3:ブータンでの有機稲作導入の国際協力運営委員 田坂興亜 | 化学物質過敏症 runのブログ

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プロジェクトの成果とこれからの課題
こうして、多くの協力者に助けられて、除草剤を使わない雑草コントロールの主要なテクニックである田植え前1か月から3回の代掻きと田植えを済ませ、7月にまた行ってみると、稲は、青々と育っており、雑草は、少しはあったが、代掻きの作業をしないときに比べると圧倒的に少なくなっていた。
さらに、収穫の時期に収量調査を行なったところ、少なくとも従来の1.5倍であることが分かった(写真4)。

ブータンでのコメの自給率は50%程度で、不足分をインドから輸入している。

やはり、主食のコメを、農薬不使用なだけでなく、もっと自給率を上げるためには、単位面積当たりの収量を上げる必要がある。

そのために、稲葉さんがやろうとしていることは二つある。

 一つは、バジョのような温暖な地域で二期作を行うことである。

実際現在、バジョの試験田で、2月に田植えをして、コメの二期作を試みている。
もう一つは、大豆を裏作として植え、大豆を加工した際に生じる脱脂大豆やおからを発酵させてコメの収量を上げるための有機肥料をブータン国内で作る体制を整えることである。

ブータンでは、ほとんどの国民がチベット仏教の信徒であるにもかかわらず、現在大量の肉類がインドから輸入されている。

稲葉さんは、肉類を輸入する代わりに、大豆を加工して食べることが普及すれば、植物性のタンパクによって肉の輸入を減らすことができるのではないか、と考えておられるのであるが、今年の2月にブータンを訪れた際、細々とではあるが、ブータンの首都圏で、豆腐屋を営む人があることを確認してきた。

豆腐を生産する際に副生するおからをバケツ一杯もらって きて、ユシパンというところにある有機農業の試験場で現在発酵させているところである。

 今後に向けた大きな課題としては、ブータンで主として植えられ、食べられている地元の品種を用いての実験が必要なことである。

稲葉さんは、地元の品種は、収量が低いので、ササニシキの方が良いと主張されているが、稲葉さんの手法がブータン全土に根付くためには、ほとんどの農民が育てている品種で、雑草のコントロールと収量を上げることが必要である。

また、稲葉さんの手法は、田植え前から十分な水があることが条件であるが、ヒマラヤからの豊かな水があるにはあるが、それが田んぼに引き込まれていない地域が大半である。

現地の英字新聞にも、このことが指摘されているが、水田での水の確保は、大きな課題である。
ブータン人自身による有機稲作の活動
JICA の支援がほぼ決まった時点で、アジア学院の理事として、アジア学院にブータンから2人の研修生を招くことを決め、農林省の若手職員で将来性のある人を推薦して下さるよう農林大臣に依頼した。

こうして、2016年4月から、Karma Chukiという女性と、Sangay Wangdiという男性のブータン農林省の若手職員が9か月のアジア学院の有機農業の研修を受けると共に、同じ栃木県内にある民間稲作研究所で、除草剤不要の有機稲作のトレーニングを受けた。

この2人は、熱心にアジア学院と民間稲作研究所で有機稲作を含む有機農業の技術を習得して12月に卒業し、帰国していった。

やはり、地域の特殊性や気候風土、また食習慣などをよく知っているブータン人自身が、この技術をブータン国内で確かめたうえで、農民に伝えてゆくことがブータンが目指している有機100%という目標に向けて、大きな力になると私は確信している。

実際2017年7月にブータンを訪問した際に、Karma Chuki さんの任地であるインド国境から92km のチランという地方を訪れたが、彼女をアジア学院に推薦した上司で、現在バジョの農業研究開発センターの主任であるPema 氏が案内して下さり、また、アジア学院で学んだ Sangay Wangdi 氏も同行して、この南の地域を訪問してみると、Karma Chuki さんのリーダーシップの下で、農民たちがさまざまな形の有機農業を積極的に推進しており、特に、女性たちを組織して、行政に働きかけ、有機農業を推進するために必要なインフラの整備も着々と進められていた(写真5)。
この3年間のプロジェクトは、始まって1年半が経過したが、今年の2月に訪問した時には、バジョから目と鼻の先にあるチミパンというところの王立農業試験場をこれから永続的に有機稲作や大豆の生産などに用いることがブータン農林省の関係者が集まって決定され、この非常に広い圃場を有する王立の農業試験場にトラクターを入れて、本格的な圃場整備が始まっていた。

しかも、稲葉さんがこれまで行ってきた貯水池を作ることが、ここではかなり大規模に行われ、その貯水池の水を温めてから水田に導入するために、第二の貯水池まで作られていた! ブータン人自身によって稲葉さんたちの技術が確実にブータンの地に根付きつつある状況を大変心強く思う。