もっとも、そこに言うところの「特定の構成要件的結果およびその結果の発生に至る因果関係の基本的部分」の意味については、生駒トンネル火災事件最高裁判決(最判平成12・12・20 刑集54 巻9 号1095 頁)24において、次のように述べられることで、かなり柔軟化かつ抽象化されているようにうかがわれる。
「原判決の認定するところによれば、近畿日本鉄道東大阪線生駒トンネル内における電力ケーブルの接続工事に際し、施工資格を有してその工事に当たった被告人が、ケーブルに特別高圧電流が流れる場合に発生する誘起電流を接地するための大小二種類の接地銅板のうちの一種類をY分岐接続器に取り付けるのを怠ったため、右誘起電流が、大地に流されずに、本来流れるべきでないY分岐接続器本体の半導電層部に流れて炭化導電路を形成し、長期間にわたり同部分に集中して流れ続けたことにより、本件火災が発生したものである。
右事実関係の下においては、被告人は、右のような炭化導電路が形成されるという経過を具体的に予見することはできなかったとしても、右誘起電流が大地に流されずに本来流れるべきでない部分に長期間にわたり流れ続けることによって火災の発生に至る可能性があることを予見することはできたものというべきである。」
この最高裁判決については、過失判断にとって結果発生(この事件では、「死傷」)の具体的予見可能性が不可欠であるという点は維持されているとしたうえで、「死傷」という結果ではなくて、「火災」という「中間項」を予見の対象として設定し、この「中間項」についての予見が可能であれば、構成要件的結果についての予見可能性を肯定するという枠組み25が採用されたものであるとみる立場がある。この立場からは、予見可能性の柔軟化を考えるうえでは、「中間項」をどのように設定するかが、予見義務・予見可能性を判断するにあたり、決定的な意味をもつことになる。
そして、論者は、「中間項の抽象化」を積極的に肯定する。
「その予見が可能であれば、全体としての予見可能性を認めうるところの因果経過の基本的部分(中間項)は、その予見があれば、一般人ならば最終結果の認識が可能なものとして設定されなければならない。そのことを前提としてはじめて、基本的部分の予見可能性を、結果の予見可能性に置き換えることができる。ただ、設定しうる中間項の中では、可能な範囲内で最も抽象的なもので足りる。」とする26。
もっとも、これの対極には、因果関係の基本的部分についての予見について、これを、構成要件的結果を予見するための道具へと後退させることに対して疑問を呈し、具体的態様における結果発生との経験則上関連性が強い事実についての予見可能性を要求する立場27がある28。
また、最高裁判決自体の位置づけにもかかわることであるが、予見可能性において「現実の因果経過の認識・予見」は要求されていないものの、だからといって予見可能性の対象を「基本的部分」に限ってよいというわけではなく、「予見可能な因果経過は、実際と異なったものでもよいが、結果の具体的な予見可能性を担保するものである必要がある」(因果経過はその詳細にわたり逐一予見可能である必要はない)とする立場もある29。
*24 近鉄大阪線生駒トンネルの中央付近のケーブル接続部分から火災が発生し、電車乗客ら44 名が死傷した事件である。
25 この表現は、「中間項」の理論ともども、前田雅英「火災の予見可能性と中間項」研修633 号3 頁以下(2000 年)による。
26 前田・前掲論文。
27 内藤謙『刑法講義総論(下)Ⅰ』(有斐閣、1991 年)1120 頁。
28 問題全般に関しては、北川佳世子「判例批評」ジュリスト平成12 年度重要判例解説143*