特に有名なのはデンマーク領ファロー諸島で行われた研究で、伝統的に行われるクジラ漁の為に住民のメチル水銀曝露が多くなる背景を受け、1980年代半ばに産まれた約1000人の子どもの追跡を行いました。
研究の対象となった1000人の小児の母親の毛髪水銀濃度は、その15%が10ppmを越え、平均が約4ppm程でした。
(ちなみに、1960年に不知火海沿岸漁民の毛髪水銀濃度を測定する調査が行われましたが、水俣地域の漁民の毛髪水銀濃度の中央値は30ppmで、対岸の御所浦では21.5ppmで、熊本市では2.1ppmでした。)
1997年にその研究グループの論文が発表され、母親の毛髪水銀濃度が高いほど、その子どもの7歳時点の、注意、言語、記憶などの能力が低くなることが示されました。
そして、その悪影響は母親の毛髪水銀濃度が10ppm以下の対象者の中でも認められました。
この結果を受け、アメリカ合衆国環境保護庁(EPA)の依頼を受けたアメリカ全米研究評議会(NRC)は、イラクでの研究を基に設定された従来のメチル水銀の耐用摂取量(0.1 μg/kg/day)を、ファロー諸島の研究を基に再評価し、これを妥当なものとして追認しています。
その際、NRCは胎児影響が認められる値を母親の毛髪水銀濃度12ppmあたりとし、個人でのばらつきを加味する為に不確実係数10を利用して、上述の耐用摂取量を決めています。
また、ファロー諸島の研究では、胎児期メチル水銀の健康影響を検討する際には、魚介類に含まれる不飽和脂肪酸の存在も加味しないといけないという重要な示唆をしています。
ドコサヘキサエン酸やアラキドン酸を含む不飽和脂肪酸は、子どもの認知行動学的発達に好影響を及ぼすことが示唆されていまして、魚介類は有害と考えられるメチル水銀と有益だと思われる不飽和脂肪酸の両方を含んでいるために、メチル水銀の悪影響を評価する際は、不飽和脂肪酸の存在を考慮しないとメチル水銀の影響を過小評価する可能性があります。
実際、ファロー諸島の研究者らは、メチル水銀の影響を検討する際に、魚介類摂取による不飽和脂肪酸の存在を加味すると、以前報告したのよりも、更に強いメチル水銀の影響を認めると報告しています。
ファロー諸島と同じように、大規模な研究が行われていたセイシェル諸島での研究では、胎児期メチル水銀曝露の健康影響は認められておらず、ファロー諸島とセイシェル諸島の両方の研究からの相反する知見に関して大きな論争がありましたが、不飽和脂肪酸を考慮するとセイシェル諸島の研究でもメチル水銀の悪影響がはっきりとし、この論争も終結しています。