アンジェリカ最後の数ヶ月の生活:3 | 化学物質過敏症 runのブログ

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・アンジェリカの生活 最後の日々

 彼女はマスクを付け酸素吸入をしながら全く衰弱した状態で到着しました。

私たちは彼女をベランダに横たえさせました。

 私にとっては、彼女の衣類は彼女の環境により全く汚染していました。

私は離れていなくてはなりませんでした。そして彼女は衣類を着替えたいと望みました。

私は彼女に私の衣類のいくつかを提供しましたが、彼女はそれらに耐えることが出来ませんでした。

私にはよく耐えられる無香性の安全な粉石けんを使用していたのですが・・・。


 彼女を家に入れるのに、私たちは夕方、彼女にシャワーをさせなくてはなりませんでした。

私は夫の古いジュヨギン・グパンツと綿のセーターを見つけ出してきました。それらは長い間、洗濯していませんでした。

ソックスも・・・。

 しかし、彼女はどこで寝ればよいのでしょうか?

 彼女は木材にもはや耐えることが出来ず、天然木材家具もだめでした。

それが古いか古くないかは問題ではありませんでした。

彼女は、私たちが用意した部屋の中の非常に古いクローゼットにも耐えることが出来ませんでした。

彼女は長い間、洗ったことのないリネンを床にに敷いて、長い間屋根裏にぶら下がっていた毛布で寝ることを望みました。

 森に面した窓は一晩中、一日中、開けていました・・・。

 私たちはドイツの広い森林地帯フォゲルスブルグに住んでおり、彼女はきれいな空気で少し元気になりました。

しかし、先週の月曜日は、じめじめし、霧がかかり、天気が悪い日でした。

 彼女はここにいれば少しは回復するかもしれないという彼女の希望は消え去りましたが、彼女はここでがんばることを望みました。彼女は戻ることを望まなかったのです・・・。



 彼女はベランダに横たわるか座っていました・・・。

私は彼女のために料理をし、飲み水をたくさん与え・・・、彼女の心を安らかにするために、彼女を助けることが出来る全てのことを私はしました。

私は彼女にCSN(ケミカル・センシティビティ・ネットワーク)のことや、反応する物質を避け、それらを遮断することにより回復した患者のことを話しました。

毎日、私たちは新鮮な空気を得るために散歩に出かけました。

そのときまでは彼女はまだ1時間は歩くことが出来ました。

火曜日、彼女はゆっくりですが歩くことが出来ましたが、一台の車が排気ガスを出してそばを通り過ぎ、それがマスクをつけていたにも関わらず、彼女に影響を与えました。

 それから、彼女は私がしているような世話をする人がいなければ生きていくことも、そのように長い間隔絶していることも出来ないと言いました。

そして、状態はますます悪くなりました。

彼女は、特に夜間の湿った空気に耐えることが出来ないために、もはやここにとどまることができるという希望をなくしました。

彼女はもはや食べることも飲むことも拒絶しました。

彼女は絶望に陥り、彼女の粘膜は彼女の家にいたときと同じように赤みをおび腫れていました。