私が愛用しているシャンプーには、ほのかなラベンダーの香りをつけるため、フタル酸エステル類が使われている。香料を溶かしたり、ローションの粘性を高めたり、ビニール製品などに柔軟性を与えるために使用され、病院の点滴チューブや車のダッシュボード、食品包装用のラップなどにもよく使われている。
こうした製品の加熱や長期の使用で、フタル酸エステルが環境中に出ていき、呼吸を介して、あるいは皮膚から吸収されて体内にとりこまれることがある。
この物質は数分から数時間たてば排出されるので、1日のうちでも蓄積レベルは変動しやすい。
フタル酸エステル類も、マウスを使った実験ではビスフェノールAと同様に、生殖機能の発達を阻害することがわかっている。
米国では専門家の諮問委員会による答申が最近発表された。
フタル酸エステル類が人体に有害であるとは今のところ実証されていないが、その懸念はあり、とりわけ乳幼児に影響を及ぼす危険性は否定できない、というのがその結論だ。
「人体でのデータはないので、現在使用されているレベルが安全かどうかは判断できません」と、米疾病対策センター(CDC)の専門家アントニア・カラファト博士は言う。今回調べた7種類のフタル酸エステル類のうち、5種類について私の検査値は平均を上回っていた。
この記事の相談に乗ってくれた小児科医のトラサンド博士は、朝シャワーを浴びて髪を洗った直後に検査用の尿をとったためではないかという。
私の体内からはフッ素樹脂の一種、PFA類も検出された。PFA類はフライパンを焦げつきにくくする“テフロン加工”や、衣類の汚れを防ぐ表面加工に使われる、化学的に安定なフッ素化合物だ。
スリーエム(3M)社の防水スプレー「スコッチガード」にも使われていたが、製品に含まれる一部のフッ素化合物が環境中に蓄積していると判明したため、同社は段階的に使用を中止した。
動物では肝機能の異常や甲状腺ホルモンの分泌異常、先天異常を引き起こし、発がん作用も疑われているが、人体への毒性についてはよくわかっていない。
私の検査結果からは、長期にわたる環境汚染の影響も読みとれた。微量だが、ダイオキシン類が検出されたのだ。
製紙工場や化学工場、ゴミ焼却炉から排出ガスなどにまじって環境中に出ていったダイオキシン類は、土壌や水を汚染し、食物連鎖に入りこむ。動物の脂肪に蓄積されやすく、魚や肉、乳製品などの食品経由で人間の体内に入ることが多い。
神経毒として悪名高い、水銀も検査項目の一つだ。
水銀は記憶や学習、行動をつかさどる中枢神経系に回復不能なダメージを与える。
米国では石炭を燃やす火力発電所が主な発生源で、煙突から大気中に放出された水銀が風にのって広がり、雨とともに地上に降りそそいで湖や川、海を汚染する。
これが水中にいる細菌の働きで有機化合物のメチル水銀になると、まずプランクトンの体内に入り、それを食べた小魚を大きな魚が食べ、食物連鎖の中で濃縮されていく。
マグロやメカジキなど食物連鎖の上位にいる大型魚ほど、体内に高濃度のメチル水銀が蓄積されていて、魚をよく食べる人はリスクにさらされる。
カリフォルニア州北部の住民たちを現在もおびやかす水銀汚染は、金鉱採掘にわいた150年前の「ゴールドラッシュ」が残した負の遺産だ。
当時、シエラネバダ山脈の鉱山では、不純物を含んだ鉱石から金を抽出するのに液状の水銀が使われた。
そして何十年もの間に、古い鉱山から水銀を大量に含む堆積物が流れ出し、川や地下水に入り、サンフランシスコ湾へと流れこんだ。
普段はあまり魚を食べない私の場合、水銀の検査結果は低めだった。だが1食か2食、魚をたらふく食べたらどうなるだろう。実験のためある日の午後、サンフランシスコ湾にかかるゴールデンゲート・ブリッジのすぐ外海で捕れたというカレイとメカジキを買ってきた。
この海域の魚なら、体内にゴールドラッシュの置き土産の水銀が含まれていそうだ。
その晩はバジルを添え、しょうゆを垂らしたカレイのグリルを平らげ、翌朝はフッ素樹脂加工のフライパンで、メカジキを卵と一緒に炒めて食べた。
24時間後、再検査のために採血してもらった。
血液1リットル中の水銀濃度は、当初の5マイクログラムから2倍以上も増え、安全基準を上回る12マイクログラムに達していた。
これが70~80マイクログラムになると大人でも危険で、子どもはもっと低い濃度でも影響を受けると、トラサンド博士が説明した。そして魚を大量に食べる実験は控えたほうがいいと言った。
今回の検査結果で、いちばん気がかりなのはPBDE類を含む難燃剤だ。
30年ほど前に実用化されたこの化学物質は、今では周囲のあらゆるところに使われていて、避けようがない。
極地の氷上で暮らすホッキョクグマや英国の水鳥、太平洋のシャチなど、地球上のいたるところで、さまざまな生物の体内からPBDEが見つかっている。その潜在的な危険性について最初に警告を発したのは、スウェーデンの化学者ベリマン博士らの調査チームだ。1
