ひどい化学物質過敏症は被害者の人生を困難にする | 化学物質過敏症 runのブログ

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・出典;化学物質問題市民研究会
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/index.html

・Discover 誌 2013年11月号
ひどい化学物質過敏症は被害者の人生を困難にする

情報源:Discover, November 2013 Issue
Extreme Chemical Sensitivity Makes Sufferers Allergic to Life
Its sufferers were once dismissed as hypochondriacs,
but there's growing biological evidence to explain toxicant-induced loss of tolerance (TILT).
By Jill Neimark|Wednesday, October 02, 2013
http://discovermagazine.com/2013/nov/13-allergic-life#.UoOaF42f-5s

訳:安間 武 (化学物質問題市民研究会)
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/
掲載日:2013年11月16日(前半部紹介)
更新日:2013年11月21日(後半部紹介)
このページへのリンク:
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/sick_school/cs_kaigai/USA/CS_makes_sufferers_allergic_to_life.html

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Keith Negley
 その被害者らは、かつては精神的なものであると片づけられていたが、 毒物誘発性耐性喪失症(TILT)であることを説明する生物学的証拠が増大している。
(ジム・ナイマーク、2013年10月2日)

 2005年8月のある夜、アトランタ州の35歳のソフトウェア設計者スコット・キリングスワースは食卓をポーチに引っ張り出し、その上に横たわった。

市の北部の高所得者層の住宅地域の2エーカー(約8,000m2)の土地に建てられている最近借りたばかりのその家は、人工化学物質が比較的少ない彼の避難場所であるはずであった。

長年彼は、他の人々は気づきもしない一般的な化学物資に反応して衰弱するということを経験していた。

 しかしこの家は、彼を以前のものと同様にインフルエンザ様の症状、吐き気、頭痛、筋肉硬直を伴う病気にした。食卓の上に横たわり、きれいな空気を吸いながら、キリングスワースは7年前のある午前中、彼の事務所が、2000年以来屋内での使用が禁止されている強い有機リン系農薬ダースバン(クロルピリホス)を散布されたときのことを思いだした。

その農薬がまかれてから数分以内に、彼は集中することができず、悪いインフルエンザにかかったように感じた。1週間後に事務所に戻ると、彼は再び気分が悪くなった。

彼は上司に別の事務所に移動させてもらうよう頼んだ。

 ”私はそれで解決すると思った”と彼は思い出す。”しかしそれは始まりであった”。

 病気は治るどころか毎年ひどくなった。新たに改装した建物、塗りたてのペンキ、ガソリンの臭い、殺虫剤、除草剤-彼が反応する物質のリストはどんどん長くなっていった。

ある日、彼が職場にいる間に彼のアパートは間違ってペンキを塗られ、彼はひどく気分が悪くなったので、休暇を取り、引っ越しをしなければならなかった。

 どこの家に移っても彼はいつもの頭痛、インフルエンザ様症状、不眠、集中力散漫、疲労などに悩まされた。

1週間食卓の上で寝たのち、彼はキャンプ用簡易ベッドを買い、数年間、そこで寝た。

彼は自身のコンピュータから出るごく微量のガスにも反応するようになると、彼は、無線通信キーボードに切り替えてポーチの窓を通じてコンピュータモニタを見た。

 病気になる前、キリングスワースには女友達がおり、素晴らしい生活を送っていた。

彼の普通ではない病気がひどくなると彼は世捨て人のようになり始めた。ジョージア州での最後の2年間に彼を訪れた人は10人以下であったと彼は述べている。

 最終的に、2007年の秋、彼が初めてダースバン(クロルピリホス)に曝露してから9年後に、キリングスワースは障害年金を申請し、荷物をまとめて、遠く離れたアリゾナ州の砂漠の中で、曖昧に”環境病”と呼ばれる病気にかかっている彼のような人々の共同体の中に住む場所を求めて、ホンダ・シビックで西に向かった。

 今日、40代の彼は、彼の過敏症のために特別に設計され改造トレーラハウスに住んでいる。

それは磁器製タイルの床、密封された壁と密封された木製家具を備えていた。彼は一人で住んでいたが友達がいた。

彼は太陽光発電を利用し、時々自身の水を運び、暑さ寒さをしのぐために季節により移動した。

しかし、ほとんどの日々、彼はしばらくの間だけ窓を開けてトレーラーで過ごし、夜はトラックの後部でキャンパーシェルの下で折り畳み式ベッドの上で寝た。