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・【夢を追う】「萩大島船団丸」代表・坪内知佳さん 抱いてきた夢破れ萩へ
産経新聞 4/26(水) 7:55配信
【夢を追う】「萩大島船団丸」代表・坪内知佳さん 抱いてきた夢破れ萩へ
高校1年のとき、台湾で語学研修を受けた坪内知佳さん(左から3人目)(写真:産経新聞)
《福井市で生まれた。なぜか、幼い頃から海に親しみを持っていた》
物心ついたころですから、3、4歳くらいでしょうか。「カモメになりたい」と本気で思っていました。空を自由に飛んで海を越えられるから。きっかけはまったく覚えていないんですが、とにかく、海の上を飛ぶ姿にあこがれました。
海沿いの街で育ったわけでもないのに、海とカモメにあこがれ、それが今につながっている。なんだか、不思議な縁を感じます。
小学生になっても、幼い頃の思いは全く変わらなかった。だから、パイロットになりたいと思った。でも、母から「女の子がパイロットなんて無理よ」といわれ、あきらめました。
同じ飛行機の仕事ということで、スチュワーデス(客室乗務員)に目標を変更したんです。今はキャビンアテンダントとも言いますよね。中学生、高校生と成長するにつれ、思いは消えるどころか、ますます強くなっていきました。
《客室乗務員を目指し、高校から語学力を磨き始めた》
地元の福井商業高校に進みました。頭はスチュワーデスになることでいっぱいですから、とにかく英語を勉強したかった。
高校1年の春に、台湾で語学研修を受けました。2週間の短期滞在でしたが、海外での勉強は刺激になりました。
2年生になると、オーストラリアのパースに1年間、留学しました。日本の高校に進学したのに、「長く海外で過ごした」という印象です。
《平成17年、名古屋外国語大に進学した。夢に向かって着実に歩を進める》
大学1年の春休みに、カナダ・バンクーバーに2カ月間留学しました。英語には、だいぶ自信がつきました。
アルバイトも始めました。
スチュワーデスは接客業です。訓練にと、販売の仕事を選びました。人材派遣会社に登録し、大手スーパーで、クレジットカードの契約を取る仕事をしました。
そこで、面白いように契約が取れました。
1日で30~40件の契約を成立させたと思います。1人の記録としては、全国1位になりました。特に接客トークを学んだわけでもなく、理由は分かりません。私はとにかく、カードの良い点をきちんと説明しただけです。
《あちこちの売り場から声がかかり、「カリスマ販売員」として、名の通る存在になった》
全国あちこち、ありとあらゆる商品を売りました。
1個数万円もする高級シェーバーを、1日に10本売ったこともあります。平均の倍以上の売り上げだったそうです。大手スーパーで、赤字売り場の立て直しを任されたこともありました。
工夫したのは、声のかけ方や、商品説明のポップです。とにかく、商品の長所や特性を訴えた。でも、なぜあそこまで売れたのか、人と何が違ったのか、今考えても思いつきません。
日本航空のインターンシップ(就業体験)にも参加するつもりでした。もちろん、スチュワーデスへの近道だと思ったからです。大学を卒業したら、そのまま入社できると思っていた。「もうちょっとで、幼い頃の夢がかなう」。希望に満ちあふれていました。
ですが大学3年のときに、体に変調をきたしました。原因不明でした。後に化学物質過敏症と分かったのですが、スチュワーデスは病歴があるとなれないんですね。また、なれたとしても、長くは続けられない。
「もうダメだな」。大袈裟じゃなく、目の前が真っ暗になりました。
長年の夢だったスチュワーデスを、あきらめるしかなかった。大学に行く必要もなくなりました。中退しました。
大学中退を機に、当時付き合っていた男性と結婚することにしました。その人が萩市の出身で、私も移り住んだんです。それが、私と萩の最初の関わりでした。