これらの分類は東京大学・光岡知足が便宜的に提唱したもので、「善と思えるものの中にも悪の要素があり、悪の中にも善の要素がある。
たとえば、悪玉菌である大腸菌にもビタミンを合成したり、感染症を防御したりする働きがある。この面から見れば、一概に悪玉と呼ぶことはできない」と光岡自身が説明している。
マイクロバイオームの研究は近年始まったばかりで、常在菌が体内でどのような働きをしているのか、わからないことの方が多いのが現状だ。
たとえば、胃に生息するピロリ菌は胃癌の高リスク因子の悪玉菌とされているが、海外の研究では胃酸の産生調節や、食欲ホルモンの調節にも関わっていて、ピロリ菌駆除により胃酸の逆流性食道炎や肥満を起こすという報告があり、必ずしも悪玉菌ではないとの指摘もある*8。
ただし、ピロリ菌にも種類があり、日本人に多く見られる種類は胃炎を起こしやすいので、駆除した方が良いともいわれている。
消化管の中でも、最近の健康ブームで、腸内細菌の重要性が話題になっている。
前述したように、小腸、大腸では腸内細菌の種類と数は大きく異なる。小腸では主な栄養素(炭水化物、タンパク質、脂質)が分解・吸収され、その残りが大腸に送られて、小腸で吸収されなかったミネラルや水分が吸収され、残りが便になる。
小腸では乳酸菌が主に働き、大腸ではビフィズス菌が主に働くが、それ以外にも栄養素の分解、吸収を担っている常在菌が重要な働きをしている。
腸内細菌は、私たちから栄養を得る代わりに、人間が合成できないビタ ミン類を作り、人間が取り込めない多糖類を分解して吸収できるようにするなど、人間と共生関係を維持している。
腸管免疫の重要性
小腸の腸管免疫系には、免疫系細胞全体の60-70%が集まり、体の中で最も大きな免疫系として、複雑な機能調節を行っている。
なぜ、小腸にそのような免疫系が備わっているだろうか。免疫系は、自己以外の異物を排除するシステムだが、自己以外の物質でも栄養は排除せず取り込む必要がある。
食事で摂取した炭水化物、タンパク質や脂質は、食道、胃を経て小腸にたどりつき、ようやく本当の体内である腸の吸収上皮細胞に取り込まれていく。
つまり、食べた物は一見、体内に入ったように見えるが、口腔内、食道、胃ではまだ本当の体内に入っているのではない。
小腸では食べた物を必要な栄養物と判断して体内に取り込むか、それとも病原菌など不必要な有害物と見なして免疫系の攻撃対象とするのか、腸管免疫がその重要な選択をしている。
小腸には、栄養を吸収する小腸上皮細胞の合間に、パイエル板という特別な免疫系機能を持つ部位がある(図)。
*7 木 村‐黒田純子『地 球を脅かす化学物質―発達障害やアレルギー急増の原因』海鳴社、2018年
*8 マ ー テ ィ ン・J・ブ レ イ ザ ー著、山本太郎訳『失われてゆく、我々の内なる細菌』みすず書房、2015年
・パイエル板では、M 細胞が病原菌の抗原を取り込み、内部にある免疫細胞が刺激を受けて活性化する。
その結果、病原菌には IgA という特別な抗体を腸管の粘液中にたくさん出し、病原ウイルスに対しては、細胞性免疫などで攻撃して体を守っている。
免疫系は本来、自己、非自己を認識して、非自己に対して攻撃する。
病原菌だけでなく食物も非自己として攻撃対象とすると栄養を摂取できないので、食べたもののうち栄養素は免疫対象としない仕組み(経口免疫寛容)によって私たちは栄養を摂取している。この仕組みが働かず、栄養素を免疫の攻撃対象としてしまうと食物アレルギー反応が起きる。
この経口免疫寛容には、抑制性の免疫細胞が重要な役割を果たしており、小腸では乳酸菌のような腸内善玉菌が抑制性の免疫機能の調整を担っている。
一方、大腸には免疫系の細胞は少なく、膨大な数の腸内細菌が存在して、なかにはビフィズス菌のように殺菌作用の強い酢酸を産生し、病原菌の増殖を抑えて体を守ってくれている。長寿の人に多い善玉菌の酪酸産性菌は、食物繊維で増殖し、酪酸が抑制性免疫系を活性化して、腸内細菌叢のバランスを調整しているといわれている。
昔は不要だと考えられてきた虫垂は腸内免疫に重要な免疫組織で、腸内細菌のバランスにも役立っていることがわかってきた。下痢や抗菌剤の服用などで、腸内細菌のバランスが崩れた際、虫垂からが腸内細菌が供給されて、バランスを戻す役割を担っていると考えられている。