そこで,公害を防止し,環境を保全する弁護士会の立場から,今後,立法・行政・司法の場面で利害関係者が議論していくために必要とされる科学技術的知見を確立するために必要な実態調査について,以下のとおり意見を述べる。
(1) 基礎研究の充実と実態調査の実施
電磁波の健康影響に関する研究がいまだに不十分であるのに加え,我が国の実情に応じて,我が国独自の疫学的調査を実施する必要がある。
この点,我が国では細胞レベル,動物実験レベルの調査報告はあるが,疫学的調査については,兜報告以来,一般に知られているものはほとんどない。
しかし,人体実験が許されない以上,ヒトに関する曝露原因と仮定される問題との関連性の研究には実態調査が最も適切である。
① そこで,実態調査,特に,訴えの多い携帯電話端末,高圧送電線,携帯電話中継基地局周辺に居住する住民の健康被害の症例報告などから,関連性が疑われている様々な愁訴(頭痛・鼻血・吐き気・白血病・脳腫瘍・聴神経腫瘍等々)との相関性を研究すべきである。
特に,携帯電話については,使用頻度との相関性が指摘されているので,
携帯電話の使用頻度と健康被害との相関性に関する調査を実施すべきである。
② 職業曝露に関する研究
新たな技術開発を行いそれによって利潤をあげる企業に対し,企業の社会
的責任(CSR)の観点から,企業独自の職業曝露の問題を調査し,これを
公開すべきである。
企業においては,労働衛生のために健康診断に関するデータが集積されていることが推察される。これと電磁波源からの被曝強度に関するデータを加え,個人情報保護に配慮しつつ,疫学研究者などを中心とする外部専門家に学術的なデータとして提供し,職業曝露の場面において相関性を研究するべきである。
③ 使用されている商業電磁波の性質に関する情報開示
現在,企業が開発し,利用している電磁波の性状に関するデータは,企業
秘密保護の観点から,ほとんど明らかにされていない。
そこで,基礎研究の
前提として,電磁波の性状に関し,物理学の研究者に対し,電磁波の性状に関するデータを提供することで,疫学研究者との学際的な研究に資するべきである。
(2) 科学研究における独立性・公平性の確保
科学研究においては,研究者やその所属する研究機関などが,当該科学技術に関して利益を得ている企業やその関係団体から研究資金の援助や寄付などの利益供与を受けている場合,研究結果にバイアスがかかる可能性がある。
この点に関して,研究者や研究機関が,関係団体からの利益供与の有無や程度を公開することが世界的な潮流となっているにも関わらず,電磁波に関する研究に関し,利益供与に関する情報公開を定めた規範はない。
電磁波に関する公的研究実施に当たっては,関連企業からの利益供与の排除に極力努めるとともに,関連企業からの利益供与を有する研究者ないし研究機関が研究に関与する場合には,関連企業からの利益供与の程度について,明らかにするべきである。
6 電磁波過敏症対策の必要性(「第1 意見の趣旨」3)
(1) 電磁波過敏症の定義
① 電磁波過敏症の定義
電磁波を浴びると鋭敏に反応し,頭痛,吐き気,疲労,めまい,心臓動悸,
痰が出る,不眠症,記憶低下,皮膚がチクチク,ヒリヒリ,ピリピリし,手
足のしびれ,内臓圧迫感,むくみ,耳鳴り,不定愁訴,不快感,自律神経失
調,筋肉や関節の痛み,不整脈,まぶしい,うつ状態,のどの痛み,頭が重
い等の様々な症状がみられる人がいる。
これらの症状を一般に「電磁(波)過敏症(ESないしEHS)」(以下「電磁波過敏症」という。)と呼んでいる。
② WHOの見解
WHOは,2005年12月に発行したファクトシートNo.296 にお
いて,「電磁波過敏症」は,医学的診断基準はなく,その症状が電磁界曝露と関連するような科学的根拠はないとしながらも,様々な症状が存在すること自体を認めている。
そして,EHSの一般的な症状として,皮膚症状(発赤,チクチク感,灼熱感),神経衰弱症,自律神経系症状(倦怠感,疲労感,集中困難,めまい,吐き気,動悸,消化不良)を挙げ,これらの症状は,既知の症候群の一部とはいえないとしている。
(2) 日本における被害者の声
我が国では,マスメディアによる報道がほとんどなされてこなかったことも
あり,電磁波過敏症の存在すら一般にはほとんど知られていない状況にあるが,これは我が国で電磁波過敏症の発症例がないことを意味するものではない。
電磁波過敏症の救済と対策を求める取組を行っているVOC-電磁波対策研究会の「電磁波過敏症アンケート2009」 と題した報告書19によれば,電磁波過敏症ないしこれに近い症状を訴える人々にアンケートを採ったところ,電磁波過敏症が発症する原因になったと思う電磁波発生源について携帯電話やPHSの基地局・中継アンテナが全体の32%と最も多く,また同発生源は,全体の70.7%の人によって電磁波過敏症を引き起こす電磁波発生源として挙げられている。
また,上記報告書によれば,電磁波過敏症を発症した場合の主な社会生活上の問題点として,アンケートに答えた多くの人が,電磁波過敏症について理解のある医師による治療が十分に受けられない,電磁波に反応し体調が悪化するため外出を控えていると回答しており,有職者中発症によって仕事に大きな影響が出たと述べる者は65%に上っている。
症状が悪化すると社会生活に支障を来したり,就労が困難となるケースも予想されるところである。
