが、欧米人との比較も行われており、あまり差がないことが報告2)されている。
2-5 化学物質がにおい始める濃度(現代人にも残っている大昔の嗅力)
先にも述べたように、においはそれぞれ固有のにおいを持った化合物の集まりである。
その個々の化合物のにおいを人間が感じ始める最小の濃度が、世界の研究者によって求められている。
このにおいを感じる最小の濃度のことを嗅覚閾値あるいは嗅覚閾値濃度という。
世界的に最も信頼できる嗅覚閾値のデータは日本環境衛生センターの永田好男氏により求められ、1988 年に報告されている3)。
永田氏は、後述する三点比較式臭袋法という測定方法により 223 種類の化学物質の嗅覚閾値を測定している。
その結果を表-1に記載した。悪臭問題に取り組む場合、この嗅覚閾値データは度々使われる。その意味もありここに記載した。
表-1の嗅覚閾値のデータをみると、化学物質の種類により嗅覚閾値の値が大きく異なっていることが分かる。
その中で、嗅覚閾値が低濃度の物質は、薄いにおいでも人間が感じるにおいであり、人間にとって鋭敏なにおいといえる。
これらのデータから非常に面白いことがわかる。
表-1の中の嗅覚閾値が低濃度の化学物質、すなわち人間にとって敏感なにおいとは、どれも大昔に人間が生きていくために、必要なにおいであったといえる。
例えば、表-1の中の嗅覚閾値が低濃度の物質は、アルデヒド類、メルカプタン類、アミン類、ジオスミン、スカトールなどだが、アルデヒドはいわば焦げ臭に代表といわれるにおいであり、大昔の人々にとっては山火事が発生したとき、このにおいに早く気が付き、逃げなくてはならなかったのである。
また、メルカプタン類は腐敗した食べ物から発散するにおいであり、消費期限が記載されていなかった大昔には、食べ物が腐っているかどうかは自分の鼻でくんくん嗅ぎ分けなくてはならなかった。
アミン類は魚の腐敗臭であり、ジオスミンはカビ臭である。
スカトールは糞便臭であり、狩猟の際には人間はこのにおいを検知し、動物を追いかけたのである。
このように現代の人間においても、人間が生きていくために必要な嗅覚の能力の余韻を残しているとみることもできる。
これに対し、表-1の中のベンゼン(嗅覚閾値 2.7ppm)、アセトン(嗅覚閾値 42ppm)などは比較的嗅覚閾値が高い化学物質である。
言い換えれば、人間にとっては濃度が高くなければ感じない物質であり、感度が低い物質である。
大昔の人間は、石油が噴出していた地域の人は別として、ベンゼンやアセトンなどの石油系のにおいなど嗅いだことはなかった。このような化学物質に感度が低いのは当然である。
このように、人間の嗅覚は、大昔の人間の生活の影響を現在においてもまだ残しているといえる。
永田氏が何年もかけて実験をし、発表されたこのデータは、環境問題におけるにおいの研究を進める上で最も重要な基本データであり、においの問題を科学的に取り扱うことを可能にした突破口になるものである。
具体的にはこのデータは、悪臭を発生させている事業所を特定する場合、また悪臭除去装置を選定する場合などに必要となる。
表-1 におい物質の嗅覚閾値濃度 日本環境衛生センター 永田氏の文献より
臭気物質嗅覚閾値ppm 臭気物質 嗅覚閾値ppm 臭気物質 嗅覚閾値ppm
ホルムアルデヒド 0.5 アンモニア 1.5 β-ピネン 0.033
アセトアルデヒド 0.0015 メチルアミン 0.035 リモネン 0.038
プロピオンアルデヒド 0.001 エチルアミン 0.046 メチルシクロペンタン 1.7
n-ブチルアルデヒド 0.00067 n-プロピルアミン 0.061 シクロヘキサン 2.5
イソブチルアルデヒド 0.00035 イソプロピルアミン 0.025 メチルシクロヘキサン 0.15
n-バレルアルデヒド 0.00041 n-ブチルアミン 0.17 ギ酸メチル 130
イソバレルアルデヒド 0.0001 イソブチルアミン 0.0015 ギ酸エチル 2.7
n-ヘキシルアルデヒド 0.00028 Sec-ブチルアミン 0.17 ギ酸 n-プロピル 0.96
n-ヘプチルアルデヒド 0.00018 tert-ブチルアミン 0.17 ギ酸イソプロピル 0.29
n-オクチルアルデヒド 0.00001 ジメチルアミン 0.033 ギ酸 n-ブチル 0.087
n-ノニルアルデヒド 0.00034 ジエチルアミン 0.048 ギ酸イソブチル 0.49
n-デシルアルデヒド 0.0004 トリメチルアミン 0.000032 酢酸メチル 1.7
アクロレイン 0.0036 トリエチルアミン 0.0054 酢酸エチル 0.87
メタアクロレイン 0.0085 アセトニトリル 13 酢酸 n-プロピル 0.24
クロトンアルデヒド 0.023 アクリロニトリル 8.8 酢酸イソプロピル 0.16
メチルアルコ-ル 33 メタアクリロニトリル 3 酢酸 n-ブチル 0.016
エチルアルコ-ル 0.52 ピリジン 0.063 酢酸イソブチル 0.008
n-プロピルアルコ-ル 0.094 インドール 0.0003 酢酸 sec-ブチル 0.0024
イソプロピルアルコール 26 スカトール 0.0000056 酢酸 tert-ブチル 0.071
n-ブチルアルコール 0.038 エチル-o-トルイジン 0.026 酢酸 n-ヘキシル 0.0018
イソブチルアルコール 0.011 プロパン 1500 プロピオン酸メチル 0.098
sec-ブチルアルコール 0.22 n-ブタン 1200 プロピオン酸エチル 0.007
