車いすのレスラー | 化学物質過敏症 runのブログ

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車いすのレスラー

全米ヘビー級レスリング女子金メダリストを突然襲った化学傷害

         サンドラ・セーノ (米国) の場合: 2001, 3/28


一つ一つ(化学傷害研究ML管理人からの)質問にお答えします。

> あなたは、どういう種目での金メダリスト保持者なのか、お尋ねして
> よろしいでしょうか?
  
ええ。私は、全米女子フリースタイル・レスリングチームのヘビー級でした。

1993年ベネズエラのカラカスでパンアメリカン(環太平洋)選手権大会があり、金メダルの試合で片膝を痛めました。

その後、ハワイで高校レスリングのコーチをし、審判を務めました。

去年までは、レフリー、あの審判でした。
でも、毒に冒されてからは、歩く機能を失いました。

約1年前、(別の)仕事で化学毒に冒されてしまったのです。


> どの様にしてですか?

雇い主が、金属板染色液入りの容器を私に清掃させたのです。
それは、車ほどの大きさがありました。
安全防具など全く付けさせてもらえないまま。手袋さえも。

6時間半以上、私は緑色の濃いドロドロしたカスの入ったタンクに素手を入れていました。

両手が火傷し、水泡が幾重にも出来ました。カリフォルニア大学毒物学者の話では、その化学物質が私の脳に入り込んでいて、脳の白質を蝕んでいるそうです。
私は二度と回復することはないし、それで死ぬだろうと言われました。

私達は、雇い主だけでなく、製品に何らの警告も表示していなかった化学会社も訴えています。


> 日本では、化学物質過敏症は、とても虚弱か特異な人達だけがなるものだと、
> 多くの人達、特に公務員達は思っています。
> ですから、あなたの症例は、私達にとって実に重要です。
> 私達のMLホームページのために、あなたのメッセージを書いて頂けるで
> しょうか?

今、喜んでそうしますので、そこに掲載して下さい。

既に1日800通以上も
メールが届くので、これ以上、MLには参加できませんが。
私のいきさつは、次の通りです。


ある商業印刷の会社に勤めていた時、雇い主が金属板現像液の清掃を
私に命じました。
6時間半以上、私の無防備な両手は、その容器から濃い緑色のドロドロした
ゴムみたいな物をすくい出していました。
エプロンも長靴も防護マスクも与えられずに。

ドロドロのしずくを固定容器からバケツへすくい出すのに、私は自分の
プラスチック製コップを用いました。
私は揮発性物質を吸いながら、それが自分を病気にするとも全く知らず、
容器に覆い被さるように立ったのです。

数時間後、私の両手は火傷していました。

幾重にも水泡が出来ましたが、
雇い主は、どんな医療を受けることも許しませんでした。


その時以来、私は多くの医者に回されてきました。
ヒリヒリする水泡が全身にあり、破裂すると、ほてった液体が出てきます。
私の頭や首には、こういう何百もの水泡があります。
私の両手には、ひどい傷跡があり、絶えずヒリヒリしており、出血しないように
安全な石けんを使わなければなりません。

アレルギーテストを受けましたが、今や、何百のものに陽性です。
エタノール(アルコール)に近づくことは、もう決してできず、どんな種類であっても、私を殺すことができます。
好きなアサヒビールも、少しのワインさえも、二度と味わえないでしょう。
雇い主は、そういう権利を私から奪い去りました。

数人の専門医から、私には化学性神経毒症状、溶剤性神経毒症状、化学性曝露、痴呆、そして、はい、MCS(化学物質過敏症)があると診断されてきました。

このところ、今や、車椅子の生活です。もはや、自分では歩くことができません。

平衡感覚が失われてしまい、階段を下りようとした時にバランスを崩して落ち、両膝に深刻な損傷を受けています。

その直後、胸郭の下がひどく痛み、胆嚢を摘出されました。医師の話では、泥状のものでいっぱいだったそうです。
胆嚢摘出手術の間に右膝も手術されました。
整形外科医は私の膝の内部写真を見せてくれましたが、この茶色の物質が
中で増大していて、厄介に見えました。

私の記憶は悪くなってきています。話したり、正しい言葉を使ったり、文章を
組み立てて会話するのに支障を来しています。
パソコンとスペルチェッカーに私は大いに頼っています。
本を書いた詩人としての歳月は、おしまいです。