こうした電磁波過敏症発症者からの声を踏まえ,上記報告書は,携帯電話・PHS基地局等の電磁波発生源の設置場所の制限・Web上での公開,設置計画の周辺住民への事前公開,携帯電話の使用ルールと使用場所の制限,公共交通機関等における電波を発生させる機器の使用禁止エリアの設置,電磁波過敏症に対応できる医療体制の整備・情報公開等が必要であるとしている。
(3) 電磁波過敏症に対する日本の対策
19 カロリンスカ研究所のオーレ・ヨハンソン博士との共同研究として「Pathophysiology Volume 19, Issue 2,April 2012」に掲載。
日本においては,電磁波過敏症に関し,行政として何らの対策も執られてい
ない。
また,一部の熱意のある研究者により電磁波過敏症についての研究がなされているものの,国内で電磁波過敏症についての十分な調査・研究が行われているとまではいえず,我が国における電磁波過敏症の有病率も不明である。
電磁波過敏症については,特定の素因を有する者だけに生じる症状ではなく,電磁波曝露の量が増えれば,誰にでも生じうる可能性があるとの指摘や,近年,電磁波過敏症の有病率が増加しているとの指摘もある。
また,現に,電磁波過敏症を発症し,居住,就業等,日常生活のあらゆる場面で不自由を強いられている人々がいるのであり,これらの者が安心して生活していける環境を確保する必要もある。
そこで,我が国としても,電磁波過敏症に関する実態調査とこれを踏まえた
発症のメカニズムと予防・治療・対策の発見に向けた研究に着手すべきである。
(4) 人権保障の観点からの対策の必要性
前記のとおり,WHOのファクトシートでは,電磁波曝露との因果関係を断
定すること自体は避けているものの電磁波過敏症という症状そのものの存在を認めており,既知の症候群とはいえないとしている。
また,国を挙げてユビキタス社会の実現を標榜する我が国では,携帯電話や無線技術を利用した各種機器が社会の隅々まで広く普及しており,日本全国,身の回りのどこにでも様々な周波数の電磁波が大量に飛び交っており,こうしたなかで,前記(2)でもみたとおり,電磁波過敏症を発症し社会生活に支障が生じてしまった人々が出てきていることも事実である。
電磁波過敏症を発症した人々は,程度の差こそあれ,電磁波に曝露されることで体調が悪くなるため,常に身の廻りにある電磁波の発生源を気にしながら生活している。なかには,特段の規制立法がない現状で次々と設置が進む携帯基地局から逃げるように,引越しを余儀なくされている人々もいる。
その結果,電磁波過敏症を抱えた人々は,就業が著しく制約されて経済的に追い込まれるばかりでなく,外に出ること自体が困難となる結果,一般的文化的な生活を送ることにすら支障を感じることとなっている。
また,電磁波過敏症については前述のとおり十分な調査研究が行われていないことから,電磁波過敏症発症者は医療機関に出向いても適切な治療を受けることができず,精神的な疾患として片付けられてしまっている場合も存在するとの指摘もある。
こうした現状を放置していることは,電磁波過敏症発症者の人として健康で
文化的な生活を営む権利を否定することであり,憲法の定める生存権に照らしても許される事態ではない。
ここにおいて,電磁波過敏症患者が安心して社会生活を続けられる環境を検討し整備していくことは,人権保障の観点からも要請されるところであると認識すべきである。
この点,スウェーデンでは,行政が電磁波過敏症を訴える人々の団体と定期的に情報交換をする機会を設け,またこうした団体の活動資金を援助している。
その影響もあってか,我が国と比べて,同国では,例えば,病院内に電磁波オフの部屋が設けられていたり,携帯電話での通話にハンズフリーを使用している人々を見かけることが珍しくないなど,電磁波の健康影響に対する国民の関心は高いように感じられる。
また,同国の地方自治体にはさらに進んで,住宅の改修費用の一部を補助しているところもある。他方,スイスのように,携帯
基地局の設置・運用において周辺住民の健康に配慮した厳しい規制を設け,また,これらに関する情報公開を通じて,無秩序な電磁波曝露から住民を保護しようとしている国もある。
さらに,前述の2011年に欧州評議会議員会議において出された電磁場の潜在的な危険性等に関する決議においても,加盟国に対し,電磁波に過敏な人々に特別な注意を払うことや無線ネットワークに覆われていない電磁場フリー(オフ)のエリアを設けること等,電磁波過敏症の人々を守るための特別な対策を講じることを勧告している。
いずれも,電磁波過敏症発症の機序ないし広く電磁波による健康影響がいまだ科学的に完全に解明されるに至っていない現段階においても,十分に採りうる施策であり,我が国において行政が電磁波過敏症との関係で何ができるのかを考える上で参考になるものと考えられる。
我が国も,その発症の機序が科学的に解明されない限り電磁波過敏症は存在しないとして扱うのではなく,現実に電磁波過敏症と称される症状を訴える患者が出てきている事実を直視し,その実態調査とこれを踏まえた発症の機序や予防・治療等の発見に向けた研究に着手すべきであり,あわせて,多くの電磁波過敏症患者が不安と感じている携帯基地局等の電磁波発生源についての設置・運用規制やこれらに関する情報公開等を通じて,電磁波過敏症発症者も安心して暮らせる環境整備をなすべく,対策の検討を始めるべきである。
以上