Tert-ブチルアルコール 4,5 n-ペンタン 1.4 プロピオン酸 n-プロピル 0.058
n-アミルアルコール 0.1 イソペンタン 1.3 プロピオン酸イソプロピル 0.0041
イソアミルアルコール 0.0017 n-ヘキサン 1.5 プロピオン酸 n-ブチル 0.036
sec-アミルアルコール 0.29 イソヘキサン 7 プロピオン酸イソブチル 0.02
Tert-アミルアルコール 0.088 3-メチルペンタン 8.9 n-酪酸メチル 0.0071
n-ヘキシルアルコール 0.006 2,2-ジメチルブタン 20 イソ酪酸メチル 0.0019
n-ヘプチルアルコール 0.0048 2,3-ジメチルブタン 0.42 n-酪酸エチル 0.0004
n-オクチルアルコール 0.0027 n-ヘプタン 0.67 イソ酪酸エチル 0.00022
イソオクチルアルコール 0.0093 イソヘプタン 0.42 n-酪酸 n-プロピル 0.011
n-ノニルアルコール 0.0009 3-メチルヘキサン 0.84 n-酪酸イソプロピル 0.0062
n-デシルアルコール 0.00077 3-エチルペンタン 0.37 イソ酪酸 n-プロピル 0.002
2-エトキシエタノール 0.58 2,2-ジメチルペンタン 38 イソ酪酸イソプロピル 0.035
2-n-プトキシエタノール 0.043 2,3-ジメチルペンタン 4.5 n-酪酸 n-ブチル 0.0048
1-プトキシ 2-プロパノール 0.16 2,4-ジメチルペンタン 0.94 n-酪酸イソブチル 0.0016
フェノール 0.0056 n-オクタン 1.7 イソ酪酸 n-ブチル 0.022
o-クレゾール 0.00028 イソオクタン 0.11 イソ酪酸イソブチル 0.076
m-クレゾール 0.0001 3-メチルペンタン 1.5 n-吉草酸メチル 0.0022
p-クレゾール 0.000054 4-メチルペンタン 1.7 イソ吉草酸メチル 0.0022
ジオスミン 0.0000065 2,2,4-トリメチルペンタン 0.67 n-吉草酸エチル 0.00011
酢酸 0.006 2,2,5-トリメチルヘキサン 0.9 イソ吉草酸エチル 0.000013
プロピオン酸 0.0057 n-ノナン 2.2 n-吉草酸 n-プロピル 0.0023
n-酪酸 0.00019 n-デカン 0.87 イソ吉草酸 n-プロピル 0.000056
イソ酪酸 0.0015 n-ドデカン 0.11 イソ吉草酸 n-ブチル 0.012
n-吉草酸 0.000037 プロピレン 13 イソ吉草酸イソブチル 0.0052
イソ吉草酸 0.000078 1-ブテン 0.36 アクリル酸メチル 0.0035
n-カプロン酸 0.0006 イソブテン 10 アクリル酸エチル 0.00026
イソカプロン酸 0.0004 1-ペンテン 0.1 アクリル酸 n-ブチル 0.00055
二酸化イオウ 0.87 1-ヘキセン 0.14 アクリル酸イソブチル 0.0009
硫化カルボニル 0.055 1-ヘプテン 0.37 メタアクリル酸メチル 0.21
硫化水素 0.00041 1-オクテン 0.001 2-エトキシエチルアセテート 0.049
硫化メチル 0.003 1-ノネン 0.00054 アセトン 42
メチルアリルサルファイド 0.00014 1,3-ブタジエン 0.23 メチルエチルケトン 0.44
硫化エチル 0.000033 イソプレン 0.048 メチル n-プロピルケトン 0.028
硫化アリル 0.00022 ベンゼン 2.7 メチルイソプロピルケトン 0.5
二硫化炭素 0.21 トルエン 0.33 メチル n-ブチルケトン 0.024
二硫化メチル 0.0022 スチレン 0.035 メチルイソブチルケトン 0.17
二硫化エチル 0.002 エチルベンゼン 0.17 メチル sec-ブチルケトン 0.024
二硫化アリル 0.00022 o-キシレン 0.38 メチル tert-ブチルケトン 0.043
メチルメルカプタン 0.00007 m-キシレン 0.041 メチル n-アミルケトン 0.0068
エチルメルカプタン 0.0000087 p-キシレン 0.058 メチルイソアミルケトン 0.0021
n-プロピルメルカプタン 0.000013 n-プロピルベンゼン 0.0038 ジアセチル 0.00005
イソプロピルメルカプタン 0.000006 イソプロピルベンゼン 0.0084 オゾン 0.0032
n-ブチルメルカプタン 0.0000028 1,2,4 トリメチルベンゼン 0.12 フラン 0.9
イソブチルメルカプタン 0.0000068 1,3,5 トリメチルベンゼン 0.17 2,5-ジヒドロフラン 0.093
sec-ブチルメルカプタン 0.00003 o-エチルトルエン 0.074 塩素 0.049
Tert ブチルメルカプタン 0.000029 m-エチルトルエン 0.018 ジクロロメタン 160
n-アミルメルカプタン 0.00000078 p-エチルトルエン 0.0083 クロロホルム 3.6
イソアミルメルカプタン 0.00000077 o-ジエチルベンゼン 0.0094 トリクロロエチレン 3.9
n-ヘキシルメルカプタン 0.000015 m-ジエチルベンゼン 0.07 四塩化炭素 406
チオフェン 0.00056 p-ジエチルベンゼン 0.00039 テトラクロロエチレン 0.77
テトラヒドロチオフェン 0.00062 n-ブチルベンゼン 0.0085
二酸化窒素 0.12α-ピネン 0.018