・ブータンでの有機稲作導入の国際協力運営委員 田坂興亜
ブータンとの出合い
中尾佐助という人が書いた『秘境ブータン』という本が岩波書店から出版されているが、多くの日本人にとって、ブータンという国は、長いことほとんどの人が行ったことのないまさに「秘境」であった。
ネパールと同じように、インドの北端からヒマラヤに至る山岳地帯に位置している小さな国で、ブータンの人々が主食としているコメの生産は、ほとんどが山の急斜面に張り付いた棚田で行われている(写真1)。
人口は70万人前後で、一国の人口としては非常に少ない。
この国が日本人にとって身近になったのは、若い国王が、3.11の大震災の後に日本を慰問に訪れたことが大きく影響している。
私のブータンとの出合いは、私がアジア学院の校長をしていた2005年に、初めてのブータンからの研修生として、Rajan Raiというブータン農林省の職員が入学したことにさかのぼる。
当時 JICA からブータンに派遣されていたアジア学院の職員、野崎氏が推薦され、「アジア学院は、政府の職員を研修に招かないのが原則であるが、NGO が未発達なブータンに有機農業による食料の自給を推進するためには、例外的なケースとして、農林省の職員を招くこともあってよいのではないか」というような議論を経て、2005年4月からの研修に来日したのであった。Rajan Rai 氏は、他のアジアの国々やアフリカからの研修生たちと9か月の間生活を共にし、有機農業を中心とした農業研修を受け、12月に卒業式があって、彼はブータンに帰国した。
それから約10年を経て、2014年3月に、IFOAM(国際有機農業運動連盟)の「山岳生態系での有機農業の展開」というセミナーがブータンで開催され、その案内を日本有機農業研究会を通じて受け取った私は、Rajan Rai 氏がブータンに帰国後、どんな活動をしているかを見てこようと思ったこともあって、これに参加した。
ブータンで開かれた国際セミナー
国際セミナーの中日に、有機農業の実験農場を見学するプログラムがあり、ミャンマーやインドなどから来たセミナーの参加者と一緒にこれに参加したところ、ナント! RajanRai 氏がその実験農場の主任として、各国からの参加者のために、有機たい肥の作り方やミミズの養殖を行っている現場を案内してくれたのであった。
彼は、開口一番、「私は日本のアジア学院で有機農業を学びました。ここにいるのが、その当時の校長です!」と言って私を紹介してくれたのであった。
私は、胸が熱くなった。
この IFOAM の国際セミナーのメインのプログラムには、インドのバンダナ・シバ女史の講演なども含まれていたが、中でも興味深かったのは、ブータン農林省の農林大臣が講演し、「ブータンは、2020年までに農業生産をすべて有機農業で行うという目標を立て、農民が使わずに残していた農薬を回収してスイスに送り、これを処分してもらった」と言われたことであった(写真2)。
しかし、有機100%という目標を立てたという話のすぐ後に、ブータンの農業が「有機農業100%」を達成するために直面している大きな課題として、大量の除草剤が現在使用されていることを挙げられたのである。
これを聞いた私は、ちょうどその前年の2013年に栃木県の民間稲作研究所が主催した、日・中・韓の有機稲作のセミナーで、当研究所の稲葉さん、舘野さんらが、除草剤を一切用いることなく水田の雑草を見事にコントロールしている状況を見てきていたので、農林大臣の講演の直後に手を挙げて、「日本の栃木県に、民間稲作研究所というところがあり、そこの稲葉さんや舘野さんは、除草剤を一切使わないで水田の雑草をコントロールする方法を、すでに確立しています」と発言した。
すると、その午後の分科会に参加していた私を Yeshey Dorji 農林大臣が呼び出され、除草剤を一切使わない水田雑草のコントロールの方法について、もう少し詳しい情報がほしい、と言われたので、稲葉さんから英語で書かれた有機稲作の手法に関する文書をすぐに送ってもらい、これを手渡したところ、「稲葉さんたちを、ぜひブータンに連れてきてほしい」と懇願された。
帰国後、稲葉さんにこのことを話したところ、こうした有機稲作の国際的な技術協力は、非常に意味がある、と積極的に対応することを約束された。
そこで、2015年6月と2016年3月に、稲葉さんと一緒にブータンを訪問し、農林大臣はじめ、有機農業推進室長の Kesang Tshomo さんや、ブータンの農林省で、稲作や雑草の専門家たちに会って、プロジェクトを立ち上げることにした。