その7:第9部:化学物質過敏症に関する情報収集、解析調査報告書 | 化学物質過敏症 runのブログ

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刑事過失論では、通説は、結果発生の具体的危険についての予見可能性を要求しつつ(漠然とした危惧感・不安感による予見可能性肯定論を否定するコンテクストにおいてである)、その意味を、特定の構成要件的結果およびその結果の発生に至る因果関係の基本的部分についての予見可能性と捉えている。

*18 四宮・前掲書332 頁。
19 淡路剛久『公害賠償の理論(増補版)』(有斐閣、1978 年)92 頁以下。
20 潮見・民事過失の帰責構造301 頁以下。
21 新受忍限度論に関しては、過失において予見可能性を不要とする立場と要約されるのが一般であるが、そこに言う「予見可能性」とは、「結果発生の具体的危険についての事実的予見可能性」のことである点に注意すべきである。
22 刑事過失に関するものであるが、鈴木茂嗣『刑法総論』(成文堂、2001 年)116・118頁は、危惧感説が危惧感から直ちに「結果回避義務」が導き出されるかに見える構成を採る点に問題を認めつつ、「状況に応じて、危惧感に基づき予見のための一定の調査義務が生じる場合もありうる」とし、一定の調査をすれば容易に「許されない危険」の存在を認識しうる場合に、はじめて過失が認められるとする。

これは、危惧感説を批判するコンテクストにおける指摘であるが(また、「結果回避義務」の用語が刑法学におけるそれであり、民法学に言うところとは異なるが)、客観的過失を基礎とする民事過失論において危惧感説の基本的な考え方が妥当しうることを示唆したものとなっている。
23 既存の体系書内での指摘では、幾代・前掲書37 頁の次のような指摘が目立つ程度である。「過失の成立要件としての予見可能性とは、純粋に哲学的な意味でのそれではなくて、不法行為制度の観点からの法的評価を加えた意味での予見可能性」という観点からの示唆。
「予見すべき対象たる事項を、きわめて高い抽象度で把えたり、およそ発生の可能性さえあれば、発生の確率はごく小さいものでも、すべて予見義務(すなわち回避義務)の対象であると考えれば、それは、過失責任とはいいながら、実質的には無過失責任ないしは単純な結果責任と変わりのない法的処理を意味することになる。」。*