998年の報告書によれば、人間の母乳に含まれるPBDEは72年にはゼロだったが、97年には平均4ppbまで急増したという。
PBDEは、難燃剤を含むプラスチックや繊維からほこりの粒子にとりこまれたり、ほこりの表面にガスとして付着して、環境中に漂い出る。
このため、床をはいまわる赤ん坊は、ほこりと一緒にPBDEを大量に吸いこみやすい。
2001年にスウェーデンの研究チームが、家具用の難燃剤と似た構造のPBDEを混ぜた餌を子どものマウスに与えたところ、学習、記憶、行動のテストで能力低下が認められた。
またドイツ・ベルリンのシャリテ大学病院の研究チームが昨年発表した研究結果では、血液中のPBDE濃度が私と同程度の雌から生まれた雄のラットに生殖機能の低下が認められた。
仮に、PBDEに許容量があるとしても、現代の生活ではたちまち摂取量が許容量を上回ってしまうだろう。
米インディアナ大学のロナルド・ハイツ博士は複数の調査報告を検討し、血液中のPBDE濃度は人間でも動物でも、3~5年で2倍になるペースで急増していると発表した。
人体に影響があるかもしれないのに、なぜこうした化学物質を大量に使い続けるのか? 今すぐ禁止すべきではないのだろうか。
欧州連合(EU)は、PBDE類のうち動物実験で最も毒性が強いとわかったペンタ-BDEとオクタ-BDEの使用禁止に踏み切った。
米カリフォルニア州も2008年までにこの2種類を禁止する。
米国でペンタとオクタを製造しているメーカーは1社だけで、すでに段階的な製造中止に合意した。
とはいえ、はるかに広く普及しているデカ-BDE(通称デカブロ)を禁止する動きはまだない。環境中や体内でペンタやオクタより早く分解されるというデカブロだが、分解の過程でペンタやオクタが生じる可能性もある。
その一方で、疑わしい化学物質を禁止するのが、常に最善の選択とも言い切れない。
ベッドや飛行機の座席に、火がつきやすいのも困りものだ。
英国サリー大学のチームは最近、消費者向けの製品に含まれる難燃剤の危険性と効用を検証し、「多くの難燃剤では、人間の健康に及ぼすリスクよりも、火災のリスクを減らす効用のほうが大きい」と結論づけた。
一部の汚染物質を別にすれば、工業製品に使われる化学物質はどれも、何らかの用途に役立てようと開発された。
レイチェル・カーソンが1962年、環境問題に警鐘を鳴らした古典『沈黙の春』で槍玉に上げた有機塩素系殺虫剤のDDTですら、マラリアや黄熱病を運ぶ蚊を退治する“魔法の粉”と、かつてはもてはやされたのだ。
DDTは野生生物への毒性が確認され、今では多くの国々で禁止されているが、それまでに多くの人命を救った。
米コロラド州デンバーの臨床毒物学者スコット・フィリップス博士は、こう語る。「化学物質が悪いとは限りません。この100年で発症率の上がったがんもありますが、人の寿命は2倍に伸びました」
EUは現在、化学物質に対する新たな規制の導入に動いている。
昨年、第一段階の審議で採択された規制案は、化学物質の登録、評価、認可の頭文字をとって「リーチ(REACH)」と呼ばれる。
化学物質を販売・使用する企業に、安全性の実証などを義務づけるというのが、その趣旨だ。
化学業界や米国政府は導入に反対しているが、この規制には、安全性が疑わしい難燃剤や殺虫剤、溶剤などの化学物質に代わる、安全な代替物質の開発を奨励する側面もある。
実現すれば、欧米の研究機関ですでに始まっている、環境にやさしい“グリーン化学”の研究と、安全な代替物質の開発にはずみがつくだろう。
身近な化学物質を探る私の旅は、さまざまな不安を投げかけた。
今回調べたもの以外にも、私たちの周囲には殺虫剤、プラスチック、溶剤など、何万種類もの化学物質がある。
ロケット燃料の成分である過塩素酸塩は、米国の各地で地下水を汚染している。
また、今回私が受けた検査では化学物質の混合物については調べていないが、単独ではほとんど無害な物質が合わさると、細胞を傷つけるなどの困った性質が生じることもある。
たとえば殺虫剤とPCB、フタル酸エステル類などが混じると、どうなるだろう? 「それぞれの作用が相乗されるか、相殺されるか、あるいは無反応かもしれません。皆目わからないんです」と、米疾病対策センターのジェームズ・パークル博士は言う。
検査結果を受けとってからしばらくして、かかりつけの内科医に検査値を見せてみた。
鉛と水銀はともかく、リストにある化学物質はよく知らないものばかりだと断ったうえで、主治医は請けあった。「私の診るかぎり、あなたは実に健康だ。心配ないでしょう」。
そんなわけで私は相変わらずジェット機で飛び回り、フッ素樹脂加工のフライパンや、香料入りのシャンプーを使っている。
だが、生活のさまざまな局面で役立っている化学物質を、以前ほど手放しでは礼賛できなくなった--そんな気もしている。